6.

「おおー、やってるね」

「感心してる場合じゃないちゃ」


 旧新開マンション、三階。

 赤江と日下が打ち合っているまさにその瞬間、その場所で二人の影が柱の隅から打ち合う赤江と日下の姿を見ていた。

 一人は黒の長髪の紳士然とした男、もう一人は短髪にバンダナを巻き作務衣にタンクトップという珍妙な姿の青年である。

 男の名は、乙屋おとや等式としき

 青年の名は、乙屋ヒビキ。

 ともに裏社会の仕事を請け負う殺し専門集団、『乙屋』一族に属する者たちである。

 といっても、彼らは怪異の世界ではなく主に人間同士の裏社会の者である。場違い、お門違いの二人はそれでも逃げるでもなく鬼と剣士の打ち合いを見ている。


「すごいねえ、最強の始末屋伝説!さっきまであの日下の若いのに押され気味だったけど今や互角以上に打ち合っているよ。攻撃が最大の防御とはこのことだね!」

「ATフィールドでも全身に張り巡らしとるがか?ていうかなんでお前が無邪気に観戦しとるがやちゃ……」


 やれやれと首を振ってからヒビキは物騒な光を目に浮かべる。


「で、俺らは今回あいつを仕留めればいいってことながか?」

「馬鹿だねえ、ヒビキは!」


 公然と馬鹿呼ばわりされたことにヒビキは特段何も感じなかったが、一つだけ思ったことがある。

こいつにだけは言われたくない。


「うるせえ、馬鹿はお前だ。どういうことやちゃ」

「少しは考えて発言をしようねってことさ。相手は最強の鬼なんだよ。僕らが十把じっぱ一絡ひとからげでかかったところで血を吸われてジ・エンドってところさ」


 その様子を想像してしまい、まんざら洒落でもねえなとヒビキは思った。


「じゃあ、どうするんやちゃ」

「生き残るための歩み寄り……、その最善の方法は……」


 しばらく等式はこめかみに手を当てて考えていたが良案が思いついたのか人差し指をピンと立てる。


「……交渉、かな」



 一日前。


「何やちゃ、それ」


 首を傾げてそう言ったヒビキに等式は言った。


「やっぱりヒビキも知らないんだね!いやー、ヒビキに知らないことがあるなんてね!」


 何故か異様にハイテンションで。


「買いかぶるなま。情報収集は俺の得意分野だが、俺にも知らんことぐらいあるちゃ。知らんことの方がむしろ多いと思っている」

「無知の知ってやつだね!」

「ソクラテス」

「正解!」


 ヒビキは楽しそうな等式の様子を見てはあ、とため息をついた。


「話を戻せ。『人を呑むマンション』ってのは何やちゃ」

「うん、最初から説明するね」


 等式は頷いて語り始める。


「街外れに開発が途中で中断になった高層マンションがあるのは知っているかい?」

「ああ……。確か『新開マンション』とかいう名前やなかったか」

「それが今言った人を呑むマンションなんだよ。いかにもその手のマニア受けしそうな、入ると人が消えちゃう――、行方不明者を多数生み出しているマンションらしくてね」


 ふん、とヒビキは相槌を打つ。


「オカルトには興味ないちゃ。……それは、どっかの殺し屋の居所アジトながか?」


 顔を苦くして、ヒビキは問う。


「それはまだどうもね、と言いたいところなんだけどどうやら違うらしい。一般人はおろか、殺し屋連中も立ち寄らないいわくありげな所でね。今は一種の中立地帯となっているらしいよ」

「何だよ、違うならそれでいいがじゃないのか」


 表情を緩めるヒビキに等式は首を横に振りながら言う。


「ところがそうも言っていられない事態が一つ起こってね」

「何やちゃ」


 ヒビキは何やらその歯切れの悪い言い方に嫌な感じを覚えて顔をしかめた。


「単刀直入に言うと、私が依頼を受けた標的がそこに紛れ込んで、まんまと消えちゃったらしいんだよね」


 ヒビキはそのあっけらかんとした言葉に、しかし重いものを感じた。


「それは……。まずくないがか?」


 ヒビキは渋い顔をする。

 等式やヒビキが請け負う裏家業は、信用と依頼内容は絶対順守というルールから成り立っている商売ビジネスなのだ。

 シリアスでシビアなこの世界は、ルールにたがう者には死を、が当然である。


「まずいね。非常にまずい。そしてもう一つ」


 等式は二本の指をピンと立てた。


「依頼のダブルバッティングだ。どちらかというと問題はこっちでね。私がヒビキについてきてほしい理由はこれさ」


 一旦言葉を切ると、等式は言った。


「何と今、新開マンションという舞台にかの『赤鬼』が現れるらしい」


 その名称を聞いたヒビキの顔に緊張が走った。


「『赤鬼』……!なんで、こんな時に」

「私が聞きたいくらいさ」


『赤鬼』。その二つ名で語られる存在をヒビキは何かの機会に耳にしたことがあった。

 曰く、怪異でありながら怪異を狩る、異端で不死身の専門家。曰く、その気性は残酷で冷酷にて酷薄。その激情に似合う赤を好んで身につけ、鬼神のように強いことから『赤鬼』の二つ名が付いた。そして、『赤鬼』が通った後にはそこにあったものの残骸だけが残る、という不穏で危険極まる噂も。


