神懸編 1.

「赤江創。幸せってなんだと思う?」


 天曲てんま双七そうしちは、銀縁眼鏡の奥から俺を見据えそう尋ねた。

 なんだ急に。

 俺は顔をしかめながらその問いに答えてやる。


「幸せを願う相手がいて、そいつのことを幸いを祈ることだと俺は思うが」


 そう言うと天曲はいつも浮かべている皮肉げな笑みを一層深めた。


「随分詩的な答えなんですね。君に似合わずと言うべきか」


 似合わず、ねえ。

 まあ確かにな。

 俺らしい振る舞いとしてはここも皮肉で返すべきなのかもしれない。


「ていうか、答えのない問いを聞くのはアンフェアじゃねえのか」


 そう俺は言った。


「答えのない問いとは?」


 しらばっくれる天曲に俺は告げる。


「幸せの定義なんて人それぞれだろ。だから、幸せがなんだと聞かれてもそこに決まった答えなんてねえだろ。だからアンフェアだと言ったんだ」

「成程」


 そう言って天曲は頷いた。

 一瞬、無表情に凪いだ表情を唇を引き上げ、言う。


「しかしね赤江創。君が今思い浮かべたように個々人の中に共通の考えがあればそれが絶対的な幸せと呼べるじゃないか、と僕は思っているのですよ」

「……詭弁だな」


 そう言って俺は目の前に置かれたグラスの中に入った水を飲む。

 お構いなく、水でいいと言ったが本当に水を出してくるやつは実際にはあまりいないだろう。

 まあそれでもこいつは水を出してくるやつなのだ。

 水道水ではなく冷蔵庫に入ったミネラルウォーターであるだけまだマシであるというべきなのかそれははてさてどうかとして。


「世間話はいい。さっさと本題に入ろうぜ」


 俺はソファに仰け反るような姿勢をとり、話を促す。

 良い素材を使っているのだろう。

 黒の革張りのそれはずいぶんクッションが良くて、このまま退屈な話題を続けていると眠くなってしまいそうだった。

 ここ数日寝ていないというせいもあるが、やけに頭がぼんやりとしている。

 いかんいかん目を覚ませと俺は首を振る。

 クライアントが話している間に寝てどうする。

 しっかりしないと。


「では、赤江創。貴方に依頼した仕事の概要を話すのでよく聞いてくださいね」


 そんな俺の様子に気づかずかそう言って天曲は俺を観察するように見つめた。


「結論から言うと、貴方には神を退治してもらいたい」


 一瞬、聞き間違えかと思ってそれからこいつもとうとう冗談を言うようになったかと思い笑い飛ばそうとしたが、神という単語に俺は口をつぐんだ。

 それから、誰でもそうだと思うが俺は首を傾げた。

 いろいろ言いたいことはあるがまず湧き上がってきた質問は一つだ。


「神、ねえ。そもそも、神って退治できるものなのか」


 俺がそう言うと天曲は感心、感嘆した顔で返した。


「そうきますか。退治できないではなくて。自身家というか無謀というか。いや実に貴方らしい」

「なんだ俺を貶すためにわざわざ呼んだのか」

「いえ。まさか」


 そこまで暇ではありませんよ、と言ってやれやれと首を振り。

 天曲は話しを続ける。


「古来、神を退けた話ならいくつか存在しますよ。黄泉比良坂のイザナギとイザナミの話くらいはご存知でしょう?」


 ご存知だがそれにしたって神退治とは穏やかではない。


「……ときに貴方は、街の西にある祠を知っていますか?」


 そちらはご存知ではないなと俺が首を横に振ると天曲は今回の事件の概要について話し始めた。


「街の境界にある祠。大昔に建てられたそこには何が祀られているのか誰も知りません。

誰にも知られぬ忘れ神。

でもそこに最近おかしな動きがあるのです。集団。新手の宗教団体かあるいは仲良し同好会なのか。とにかく、その祠を拠点に人々が集まっているのです」

「それだけならいいです。見過ごせます」

「ですが、その口上が妙なのです。曰く、神を信ずるものには幸せを与えると」

「そう……。言っているらしいのですよ」

「だから貴方に調査してもらいたい。幸せを与える神などという噂話を流しているのは何なのか。その目的は何なのか。大学からも関係のない学生が夜中に騒ぎに来ると近隣住民から苦情が来ているのです。教授という立場からしても、そんな学生の振る舞いは見過ごせません。諸悪の根源を断ち切って、神という現象を退治してもらいたい。今回はそういう依頼なのです」

