2.

「これはうまくできているな。少し微に入り細に入り穿ち過ぎな気もするけどな」


 俺はそう言って保健室備え付けのテーブルに原稿用紙を放る。

 保健室。学生でもない俺がなんでこんなところに来ているのか。

 それは布施蓉子に会いに来るためだった。

 俺の仕事上の知り合いであり、友人でもあるこの女は俺の拙い感想にクスリと笑いを漏らす。


「ありがとうございます。あとでお兄さんが褒めてくれていたわよと言っておきますから」

「おいおいジョークだろ。それにしてもその天曲双葉?ってやつ高校生にしてはなかなかの文筆家じゃねえか」


 俺がそう言うと蓉子はあら、と首を傾げた。 


「違いますよ、赤江さん」

「あ?違うって何が」

「嫌ですね。天曲双葉っていうのはこの物語に出てくる登場人物の文芸部の女の子でしょう?これを書いたのはほら、ここにも書いてある」


 そう言って蓉子は原稿用紙の一枚目の右下のあたりを指差した。


「四十九里ゆらぎさん。この子が書いたのよ」

「ん?そうなのか」

「そうよ。文芸部始まって以来の天才少女とか呼ばれているらしくってね。それにしても赤江さん現実と創作を混ぜて考えるものじゃないわ」

「悪い悪い」


 そう言って俺は欠伸あくびする。


「あら、寝不足?」

「なんだかわからんがここ数日よく眠れてなくてな」


 そう言って俺は伸びた。


「あなたにもそんなことあるんですね」

「まあたまにはな」

「良い睡眠薬紹介しましょうか?」

「いらん。怪異退治専用のとかだったら洒落にならんしな」


 蓉子は肩をすくめる。


「あら、信用してくださらないのね」

「まさかだろ。お前のことは誰よりも信用しているよ」


 俺がひらひらと手を振ると蓉子は年頃の女学生のようにパッと顔を明るくした。

 それを疑問に思う暇もなく抱きついてくる。


「嬉しいわ」

「おいおいどうした酒でも飲んでんのか」


 実際、蓉子の顔はこちらが見てもわかるくらい上気している。


「久しぶりに来てくれて嬉しい、という言葉じゃ足りない?」

「いやそれにしても今日はスキンシップが過剰すぎじゃねえかと思って……」


 そう言うと蓉子は自分の首を俺にもたれてきた。


「飲んで。私の血を」

「おい、蓉子……」 


 俺はそっと蓉子を押しのけた。


「申し出はありがたいんだが、今はそんなに腹が減ってねえんだ」

「あらそうなの」


 そう言って蓉子は差し出そうとした首のあたりの毛を元に戻す。

 不思議なもんだ。

 あどけなく首をかしげるその姿は合った頃の少女のままのようで。

 肉体的にはもちろん成長している。

 今の蓉子は二十代の半ばだ。

 それでもここだけ時が止まってしまったかのような。

 まずいな。

 腹が減ってはいないが疲れているようだ。

 センチメンタルな気分に浸っているべきではないと、視線を移して。

 俺は硬直した。


「おい、蓉子。あいつは誰だ」

「え?確か二年生の藍住さん、だったかしら」


 蓉子が不思議そうに言う。

 耳を素通りしていく言葉をそのままに俺は硬直していた。

 馬鹿な。あいつが、ここにいるわけがない。

 あれから何年、百年近くの時が流れている。

 それでもあの雰囲気、匂いは……。


「赤江さん。赤江さん。どうかしたの」


 そう言う蓉子の言葉で俺は不意に我に返った。 


「……悪い。少し思い出したことがあるから俺は帰る」


 俺はそう言って原稿用紙を、仕事の資料の束の上に置くと立ち上がった。


「あら、資料はもういいの」

「ああ。内容は全てここに入っている」


 俺は頭を指差す。 


「じゃあな。蓉子。戸締りはきちんとしろよ」

「部外者が入ってこないように」

「そういうこった」


 そう言って俺はいつもの通り、窓から外へ出て学校を後にした。


ーーーー

幕間

 カーテンが開き、ふわわと欠伸をして女生徒が起き上がった。


「おはよう、四十九里さん。といってももうこんばんはの方が近い時間だけど」


 そう言って蓉子は手元の資料を素早く片付ける。


「もうそんな時間か結構寝ちゃったなあ」


 女生徒は乱れた髪型やブレザーの制服を気にするでもなく立ち上がる。


「じゃあ私はそろそろ帰るよ。ありがとうね、布施先生」


 立ち去ろうとする四十九里を布施が呼び止める。


「四十九里さん。これ」

「ああ」


 原稿用紙を受け取って四十九里は思案げに首を傾げてみせる。


「どうだった?」

「よくできているって褒めていたわ。読んでくれた方はね」

「へーそれって布施先生の思い人か何か?」

「どうしてそう思うの」


 そう言いながら布施は茶器を片付ける。


「いやいつもより声が楽しそうなトーンで、こちらに話す態度から鑑みてもその人に好意的だから。という論理的推察ってやつかな。まあそれもあるけど恋バナが好きな年頃なのだと思っておいて欲しいね」


 そう言って悪戯っぽく笑い、四十九里は保健室の戸を開けた。


「兎にも角にも帰るよ」


 黄昏たそがた空が窓辺の外には広がっている。それを写して、その目は赤く妖しく煌めいている。


「そろそろ逢魔時と呼ばれる頃だしね。鬼が出るか蛇が出るか。その前に急いで帰らないとね」


ーーーー

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