「やべえじゃねえか」

「ああ。ダブルバッティングというのはね、この赤鬼と交戦しろというお達しなのさ」

「交戦?」


 その言葉にヒビキは疑問を感じた。

 仕事は完遂、関わったものは全て皆殺しというのが『乙屋』のスタイルだ。

 戦うというそれだけの条件ではまるで殺すことは二の次、どちらでもいいというような口ぶりである。


「そう。今回は『赤鬼を新開マンションから退却させること』というのが依頼人から提示されたルールなのさ。私たち乙屋に差し出された依頼にしては奇妙なことにね」


 うふふ、と等式はいつもの調子で笑みを浮かべる。そして、胸ポケットから数枚の折り畳んだ紙片を取り出した。


「これが今回の依頼内容だ。決行は明日らしいからそれまでに目を通しておいてくれよ」

「それはまた急な話やちゃな」


 そう言ってヒビキは紙片を受け取り、きしし、と獰猛に笑った。


「……ま、ブルっててもしょーがねーしな。相手にとって不足なしってところか」


 ヒビキはそのまま紙片を開いて読み始める。


「ところで今回はどこからの依頼なんやちゃ。それだけの大物狙いってことは、どっかの組織ながか」


「『からす』という裏社会の仕事を斡旋あっせんするコンサルタント集団だよ。ヒビキくんも名前くらいは聞いたことあると思うけど」


 そして、よくぞ聞いてくれたという顔で等式は続けた。


「そこの連絡係が黒羽くろは舞以まいちゃんっていってね……。それはそれは可愛い、ニーハイとスカートが似合いそうな黒髪の乙女、麗しい少女なんだ」



「……交渉って、それはどうするがやちゃ」


 前から少女に異様な関心を示すことは知っていたが、昨日の会話を思い出してヒビキは眩暈がした。ヒビキの『兄』である等式は立場ではヒビキより上の存在だが、こんな奴に指揮権を取らせていいのか悩むレベルの話である。


「おい、ヒビキ。何か失礼なことを考えていないかい?」

「黒髪少女にのぼせている変態ロリコン馬鹿に馬鹿と言われたくないと思っていただけやちゃ」

「何を言っているんだい!君は会ったことがないからそう言うだけだよ。少女はそれだけで存在が素晴らしいものなんだ」


 等式が大仰に手を上げて演説を始めようとするので、ヒビキはそれを制した。


「ああー、わかったわかった。その話は今度聞くちゃ。それに俺は女も子供も嫌いだから、少女の良さなんてのはよく分からん」

「そういう奴が一番ロリコン道にはまりやすいと思うんだけどね……。抑圧されすぎた聖職者が性犯罪に走りやすいようにね」

「きしし……。絶対ないな。断言してもいいちゃ」

「ふーん。まあそれはそれとして……、交渉だけどね。ヒビキ、私はこういう持論を持っているんだ。即ち、礼儀正しく接すればどんな相手も警戒心を解いてくれる、とね」

「はん。それが本当なら世界平和はとうに実現しとるちゃ」


 自信ありげに語られた等式の持論に、やれやれと言った感じでヒビキは肩をすくめる。

 それから、暫し固まった。


「ちょっと待て。おいお前まさか……」

「そのまさかだよ」


 等式は話しながら、屈伸体操を始める。


「ここには矢張り何かあるよ、ヒビキ。さっき道すがら確認してきたんだけど玄関も窓も全て何者かに施錠されて、出られなくなっている。非常口も含めてね。まるで建物内部の人間を出られなくして呑み込もうとしているかのように。この建物自体が完全な『閉じられた空間』、クローズド・サークルなんだ」


 沈黙するヒビキをちらりと見やり、等式は続ける。


「ゆえに僕たちはここから出るために協力しなければならない。協力者は多ければ多いほうがいい。私はまだこんな所で死にたくないからね。君だってそうだろう?そして、あっちには僕らが知る限り最高のカードが斬り合いを演じている……。ならば協力を求める手は惜しまないほうがいいだろう」


 そう言って、等式はスタートダッシュを決めた。


「というわけで、誠心に、誠意を込めて、私は自己紹介に行ってくるよ!」


 そして、骨や針金を連想させる細長い見かけによらず体力派であり、現『乙屋』随一の実力者である等式は、見事なフォームで斬り合いの現場に駆けて行った。

 ヒビキはしばらく言葉を失って呆気に取られていたが、我に返ると等式を追いかけ始めた。


「マジかよ……。おい、待て馬鹿!」

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