第6話 悪い夢―紗耶香が助けてと呼んでいる!
夕食をご馳走になってから、時々紗耶香ちゃんと会うようになった。ショッピングにつきあったり、食事をご馳走したりもした。ただ、お腹が弱そうなので食事には気を使った。可愛い女子大生とのデートは楽しい。
今日は仕事が忙しくて帰宅は10時を過ぎていた。今週末には紗耶香ちゃんを誘ってどこへ行こうかと考えている。お陰で充実した生活ができている。
夜中に夢を見て目が覚めた。いやな夢だった。夢の中で誰かが僕に助けを求めている。悲壮な叫び声がする。声の方へ行くと少女が泣いている。顔が分かった。
あの中学生の紗耶香ちゃんだ。僕を見て助けを求めている。後ろから誰かが紗耶香ちゃんの手を引っ張って連れて行こうとしている。紗耶香ちゃん! と叫んで目が覚めた。
時計を見ると午前1時を過ぎたばかりだった。いやな予感がした。本当に紗耶香ちゃんが助けを呼ぶ叫びではなかったのか? そう思うと居ても立ってもいられなくなり、飛び起きた。
すぐに着替えて、予備キーと財布、携帯を持って外に飛び出した。行こう! どこへ? とりあえず紗耶香ちゃんの部屋へ行ってみよう。何もなければ引き返してくればいいだけのことだ。
今の時間に電車はもうない。急いでいけば15分くらいで着けるはずだ。小走りで急ぐ。マンションの前に着いた。
キーを入口のボードにかざすと玄関の扉が開いた。キーを預かっていたので容易に中に入れる。エレベーターで12階へ急ぐ。
1234号室のドアのチャイムを鳴らす。返事がない。鍵を開けて中に入る。部屋には夜間灯だけが点いている。
「紗耶香ちゃん大丈夫か? 先生だけど」
やはり返事がない。寝室のドアをそっと開けてみる。布団に紗耶香ちゃんが寝ている。苦しそうなうめき声が聞こえる。大変だ!
「紗耶香ちゃん大丈夫?」
「うーん、痛い、お腹が痛い」
「大丈夫か?」
「おトイレに連れて行って下さい」
抱きかかえると熱っぽい。そのままトイレに連れて行って中へ入れる。中から水を流す音がする。ドアを開けて紗耶香ちゃんが出てきた。今にも倒れそうでやっと立っている。
「血便が出ているみたい。お腹がとても痛い」
「重症かもしれない、救急車を呼ぼう」
「お腹が痛い」
すぐに119番を呼びだす。血便が出てお腹がとても痛いと言っているので病院へと言うと、すぐに救急車が行くので部屋で待っているように言われた。しばらくすると下で救急車のサイレンの音がした。
チャイムが鳴るので部屋のモニターを見ると、玄関に救急隊員の姿がある。すぐに玄関ドアを開錠して12階の1234号室へ案内する。
ドアのところで待っていると、救急隊員がストレッチャーを持って来てくれた。すぐに症状を話す。紗耶香ちゃんは布団で横になっている。
救急隊員が本人に症状を確認している。すぐに病院へ運ぶとのことで、救急車に同乗を頼まれたので承諾した。紗耶香ちゃんはお腹が痛いと言っているので心配だ。
ストレッチャーで運びだした後、部屋の戸締りをした。救急車へ運んで僕も乗り込む。「紗耶香ちゃん、しっかりして、大丈夫だから」と手を握って励ますが、手に力がない。
救急隊員が本部と連絡を取っている。洗足池の都立病院で受け入れてくれるとのことで出発した。15分ほどで到着した。
すぐに診察室へ運ぶ。夜勤の医師が診察してくれた。それから採血やレントゲン撮影、心電図をとるように言っていた。
再度の診察があった。すぐに入院して点滴を開始すると言う。看護師さんが3階の病室へ運んでくれた。紗耶香ちゃんはまだお腹が痛いと言っている。トイレで血便も採取したとのことだが心配だ。
医師から感染性の可能性が高いので手をしっかり洗っておくように言われた。そして面会謝絶と言われた。
それから入院に必要な書類を渡されて、記入して提出するように言われた。入院費用の支払いのための書類などだ。必要事項を記入して提出した。本人との関係とあったので、考えた末、婚約者と書いた。
病室のロビーでこの後どうしようかと考える。まず、紗耶香ちゃんの両親に連絡しなければならない。
紗耶香ちゃんの携帯を持ってきたので、電話番号リストを確かめる。山本家の電話番号らしきものが見つかったので、電話してみる。
しばらく呼んでいるがなかなかでない。真夜中だからしょうがない。ようやく母親らしい声がする。
「山本さんのお宅ですか? こんな夜分に恐れ入りますが、紗耶香さんのお母さんですか?」
「どちら様ですか? 今ごろ」
「家庭教師をしていた合田昌弘です」
「ああ、合田さんどうかしましたか?」
「紗耶香さんが今入院しました。血便が出て腹痛が酷くて」
「ええ、紗耶香は大丈夫ですか?」
