7.
遠い昔の風景を見た。
まだ俺が山に住んでいた時。木になった果実を頬張り、獣を狩って生きていた頃。
そこには俺以外の人間はいなかった。
少し前は盗賊の真似事をして生きてきた俺だったが団体行動とやらが性に合わなかったようだ。略奪、強盗ありとあらゆる悪事を繰り返し、襲い回って、暴れ回った。それからすぐにそれに飽きた。そんな俺は後腐れがないよう仲間を皆殺しにして居所にしてきた里を離れて来たところだった。
その日暮らしその日暮らしの
山は静かだった。
たまに風と鳥の鳴き声がするくらいで。
一人は孤独だった。
別にそれに何とも思ってはいなかったが。
俺には何もなかった。
そうこうしているうちに雨が降ってきた。飲み水が確保できるのはいいことだが、濡れていると体が冷える。
顔を
不意に誰かが俺にみすぼらしい傘を傾けてきた。俺はその時、驚いたのだと思う。人の気配はなかった。
けれども、山法師の姿をしたそいつは確かに俺の後ろに立っていて挨拶の声をかけてきた。
こいつが俺に意味を与えた。
無意味で無感動で無関心な。
いてもいなくても同じものであった俺に、存在の意味を。
その日は全てを押し流すように。
長い雨が降る日だった。
……長い夢を見ていた気がする。
目が少しずつ開いて、暗闇の世界から浮上する。
結論から言えば、俺はどうしようもないほど生きていた。
未だ覚醒しきっておらず、冗談じゃなく死ぬところだったが九死に一生を得ていた。
俺は血の池地獄の文字通り血が溢れそうな溜池まで、無意識に這いずり回って顔を突っ込み血を飲み干すことで足りなくなった養分を補給していた。自分自身のヒーリングを行っていた。
色々なものが入り交じり、正直腹を壊しそうな非道い味がしたがないよりはましだ。傷が徐々に塞がっていくのを感じた。
それでも胸に空いた穴、刀傷は何もないように振る舞える程度であるが正直痛い。
彼岸に、火鉈。
情けないし、居たたまれない。あいつらにも見捨てられたか、と思った。
腹ばいになっていたら傷が痛むので仰向けになって空があるべき場所を眺める。相変わらず赤い霧と工場からの排煙のような対流が天蓋には漂っていた。
そして、ここにいるのもいいか、と一瞬でも思った自分に驚いた。
俺は怪異だ。人間が治める此岸の世界では文字通り邪魔者である。彼岸の、地獄の世界にいたってどうせかわりはしまい、とそれぐらいの気持ちだったのだと思う。しかし、それは何か違う気がした。
誤ってはならないことを誤ってしまったような。一体何故だろう。
その時、頭上から声がした。
「よう」
視線をそちらに向けると、例の生意気な赤い子供が立ってこちらを見下ろしていた。
「だから言ったんだよ。なめてたらお前でも負けるって」
そう言い放すこいつ。やれやれと首を振る仕草にも見覚えがある。自覚がある。
やはり、確信した。
こいつは昔の俺なのだ。
大方想像が付くだろうがこの頃(たぶん鬼に成り立ての頃)の俺は可愛らしさの欠片もないガキだった。
世に拗ねていて、無愛想で自他共に傷つけることでしかアイデンティティを確立出来ないような。
そう、拳で殴り合うくらいしかコミュニケーションの方法を知らず、口を開けば相手には「くたばれ」としか言わない。
自損事故のようなガキだった。
「何だよ、笑いに来たのか」
そう俺が自嘲気味に声をかけると無表情に俺を見下ろし、見下した態度でそいつは言った。
「別に。お前が這っているのが見えたからくたばったなら面白いと思って見に来た」
洒落にならねえだろうが。言っておくけどな、お前が俺ということは今の俺が死んだら、お前が俺の年に追い付いた時に死ぬのが確定っていうことなんだぞ?
いかん。頭が混乱してきた。まだ血が足りてないのか。
「世界はまだ同じか」
突然子供が口を開いた。
何だ今のは。質問か?
「同じってどういうことだ」
俺が尋ねると俺の視線から逃れるように子供は目を逸らした。
「そうだな……。俺は何かが変わるかもしれないと思ったからまだ生きている。生きていればこんな無意味な俺にも目的が生まれるかもしれないと。だから、あんたを見かけた時、興味を持って声をかけた」
「よく一見しただけで俺がお前の行く先だと分かったな」
行く末という言葉はあえて使わない。
それを無視してもう一人の俺(小)は続ける。
「でもお前は今も、こんな場所を一人で這いずり回っている。昔、今の俺と変わらず孤独に、孤高にな。だから問いたい。何か変わったのか。お前は何を手にした」
……難しい質問だな。
俺はこの約千年のことを回想する。出会ったものがあった。別れたものがあった。
ろくでもないことがあったし、痛快なこともあった。
しばらくして俺は子供に応える。問いに対する答えを。
「分からんな。今も昔も俺は変わらないのかもしれない」
絶望して。それでも何かを望んで縋ろうともがいている。
その答えを聞いて子供が残念そうな顔をする。
「だがな」
俺は頬を緩めた。
「勿論変わったこともあるさ。俺は最強の名をほしいままにしているし、これでも意外と友達が多い方なんだぜ?」
どっちも今の現状からは示しが付かないがな。
それを聞いて、子供は目を見開く。
フッと息を吐いて、ため息のようにそいつは言った。
「それを聞いて少し安心した」
少しか。まあ微々たるものでもいいさ。
子供は寝転んだ俺の目線に合わせてここまで座って話をしていたが、頷くと立ち上がった。もう行くのか。
「ここでもう少し修行とやらを続けるよ。ああ、あんたに一つ言うことがある」
そう言ってそいつは俺に告げた。
「お前が一目で分かったのは、俺のこうありたいという姿と一致していたからだ」
それだけ言って過去の俺は再び去って行った。
一瞬、ほんの一瞬で見間違いかと思ったが。
無愛想なそいつは去り際に、僅かに笑った。
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