これまでの30年と、これからの1年と

つかさ

第1話

 5月1日 火曜日


 いつもと変わらない朝。テーブルの上に並んだ朝食ののメニュー。

「「いただきます」」

 白いご飯に納豆を乗せて、口の中へかきこみ、味噌汁で流し込み、口の中の粘つきを洗い落とす。いつの時代も変わらないありきたりな食事風景。

「じー……」

 と、その俺の様子を必死に見つめ……もとい、睨み続ける一人の少女。いや、少女というには年を重ねすぎている気もするが。

「年増って言わないでよー」

「おい、心を読むな。後、そんなこと言ってないからな」

 そりゃ、もうアレになるわけだし……いや、やめてこう。そこは俺にもブーメランが飛んでくる。

「なぁ、いくらなんでも食べるの早すぎないか?」

「できる女はさっと食事を済ませて、仕事をするもんなの。男女共同社会なの」

参画さんかくだからな」

「……うるさい」

 そして、無言で俺に視線を浴びせ続ける時間がまたはじまった。

「食いたいのか?」

「べ、別に食べたいわけじゃないもん!ただ、特に視線を向けるところがないから、なんとなくキミを見ているだけだし」

 こいつかわいいなと、つい思ってしまうセリフをさらっと言ってくる。しかし、口元がだらしなく開いているのと、時折、視線が目の前の焼き魚に移っているので、残念ながらときめきはしない。

「仕方ない。ほら」

 というわけで、その身がきれいな橙色に輝いた焼き鮭を箸で小さく切り取り、目の前の彼女の口元へと運ぶ。まぁ、長い付き合いなので今更こういうことで恥ずかしくなったりはしない。

「やった!ありがとー」

 彼女も特に気にすることもなく、差し出された鮭の切り身をぱくりとくわえた。

「んーっ!!この絶妙な塩加減と脂がのってるのがいいんだよね~。やっぱり日本の朝食といったらこれだよ!」

 にんまりと笑みを浮かべ、焼き鮭を咀嚼する。しっかり味わって噛み締めているのか、口の動きに合わせて肩口にそろえた茶髪が軽く上下する。

「スーパーの安いやつでそこまでのリアクションをよくとれたもんだ」

「高いものは高いもので満足する。安いものは安いものなりに満足する。どんなものだって、作ってくれた人と、ここまで持ってきてくれた人への感謝を忘れちゃダメなの。それが生き物だったらその子自身にもね。提供する側も受け取る側も互いに敬うことで、価値をさらに深めていくことが出来るんだから」

「なんか、急に語り始めたな。まぁ、言いたいことはわかる。平気で食べ物捨てるやつとか、理不尽なクレーマーとか、売ることしか考えてない商売人に聞かせてやりたいよ」

「わたしとしては、見過ごせないからね」

 そう言うと、彼女は「ごちそうさま」と手を合わせて呟いた。


「ところで、おいしい朝食を食べた後は……さっぱりとナタデココヨーグルトなんかが食べたいなぁ」

 と、さっきは朝の情報番組のような社会派コメントが出てきたお利口そうに見えたその口で、今度は食後のデザートを所望してきた。やっぱりちょっと頭が軽そうなのは変わらないか。ここらへんは本当、数々の波乱を乗り越えて文明を築いたあの人や激動の時代を生き抜いたあの人の血を受け継いでほしかったもんだ。

「それと……3時のおやつは、ティラミスがいいな?」

 脳内保存してしまう魅力的な上目遣いで声をかけられたが、ちょっとムカついたので小突いてやった。

「うぐぐ……」

 少し涙目だったそうな。



「わたし、どこかにお出かけしたいなっ!」

 3時のおやつという報酬の対価として、皿洗いを終えたばかりの彼女が駆け寄り、再びおねだりを開始する。ブラック企業……まではいかないが、それなりに忙しい仕事の中でなんとか勝ち取った9連休の中休み。日ごろからサービス残業に明け暮れた30歳も近い我が身としては、のんびり休んでいたいものなんだが……。

「しーたーいーなっ!」

 そんなニジュウヨジカンタタカエマスカなんて死んでも考えたくない毎日を送っているやや疲れ気味の俺には恐ろしくまぶしい笑顔と、左頬に残る小さな白い何かが嫌でも両目に映る。くそっ、実は結構楽しみにしてた最後の一個なのに遠慮なく奪い取りやがって。

「……で、どこに行きたいんだ?」

 そして、再びあっさりと負けてしまった。

「えへへ……やったね」

 すると、彼女は開いたままのノートPCを軽快な指裁きで操作する。次々とデスクトップに表示される建物の画像やホームページの数々。

「スカイツリー、六本木ヒルズ、アクアパーク、ジョイポリス、ミッドタウン、etc……。それにしても多すぎないか?」

「やっぱり、ここらへんは一度はちゃんと見に行かないとね」

 その気持ちはわからなくもない。

「まぁ、ゴールデンウィークだから時間はあるし、ゆっくりいろいろ回っていくか」

「時間、かぁ……」

 いかん。これは禁句だったか。



「ねぇねぇ、キミにとって、わたしってどんな子だった?」

 昼。頬杖をつきながら向かいに座る彼女を見ながら、俺は冷凍庫に入れてあった秘蔵のドンドゥルマを頬張る。5月だってのにもう汗が出るほど暑い。うん、こんな日はアイスに限る。

 また狙われるかと思ったが、いきなり変わった質問を投げかける彼女は珍しく真剣だった。

「どんな、ねぇ……。お淑やかとか、落ち着いてそうみたいな雰囲気出しといて、しょっちゅう予想外のトラブル、それも数十年に一度クラスのやつを何度も起こす。困ってるから仕方ないとはいえ、出費がどんどん増えていく。それと、いろいろと暑くなりすぎ」