「今、洗足池の都立病院に入院しています。当面の処置はしてもらいましたので、大丈夫だとは思いますが、何分真夜中のことですので」
「明日の朝一番で上京しますが、着くのはお昼ごろになります。それまで紗耶香をお願いします」
「分かりました。僕が付いています」
それからいつでも連絡ができるように僕の携帯の番号を教えた。それからナースステーションで入院に必要なものを聞いて、母親に連絡した。二子玉川のマンションから持ってきてもらう必要がある。これでやるべきことはした。
少し疲れた。明日は会社に休暇を申請しよう。朝まで病室の階のフロアーにあるロビーのソファーでウトウトしていた。その時、夢を見た。いつもの夢だけど、僕を呼んでいる人の顔がはっきり見えた、紗耶香ちゃんだった。驚いて目が覚めた。
もう明るくなっていた。看護師さんに紗耶香ちゃんに何かあればすぐに連絡してもらえるように頼んでおいたが、特段何もなかったみたいだ。
ナースステーションに行って、紗耶香ちゃんの様態を聞いたが、お腹の痛みは治まりつつあって、眠っているとのことだった。
まだ、面会の許可はでないとのことだったので、僕がロビーで控えていることと母親が上京してくることを知らせてくれるように頼んだ。
10時になって看護師さんが僕のところへやってきた。午後には検査の結果が出るとのことだった。母親から携帯へ連絡があり、病院への到着はおそらく2時過ぎになるとのことだった。1時になると病室へ呼ばれて、主治医から説明があった。
紗耶香ちゃんの腕には点滴のチューブが繋がれていたが、その時はもう落ち着いていて、僕の顔を見ると嬉しそうに微笑んだ。僕はそれを見てようやく安心した。
診断の結果、病原性大腸菌O157の感染とのことだった。手当が早かったので重症化は免れたという。しばらく点滴して様子を見るが、下痢と血便が治まったら、食事を開始して1週間くらいで退院できるとのことだった。それを聞いて二人とも安心した。
すぐに診断結果を母親に連絡した。母親は今、マンションに着いたところでこれからこちらに向かうとのことだった。面会は家族なら良いとされた。
病室で二人になると紗耶香ちゃんがニコニコして話しかけてくる。これならもう安心と思った。
「先生、私との関係を婚約者と書いたそうですね」
「ごめん、入院の書類を提出しなければならなかったから、そうでも書かないと不審に思われるから、そうした。実際、赤の他人が真夜中に一緒にいるとおかしいだろう」
「看護婦さんから婚約者の方が一晩中、ロビーで心配していましたよと聞きました。とても嬉しくて、ありがとうございます。それにマンションまで駆けつけてくれて、救急車を呼んで入院させてもらって、朝まであのままだったら手遅れになっていました。また、先生には命を助けられました」
「昨晩、紗耶香ちゃんが助けを求めている夢を見たんだ。それでとても不安になってマンションに行ってみたら、紗耶香ちゃんが苦しんでいた。鍵を預かっていてよかった。正夢を見たんだと思う」
「私も助けてと叫んでいる夢を見たの、そうしたら先生が向こうの方から走ってきてくれた。それで気が付いたら先生が枕もとにいたの」
「不思議だね」
「それから、病院のベッドでも夢を見たの」
「どんな夢?」
「いつも見る夢で、誰かを呼んでいる、今まで誰かの顔が分からなかったけど、よく見えるようになって、それが先生だったの」
「僕も今まで同じ夢を見ていたけど、ようやくその顔が紗耶香ちゃんだと分かった」
「夢の中ではお互いに呼び合っているのかも知れないですね」
「そうかもしれない」
2時過ぎに母親が入院のための荷物を持って到着した。
「合田さん、ありがとうございます。また、紗耶香を助けていただいて」
「いえ、偶然です。それに鍵を預かっていたのですぐに部屋に入れたのが良かった」
「合田さんが近くに住んでいると聞いて、紗耶香にそうするように言っておいてよかった」
「では僕は引き上げます。お母さまはしばらく二子玉川に滞在されるんですね」
「紗耶香が退院して元気になるまではこちらにいます」
「それなら、安心です。僕も仕事帰りにお見舞いに寄らせていただきます」
「是非そうしてやって下さい」
高津の自宅に戻ったが、もう午後3時を過ぎていた。手をしっかり洗って一息ついた。でも紗耶香ちゃんを助けられて本当に良かった。
紗耶香ちゃんは1週間後に退院した。それから二子玉川のマンションで1週間療養したあとに、大学で後期の試験を済ませてから、母親と金沢へ帰って行った。
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