「納得したぜ」


 神という現象。ああそうだろう。

 感傷を抱くな。思い出すな。この街にはもう神なんてものはいるはずがないのだから。

 話はそこで終わりなのか、眼鏡のつるを神経質そうに天曲は戻した。


「承ったぜ。まあこっちはもらえるものをもらえればそれでいいんだ。でも一つわからねえな」


 床に置いていた刀を腰に差しながら俺は言った。


「普通に聞けば美談じゃねえか。その神とやらがいるとしてお前らに何の不都合とやらがある」

「そうですね……。しいて言えばパワーバランスですよ」


 そう言って天曲は続ける。


綾瀬あやせ日下くさか洞木うつろぎなど裏社会を牛耳っている家柄がいくつかありますが呪術的な支配はそちらの家柄の領分ですよ。神なんてのは表の世界の人間がお遊びで手を出していいものじゃあない……」


 ぶつぶつと言う天曲を見て俺は成る程、と呟いた。


「そこまで言うなら大まかな当たりはついているんじゃねえのか」

「……推測の域で僕は話をしません。これは貴方に依頼した仕事です。十全に十分に調査をして然るべき結果を提出してください」


 これ以上話す気はないってことか。


「わかったよ。ほんじゃあな」


 そう言って俺は部屋……、大学の教授室を出ようとする。

 埃臭く黴臭いそこはいても間違いなくいても楽しくなんてない場所であるが、加えて床から天井まで本で埋もれたそこは変な重圧感があり正直息苦しい。

 話が終わったなら、さっさと出るに限るぜと俺は扉に手をかけそこで静止した。


「そうだ、天曲。最後に一つ」

「……なんですか」

「お前にとって幸せって何だ?」


 どこの銘柄のものなのか、天曲は薬草のような妙な臭いがする煙草の紫煙を吐き出し誰にともなくといった感じで呟く。


「空虚、ですかね」

「……」

「人は幸福だったら何もしなくなる。幸せなんていうのは到達点だ。伸び代がないならそれは0と同じでは?」


 俺は肩を竦める。


「そうか。覚えておこう」


 そして、そのまま部屋を出た。


ーーー

「……まあ物語の冒頭としては順当じゃねえか?」


 俺はそう言って読み終えた原稿用紙の束をサイドテーブルの上に置く。

 本なんて普段読まないからよくわからないが。


「本当?嬉しいんだねっ」


 にぱっ、と擬音がつきそうな勢いで目の前の女学生は微笑んだ。


「いろんな読者さんの意見が欲しいからね。いやー赤江のお兄さんに読んでもらえて感謝感激雨あられだよっ!」

「そりゃあよかった」


 俺が今まで読まされていたのは文芸部所属の女学生、目の前に座っている天曲双葉の書いた創作小説らしきものだ。

 らしいというのは、まあ文章自体は女学生が書いたらしい拙くも元気のある表現というか細かいことはわからんからそこはさておくとしてだ。

 書いている内容がきな臭すぎるのだ。


「よく書けているじゃねえか。お前の兄貴の双七の入れ知恵か?」

「兄貴は関係ないんだよっ」


 俺がかまをかけてみるかとそう言えば、心外であるとばかりに双葉は頰を膨らませた。


「大学の教授さんだかなんだか知らないけどさー、みんな私を兄貴と比べるからもうウンザリなんだよね。私は私、兄貴とは違う。文章を書くのだって私が好きでやってることだからね!」


