第六幕「演技者の追憶」

「女優になるって、具体的にどうすればいいんだろ」


 幼い日の睦は、海凪に問いかけた。


「睦は、どう思う?」


「うーん、そうだなぁ……。

 お化粧して、綺麗な服を着て、舞台の上やカメラの前で目立つ、とか。

 ちょっとした振る舞いや目線の使い方で、見てる人をドキッとさせるの」


「ふぅん……。でもね、私が言いたいのはね、多分真逆のこと。

 睦が今言ったのは、『自分』をよく見せたいって話。

 だけど演技ってホントは、自分を自分じゃなくすることよ。

 自分を透明にして、誰かが望んだ色で染めるの」

 

「……それってなんだか、つまんなそう」


「そうかもね。でも、考えてみて。

 今よりつまらなくなることなんて、果たしてあるのかしら?」


 目からウロコが落ちたようだった。

 確かにそうだ。

 海凪と出会うまでの睦は一人ぼっちで、学校の友達はどこか空々しく両親とも距離を感じていた。

 勉強もスポーツも、人並み以上になるのは簡単で、そんなことで上辺だけの称賛を受けても、嬉しくもなんともなかった。

 海凪と話すこのときだけが、睦にとって唯一、寂しさと退屈を感じない時間だった。


「……綺麗な瞳。私、あなたの目が好きだわ」


 ひやりとした海凪の手が頬に触れ、睦の心臓は跳ね上がった。

 他の誰もが踏み越えてこない距離を、海凪はいとも容易たやすくゼロにする。


「透明になれば、皆があなたを愛してくれる。

 誰もが望む、あなたになれる。

 ねぇ、睦。本当のあなたは、私だけが覚えていてあげる。

 だからあなたは、私のために透明になって?

 私の代わりに、幸せになってほしいの」


「海凪は……? キミは一緒に幸せになってはくれないの?」


「私にはならなくちゃいけないものがあるから。

 その過程で私は、多くのものを捨てなくちゃならない。

 私が本気で努力すれば手に入ったはずの、いくつものあたりまえの幸せを。

 それは私の望んだこと。

 だけど、『やっぱりエディテッドが人間らしく生きることはできないのね』、

 なんて言われるの、悔しいじゃない。

 だから睦を、私のやり方で幸せにする。

 私が本当は捨てたくなかったいろんなもの、あなたが二人分、持っていて。

 そうすれば私はきっと、安心してなりたい自分になれるから」


「海凪のなりたいものって、何?」


 海凪は儚げな容姿に不釣合いな、どこか不遜ふそんな笑みを浮かべて答えた。


「グランギニョールの、マスターだよ。

 私は世界を、手に入れたいの」


「グランギニョール……って、あのニュースでやってる?

 オートマタ同士を、戦わせるんだよね」


「そうだよ。睦は、戦ってるとこ見たことある?」

 

