グリューネヴァルト『イーゼンハイム祭壇画』 ――統率される世界

概説


 マティアス・グリューネヴァルトはルネサンス期に活動していた画家であるが、その作風はルネサンスとは程遠く、末期ゴシックに位置づけられることが多い。また、ドイツ表現主義の源流とされることもある。


 1470年頃にドイツのヴュルツブルグに生まれ、その後マインツ大司教お抱えの宮廷絵師として活動したとされる。彼の代表作『イーゼンハイム祭壇画』はこの頃の作品であり、聖アントニウス会修道院付属施療院の礼拝堂に描かれたものだ。その後グリューネヴァルトはハレに赴き、1528年8月31日に同地でペストに罹りこの世を去った。


 ……というように、彼の生涯に関しては断片的な記録しか残されておらず、その生涯は大部分が謎に包まれている。そもそも近世に入って再評価されるまで本名(マティス・ゴートハルト・ナイトハルトとされる)すら間違われており、誤訳である「グリューネヴァルト」が現在に至るまで定着してしまっているほどだ。


 しかしながら、彼が後世に与えた影響は大きい。プルーストやユイスマンスなど名立たる作家に影響を与えており、特に「祭壇画」に関しては美術の教科書に載せられるほど知名度の高い作品である。その理由は、キリストの架刑図というポピュラーな様式をとっているにも関わらず、一見してほとんど聖性を感じさせない特異かつショッキングな構図と描写にあるだろう。


 そこに描かれているのは死に向かうキリスト、復活の見込みすら感じさせないほど残酷に痛めつけられた「貧者のキリスト」と、その周りを取り囲む、遠近法的には狂った大きさの人々であるが、その中でもキリストの描かれ方は特徴的だ。


 今まさに腐乱へと向かっているかの如く緑がかった肌の色、体表一面を覆っているぶつぶつとした吹き出物、茨の冠や脇腹の傷から流れ出す血は風化せんばかりの赤色で、全く生気がない。打ち付けられた足からの出血のみが若干色相を変えて描かれているが、これも「出血」と表現するにはどこか粘っこい、発酵したかのようにどろどろとした血液である。


 ここに関する描写は奇異であって、彼は杭で台座に打ち付けられているというのに上向きに浮かび上がろうとしており、同様に貫かれた手のひらもまるで天に差し出すかのように広げられている。それは、もはや体がただの物体に変じつつあるキリストが天高く昇っていこうとするのを、架刑が無慈悲に押さえつけているような印象である。力なく開かれた口元からなる表情は断末魔の苦しみに歪んでおり、見る者の心を哀れと絶望とで打つ。


 もう一つ特筆に値するのは、このキリストの体が他の人物と比べて明らかに大きく描かれていることである。キリストの苦しみが前面に押し出され、強調されている印象だ。対してその足元で嘆いている女性は不自然に小さく、身にまとっている服は血のように褪せた赤色である。


 右側で決然とした、あるいは無機質な表情を浮かべ己の主を指さしている聖ヨハネは、最も鮮烈な赤色を羽織って何事かを呟く。しかし画面下に捧げられている生贄の子山羊が流している血は薄い赤でしかなく、生贄の血も虚しく、といった印象を受ける。


 左側で腐った牛乳のような白のベールを身にまとうマリアは、あまりに陰惨な光景に気を失わんばかりに身を弓状にして支えられている――これらの人物は、中央で強調されているキリストの状況をそれぞれに独立して受け取っているかのように見える。惨状をそれぞれに受け取り、他の人物とは視線を合わせることもなく、それぞれの反応を呈している。


 まるで死に向かうキリストが己の個人的体験だとでも言うように、一人一人が独立した世界に描かれ、そして一枚の絵に収められているのである。加えて言うと、ここでの意図的に写実的ではない描写によるテーマの暗示と強調が、グリューネヴァルトが表現主義の源流と呼ばれることもある由縁であろう。

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