 そう高テンションでぶつぶつ言いながら立ち上がり、部屋をうろうろと歩き回り始めた双葉を見て俺は肩を竦めた。


「そうか、それは俺が悪かったな」

「ん?いや赤江のお兄さんが謝ることはないんだね!全ての元凶はあのクソ兄貴……おっと失言失言失礼したねっ」


 そう言って双葉は可愛らしく口元に手を当てた。

 何も聞いていないというジェスチャーで俺は手を振る。

 それから口調を冷ややかなものにして言った。


「それにしてもだ」


 目の前の原稿用紙に俺は再び目を落とす。


「裏の本家、呪い屋の名前まで本名で載せるのはやりすぎというか危険だと思うぜ。いくら文芸部誌に載せるアマチュア作品とはいえ、人の口に戸は立てられんからな」


 俺がそう言うと双葉はなぜかニヤニヤ笑った。


「おやおや赤江のお兄さん双葉のことを心配してくれてるです?いくら双葉が可愛くて赤江さんが女学生が好みだからって好きになっちゃ、駄目なんだぜっ」

「なんでそうなる」


 俺は意味のわからない双葉の言葉に即座に突っ込む。

 まだ数回しかあったことがないのにこのやり取りである。

 ノリがいいやつなのだ。

 最初に会ったのはいつだったか。

 確か旧知の仲である天曲(双七のほうだ)に久方ぶりに呼び出されたと思ったらそれが仕事の依頼で、その折になぜか妹であるというこの娘も同席したのだ。

 そしてなぜか懐かれ、所属しているという文芸部の部誌に載せる作品を読んでくれと口説かれ女学校の文芸部室という、今ここに至るというわけである。

 男の俺がここにいても通報されたりしねえよなと戦闘中でもないのに戦々恐々であるが、それは大丈夫であるという謎の自信で双葉が請け負ってくれた。


「私けっこうお偉いさんにも顔が効くですからね〜。泥舟に乗ったつもりでいてくれて大丈夫だよ」

「沈むじゃねえか」


 それを言うなら大船だ、とため息をつきながら俺は双葉に言う。


「でもタイタニックは沈んだよね。ほら、大船っていうと豪華客船というイメージでありますというか」

「まあいい。それはそうとお前この小説にも出てくる町外れにある祠に何が祀られているか知っているか」


 俺はそれとなく聞いてみる。

 調査をしたのだが、芳しい結果は得られなかったのだ。

 妙なものを、感じていた。噂が錯綜するというならまだしも、何も出てこなかったのだ。

 まるでそんなところには縁起も由来も、祀られているものさえ最初から何もなかったように。

 俺の言葉にきょとんとすると双葉はぶんぶんと首を縦に振った。


「知ってる。知ってる。水子供養のお堂だよあそこは。あれ、兄貴が教えてくれなかった?」


 謎が一瞬で拍子抜けするように氷解した。

 すごいな最近の女学生は。

 双葉はマイペースに「コーヒー飲むー?」と言いながら背後の棚をガチャガチャさせ始めた。


「いやーあそこ供えものだからなんだか知らないけどお人形さんがたくさん並んでいて夜とかに近づくと怖くってさ。いつの時代も親が子供を思う気持ちってのは凄まじいものだよねー」

「そうか」


 親が子を思う気持ち、ね。

 まあそうなのだろう。

 俺には子供がいないからよくわからないが。

 感慨にふけっていると、双葉は淹れたてのコーヒーを俺に差し出してきた。


「粗茶ですがっ」

「ああありがとな」


 茶じゃないが、特に突っ込まず俺はそれを受け取った。


「愛って赤江さんは何だと思う?」

「親が子を思う気持ちのことか?」

「もっと普遍的に」

「そうだな……。誰かのことをいつも思ってることだろ」


 誰か。

 思う相手がいて、思っている。


「ところでね、赤江のお兄さん。ちなみに私は幸福は退屈だと思うんだよ」


 本当にところでだな。急にどうした、と俺は思う。


「退屈、ね。その心は?」

「兄貴が幸福ってものは誰にとってもだいたい同じものなんだって小説の中で言っているでしょ?まあそれは私の考えた言葉なんだけどね」


 いたずらっぽく双葉は微笑んだ。

 そうなのか。事実を基にしているような小説なのでどうもそこらが曖昧になってくる。

 実在の人物とは一切関係がありません、ってわけじゃないのか。

 作者にとってはしてやったりという感じなのかもしれないが。


「退屈ってのはね、幸せってものが誰にとってもだいたい同じならそれはずいぶんつまらないなーってそれだけだよ。それならあってもなくても変わらないんだからそんな幸せしか感じられない奴はいらないんじゃない?って話だけどねー」


 そうにこやかに言って双葉はコーヒーを美味そうに口にする。

 随分過激な意見が飛び出したような気もするがそれもそうか。

 みんなが同じ顔をしている様子はいかにも気味が悪い。

 だからいらないってことにはならねえだろうが。


「ねえ赤江のお兄さん」


 無邪気な笑みで、双葉は言う。


「小説に出て来る兄貴の空虚って言葉もさ、兄貴が実際にそう言ったわけではないけど兄貴ならそう言うだろうなーと思って私が空想した言葉なんだね。そこで疑問なのだけど、赤江のお兄さんだったらそこに何という言葉を入れるだろうね?」


 そう言ってわくわくした目つきでこちらを見つめてくる。


「そうだな。俺は……」


 そう言って考え始めようとした俺を双葉の言葉が遮った。


「あーいいんだね答えなくて!次の楽しみがなくなっちゃうからね」


 そう言うと同時にチャイムが鳴った。続けて下向を促す放送が流れる。

 もうそんな時間か。

 それを聴くと双葉は慌てて飛び上がり、バタバタと片付けを始めた。


「早く施錠しないと部活動停止させられちゃうんだね。ほら、赤江のお兄さんも早く出て出て〜」

「おう。こんな遅くまで悪かったな」


 俺も座っていたパイプ椅子から立ち上がる。


「そういや、次ってことはもう続きを書いているのか」


 そいつは楽しみだな。

 そう俺が内心思うと双葉は微笑んだ。


「ふふん。そうなんだね。密室トリックは?犯人は?次回謎解き編乞うご期待!」

「そんな内容じゃなかっただろ」

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