第7話 ゆらゆら揺れる
しかし、少年の小さな希望はあえなく潰えた。工場長からの許しは、やはり出されなかった。仕事を休むことは許されない。この仕事は、滞ってはならないのだ。少年はなかなか筋(すじ)が良い。だから休まれると困る。そう言われた。
五〇番さんもこう言った。良く考えてごらん、と。
「街の外に広大な空き地があるって言っても、あくまで噂なんダ。それに、壁のどこに、外に通じる扉があるノ? この街が世界の全てなんダ。世界の外に出るなんて、少し空想し過ぎだと思うヨ」
と少年をたしなめた。
五〇番さんにそう言われた日の夜。少年は〝友達〟に尋ねた。
「ねぇ、外の世界って、本当にあるの?」
〝友達〟は悩むことなく頷いた。
「でも、みんなはないって言う。どっちが本当なのか、良くわからないよ」
拗ねたような口調で、布団を頭まで被る。〝友達〟は言った。
『知ッテイル。外ノ、世界。コノ街ヨリ、ズット、明ルイ』
「じゃあ、どうしてみんなは信じていないのさ!」
少年は思わず声を荒げてしまった。そして、忌々しげにあの紙束をにらみつけた。すべてはこの謎の紙くずがいけないんだ。少年に存在しない空想を期待させておいて、ずっとだんまりを決めこんでいる。きっと間違ったことが書かれているんだ。そもそも、どうして五〇番さんでも読めない文字を〝友達〟が読めたのだ?〝友達〟が間違っているのではないか。そう、この紙の絵はこの街の誰かが息抜きに描いたに違いない。仕事で疲れて、少し逃げたかったのだ。それなら辻褄が合う。
興奮する少年を、〝友達〟はじっと見つめていた。何かを考えているようで、両目の電球が忙しなく点滅している。少年が紙束を手に取った。
「これがあるからいけないんだ。もう捨ててしまおう。最近、みんなからバカにされなくなった。ぼくとキミが居れば一人前だからだ。毎日が平穏だ。余計なことに期待なんかしないで、毎日を大切に過ごそう」
少年は小屋を出て、近くの焼却場まで向かって行った。
焼却場でも人間が働いている。重機を操って、地下に掘られた深い穴の中に不要な物を放り込んでいる。穴の中では赤い炎が煌々と燃えていた。ごうごうと地鳴りのような轟きを辺りに響かせている。少年はその穴の縁に立った。炎から随分離れているのに、火照るような暑さを頬に感じていた。
少年は右手を穴に向けて掲げる。その手に、あの紙束が持たれていた。あとは手を離すだけ。簡単なことだ。
それなのに、なかなか手を離せないでいた。まるで、紙束から触手が伸びて、少年の右手にしがみついているみたいだ。まだまだ少年と一緒に居たい、と必死に少年に語りかけている。
「お前がいるから、ぼくはこんなにも不安になるんだ」
右手の紙束に、少年は呪詛のごとき言葉をぶつける。
「ぼくは平穏に過ごしたい。このまま、みんなと、この街で仕事をしていくんだ。お前がおかしな期待をさせなければ、ぼくはこんなにモヤモヤした気持ちになることなんて無かった!」
この紙束に自分の胸の中を見せてやりたかった。
「ぼくは他の人と何もかも違う。他の人は何にも心を邪魔されずに、ただひたすらに仕事が出来る。眠る必要も、食事をする必要もないんだ。ぼくは寝たり食べたりして、時間を一つも有効に使えていない。
その上、お前があのコンベアに乗って来たせいで、ぼくはもっと不良品になっていく。〝友達〝とやっと一人前になれたんだ。邪魔しないで!」
少年は躍起になって、ついに、炎の海の中に紙束を放り投げた。
しかし、その時、炎にまかれて強い気流が生まれた。下から上に向けて、ぶおんと風が吹き抜ける。その強さに、少年は思わず尻もちをついた。頭上に目を向けると、風に乗って紙束がばさばさと宙を舞っていた。
風に煽られた紙束は、少年の後方に虚しく落ちた。
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