おわりに
はじめに挙げた「閉鎖」、つまり中村文則が言ったところの閉鎖には無論ネガティブな含意があり、本論で取り上げた「外界の閉鎖」がそのままそれである。
このテーマが作中で批判的に描かれていることは明らかであろうが、それならば、キャシーにおける「内面の閉鎖」も批判されるべきであろうか。自らの記憶に閉じこもり、感傷的に生きていく態度は許されるであろうか。
それに関しては、是非もない問題だろう。
そうする以外にない状況で選び取られる選択肢に、是非の判断を下すことはできない。ここでは単純に、思い出に頼って残酷な現実を過ごしていく――本人たちにその感覚はないかも知れないが――彼らの実存を描いた物語として理解されるべきである。
しかし外界の閉鎖であっても、必ずしも批判されるべきと言うことはできない。近しい者の幸せを望むのであれば、閉鎖せざるを得ない状況がある。それを責めることができないのは、作中でも言及されている通りである。
幸せとは閉鎖である。外界の閉鎖と内面の閉鎖、それぞれが両立するこの物語は、欺瞞を含みつつも幸福を追求するという、人間の避けられない性を描いた作品としても解される。
つまり初めに言った「幻想的感覚に隠された深淵」とは、本作においては、こうした閉鎖によって――特に外界の閉鎖によって――私たちの意識から閉め出された世界の不都合な側面であると言えるだろう。
幸福であるという「幻想的感覚」。その足元には、欺瞞の「深淵」がぱっくりと裂けて広がっている。果たして私たちは、それを直視し続けていられるだろうか。
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