 睦は首を横に振った。


「ボーリョク的でキョーイクに悪いからって、パパとママが見せてくれないんだ」


「それで言うこときいて見てないんだ。睦はイイ子だねぇ」


「むぅ……全然褒められた気がしないんですケド。

 でも、どうしてグランギニョールで戦うのが、

 世界を手に入れることになるの?」


 睦の問いかけに、海凪は人差し指を立てた。

 指先が差す方を見上げると、夕暮れの空に赤い星が瞬いていた。


「PMCタイレル社所有、軍事衛星 《インドラ》。

 この星の空には、あのインドラを含め、

 核ミサイルを積んだ人工衛星が四つ浮かんでる。

 軍事衛星を持ってるPMCを、オトナたちは “四大PMC”って、呼んでるわ」


「うん。それは聞いたことある。

 国が小さくバラバラになって、自分の軍隊を持てないから、

 どの国も民間の会社に戦争をお願いしてるんだよね。

 それぞれの国は四大PMCのどれかから、ミサイルの発射ボタンを借りてるんだって」


「そう。国家からのお仕事を請けられるのは、四大PMCだけ。

 莫大なお金が絡むだけに、縄張り争いもとっても激しいの。

 ……でも、核ミサイルを持ってるような会社同士が、

 全力で戦ったらどうなっちゃうと思う?」


「お仕事を依頼してくれる国自体が、焼け野原になってなくなっちゃうかも」


「だから四大PMCは、彼らの縄張り争いに厳密なルールを設けて、競技化した。

 それがグランギニョールの成り立ちだよ。

 人間大のサイズに技術の粋を詰め込んで競わせれば、会社同士の力の差は、はっきりする。

 序列が高い方から順番に、いい条件のお仕事を請けられるの」


「なるほどなー。でも、それなら同じ大きさのドローンだっていいじゃない。

 なんで女の子たちを戦わせるのかな」


「睦はバーチャルアイドルの《アリス》って、知ってる?」


「知ってる!! 可愛いよね、アリス。

 ボクあの子の配信、チャンネル登録してるよ」


「そのアリスだけどね、初出場のブランド・アヴァロンのオートマタとして、

 次のグランギニョールに出場することになってるの。

 クイーン級のボディを与えられ、鳴り物入りでね」


「そうなの!? ボク、絶対応援するよ!!」


「でも、もしアリスが負けて壊されちゃったらどう思う?」


「そんなのって悲しいし、相手が絶対許せないな。

 ……あ、そっか、そういうことか。

 可愛さや綺麗さ、皆に好きになってもらうことも、戦争の道具ってことなんだね?」


「その通り。グランギニョールは経済戦争でもある。

 鬼火ウィスプを使ったVR観戦のチケットにはプレミアがつき、

 出演オートマタの模造品コピーは高額ながら飛ぶように売れる。

 これは演者が可憐な姿をしていればこそだよ。

 そしてグランギニョールの出演者は全世界的に顔が知られ、

 政治的な発言力すら獲得することになるわ」


「海凪はそうやって世界を手に入れるつもりなんだ。

 ……でも、キミはオートマタじゃないよね?」


「オートマタじゃなくても、グランギニョールの舞台に立てる。私たち、エディテッドなら。

 第四世代ジェネレーション・フォースオートマタには、架橋クロスリンクって機能が備わっていて、

 エディテッドはこの機能を扱うのがすごく得意なの。

 だから各チームには一人ずつ、エディテッドの女の子が “マスター” として配属される。

 オートマタたちと一緒に戦い、彼女たちを強くしてあげるためにね」


「どうしてマスターは女の子だけなの?

 エディテッドには男の子もいるんだよね?」


「それは……オートマタたちの商品価値のため。

 架橋クロスリンクを使うには、キスをしなくちゃいけない。

 応援してるオートマタが男の子とキスをするの、許せないって人が結構多いんだ」


「ふぅん……」


 睦の視線は、海凪の唇に吸い寄せられていた。

 全体的に色素の薄い彼女の中で、唯一目の覚めるように赤い艷やかな唇。


 ……海凪とグランギニョールの舞台に立つオートマタがうらやまましい。

 たとえ相手が女の子でも、許せないかも。

 睦はそんなことを考えていた。


「でも、それって危なくないの?

 兵器同士が戦ってるところで、一人だけ生身なんでしょ?」


架橋クロスリンクしていれば、流れ弾に当たるようなヘマはありえないわ。

 ……だけど当然、死の危険とはいつだって隣り合わせでしょうね。

 でも、だからこそ、やる価値がある。

 ひりつくような恐怖の中でこそ、私は生きてるんだって、感じられる気がするの」


「……普通に生きてたって、幸せにはなれるよ」


「そう。でも、両方は取れない。だから “そっち” は、睦がやって?

 私の夢、応援してくれるでしょう?」


 睦は、海凪に幸せになって欲しかった。彼女の願いを叶えたかった。

 だから睦は、海凪のために女優になったのだ。


 ……それから二人は、毎日のように公園で待ち合わせては、これからのことを話し合った。


 海凪は睦に、日常生活に溶け込むための演技、あらゆるシチュエーションと望ましい振る舞いを叩き込み、

 それから二人で肩を寄せ合い、一台のPDAでグランギニョールの動画に熱狂した。


 可憐な少女が闘争心に牙を剥き、血液の代わりに宝石色の循環液クーラントを散らして戦う様子は、恐ろしくも美しく、まさに残酷な人形劇グランギニョールの名の通りだった。


 二年が過ぎる頃には睦にも何人もの友達ができて、

 海凪の指示で彼らと放課後を過ごすことも多くなっていた。

 冷え切っていた家庭も、すっかり和やかになっていた。


 睦が演じたのは、成長とともにその輝きを失ってゆく天才児。

 自分を殺すこと、好きになってもらおうとする人に嘘をつき続けることは血の滲むような痛みを伴ったが、

 それを補って余りある幸福を睦は手に入れていた。もう、孤独ではないのだから。


 そんなある日、海凪は睦に告げた。

 6年前、グランギニョール第三回公演が行われた直後だった。


「篠月にあるソノラの研究所で、新しいオートマタの実験をしてるみたいなの。

 その秘密を握ってソノラに取り入れば、

 私もグランギニョールのマスターにしてもらえるかもしれないわ」


 それが海凪と交わした、最後の会話になった。



~~~~~~~~~~~~~~~~~



「どこ、行っちゃったんだよ海凪。

 このままじゃボクの方が、先にグランギニョールのマスターになっちゃうよ」


 あてがわれた客室のベッドで、白い天井を見上げながら睦はひとりごちた。


 ……まぶたが重い。


「すっごく濃密な一日。間違いなく人生で三本の指に入っちゃうね。

 でも、明日からはずっと、新しいことばかりが続くんだ。

 楽しみなような、怖いような……。ひりひりして、生きてるって感じがする。 

 海凪が言ってたのって、こういうことだったんだ」


 目を閉じると、睦はすぐに眠りに落ちた。

 夢を見ることもない、深い泥のような眠りに。

 そして――


 ……


 …………



 目を覚ました時、真上にあるのは黒い天井だった。

 ベッドは一回り小さく、部屋には窓がない。


「…………っ!?」


 飛び起きた睦は、ドアノブに手をかけた。

 閉じ込められていることを予想したが、意外なほどすんなりとドアは開いた。


 恐る恐る覗き込んだ廊下の左手には下りの階段。

 右手の突き当りにはハッチのようなもの。

 睦はハッチに飛びつくと、外開きの重い扉を押し開けた。


 隙間から差し込んでくる、濃くてまばゆい日差しと、潮の香り。


「いくらなんでも、これはちょっと、新しすぎるなぁ……」


 目の前に広がるのは一面の海。どこまでも続く、水平線だった。

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