10.

 綾瀬あやせ瑞樹みずき

『怪異封じ』を生業にする代々続く陰陽師の家系、『綾瀬』本家当主、瑞穂の兄であり今は大学に通う学生だ。

 地獄絵の屏風の件から数日後、喫茶店で見かけたその仏頂面の前に俺はフルーツミックスジャンボデラックスパフェを置く。景気の良い名前だ。


「この店で一番高いメニューだ。遠慮しなくて良いぞ。俺の財布にはそれくらい痛くも痒くもないからな。別に自慢でも何でもなく」

「自慢にしか聞こえないんですが……。では、ありがたく頂きます」


 冷めた目で俺を見て、瑞樹は目の前のパフェを平らげていく。


「ところで、お前は何で女装しているんだ」


 こいつはれっきとした成人男子……、じゃないな、今年で成人だったんだけか?

 とにかくれっきとした男であるのにどこかの高校女子の制服を着ている。不自然なほどに似合っていることがまた何とも言えない。 

 綾瀬の仕来しきたりで男子が物の怪に喰われないために女の格好で生活するとかいうのがあったと思うが、家から勘当された身であるこいつが従う謂われはないはずだ。

 俺の疑問に一言だけこいつは答える。


「潜入捜査中です」


 俺はえてどういうことかは聞かなかった。

 こいつにも色々事情があるのだろう。

 俺が心に棲まう幻の鬼と、自分自身と戦ったようにこいつにも日常が、戦いがあるのだ。


「頑張れよ」

「はあ」


 かちゃんと音をたて、瑞樹はスプーンを置いた。パフェの中身はあらかたなくなっている。

「元気になったようでよかったです」


 そう心にもないセリフを表情を崩さず吐くこいつであるが、俺の周囲の人間の中では比較的マシな人物のように思える。

 あの後、なんだかんだで消耗していた俺はしばらく満足に動くことが出来なかったので居所にしているホテルの予約をキャンセルし、一週間ほどこいつの下宿先で世話になったのだ。

 何でも依頼人であった辺見は大学の教授で瑞樹の担当教員の一人らしく、あの日も倉庫の骨董品の整理をアルバイトとして請け負っていたらしい。


「あの地獄絵、題は『逢魔が時』っていうらしいんですが魔の字が掠れていて『逢が時』ってなってたらしいですね」


 逢が時。逢我時。我に、逢う。

 だから俺は自分自身と戦う羽目になったのか。

 まあ良い経験だったけどな。他人と比べてもしょうがない。人生は常に自分との戦いであるということを学べた地獄行きだった。

 不意に着信音が鳴ったので俺は自前の赤い携帯電話を取り出して通話ボタンを押す。

 それと同時に電話の向こうの相手は頼み事、新たな依頼についてまくし立ててきた。

 ふむ。そういうことなら仕方ねえな。

 頷いて俺は携帯を切る。


「何です?」


 そう会話の内容を聞いてきた瑞樹の前に俺はパフェの代金を置くと立ち上がった。


「悪い、次の依頼が入っちまった。勘定は置いていくから適当に払っといてくれ」


 脇にどけていた刀袋を持って俺は立ち上がる。


「それはいいですけど……」

「ん、どうした?」


 言いよどむ瑞樹に首を傾げてみせると何気ない口調でこいつは言った。


「いえ。何だか赤江さん楽しそうだと思って」


 俺は目を一瞬見開いてから、「そりゃそうだ」と言う。


「俺は現在(いま)が一番楽しいっていう性分なんだからな」


 瑞樹に手を振って俺は喫茶店を出る。

 今日という日はこれから。まだ始まったばかりだった。


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