「なんか、嫌な感想ばっかだねぇ……」

 頬杖している彼女の腕が小刻みに震えていた。これは相当気にしているやつだな。

「でも、さ。俺はお前でよかったと思う。嫌なことばかりじゃなかったし、たくさんのことに出会えた。いろんなものが見られた。出来上がったのはこんな大したことのない普通の大人だけど、俺は後悔していない。きっと、みんなも」

「あは、は……。なんか面と向かってそう言われちゃうと照れちゃうなぁ」

 目線があちこちに走る。さっきまで頬杖していた手はまるで何かの感情を隠すように髪の毛をくるくるとといじっていた。

「あっ、でも、どうせ新しい子ができたら、その子にも『キミがいてくれて良かった』とか言うんでしょ」

 そう言われると、否定できないかも。

「ほら、やっぱり!そりゃそうだよね。きっとその子はわたしより長く一緒にいることになるんだろうし。絶対にわたしよりずっとかわいい名前になるんだろうし」

「自虐するなって。それと、何度も言うが俺の心を勝手に読むな」

 なんというか、こいつはどこか自分を蔑む傾向がある。かわいいところでもあるけど、なかなかに面倒な性格だ。

「でも、わたしが離れちゃったら、きっとキミはもうわたしのことを忘れちゃうんじゃない?だって、キミはわたしとずっと一緒にいてくれたけど、キミのはじめてはわたしじゃない。キミの最後もわたしじゃない。わたしは、ただの通過点だから」

 聞く人によっては変な意味に聞こえるし、それに若干、暴論っぽいところもあるけど、言いたいことは間違っているわけじゃないから、やっぱり否定はできなかった。だから、どういう顔をすればいいのかわからず困ってしまった。


「本当に突然で、なんだかあっという間だったね」


 そう、彼女とは別れなけばいけない。まだ少し先の話だけど、その日は必ずやってくる。それに、もう終わりの日を知ってしまったから。この日がこんなに早くやってくるなんて、昔の俺は想像していのだろうか。


「でも、わたしはみんなより少しだけ幸せかもしれないね。ほら、悲しくないし。なんていうのかな。前向きに見送ってあげるって感じかな?」

 今日はなんだかたくさん彼女の笑顔を見てきたけれど、この時の笑顔は見ていて辛かった。たしかに笑っているけれど、少し誇らしげだけど、その奥に潜んでいる本当の気持ちが何なのか、それが理解できてしまったから。

「だから、さ。忘れちゃってもいいよ。時々思い出してくれるだけでいいから。たまに、『あんなやついたけど、まぁそれほど悪くもなかったかな』なんて言ってくれたら……」

「覚えてる、から。ずっと」

「へ?」

「忘れたりなんかするもんか。だって、ずっと一緒にやってきたんだ。嬉しいときだって、辛いときだって、全て受け止めて、ここまで一緒に歩いてきたんだ。ほかの誰でもない、きみと」

 なんて恥ずかしいこと言ってるんだか。それでも最後くらい、なんて言葉を言い訳にして自分に言い聞かせる。いや、最後にするにはまだ少々早すぎたか。


「そっか……そうなんだ……はぁ……、よかったぁ……」


 そんな歯が浮きそうな言葉を聞いた彼女は、幸せそうな表情で、ゆっくりとひとつひとつ慎重に言葉を吐き出す。きっと、決壊しそうな想いを必死に抑えようとしているんだろうけれど、健闘むなしくどうやら叶わなかったようだ。テーブルの上にほんのわずかだけど、水滴が零れ落ちていく。

「ちょっと怖かったんだよね。恨まれたらどうしよう。悔やまれたらどうしようって。だって、今まで楽しい顔も、嬉しい顔もたくさん見てきたけど、それと同じくらい悲しい顔や苦しい顔もたくさん見てきたから。も、もちろん、ほかのみんなだってそうだったと思うよ。わたしより辛い思いをした子たちだっていっぱいいる。でも、やっぱりみんなには幸せな気持ちで次を迎えてほしいの。それって、エゴなのかな……」

 たとえ、エゴだったとしても、そう思って当然だ。誰だってつらい気持ちで別れたくないし、悲しい気持ちで先になんて進みたくない。見送るモノも、見送られるモノも。

「だから、キミにそう言ってもらえて、わたしは嬉しいよ。そして、キミと一緒にいられて、とっても嬉しかった」

 その言葉が聞きたくて。でも、その言葉はまだ聞きたくなくて。

「……よし。じゃあ、話も済んだことだし、食後の運動がてら、ちょっと出かけに行くか。ティラミスも買いに行かないといけないしさ」

 それに、この30年分の気持ちが溢れ出すにはまだ早い。今はまだ、ただ笑いあって過ごしたいから。

「うん、うん!そうしよっ!よーし、レッツゴー!!」

 

 たとえ、彼女を置き去りにしてしまう未来がこの先に待っていても、今だけは、

「ん?なになに、どうしたのー?あれ、あれれ?もしかして、手とか繋ぎたくなっちゃったー?」

「……うるさい」

「ふふ……しかたないなぁ」

 一緒に並んで歩いていきたいから、恥ずかしからずに手を伸ばそう。少しでも、何か意味を持たせて過ごせるように。いつか来るその日に、胸を張って彼女へいせいにさよならを言えるように。


「これからの1年も、よろしくね」



平成30年5月1日。 彼女との、最後の1年がはじまる。

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