第5話 マンションの予備キーを渡された!―夢と現実が交錯する!
また夢を見た。いつもと同じ夢だ。夢の中で僕は誰かを探している。遠くに誰かいるんだけど、呼んでも答えてくれなくて、近づいたら離れていく。
そういえば、紗耶香ちゃんも同じような夢を見ると言っていた。そう思うと、一度会ってみたくなった。昼休みに教えてもらった携帯の番号に電話を入れる。
「もしもし紗耶香ちゃん? 合田昌弘です。元気にしている?」
「はい、先生、お電話ありがとうございます。元気にしています」
「この前の約束、一度二子玉川で会おうという約束を覚えている?」
「はい、覚えています」
「今度の土曜日の午後にでもどうかな?」
「いいです。時間と場所はどうします?」
「二子玉川の改札口に2時でいいかな」
「分かりました。楽しみにしています」
帰りの列車で一緒になってから、もう1か月になる。今年の冬は結構寒い。改札口で待っていると、紗耶香ちゃんが現れた。ピンクのコートがとても可愛い。
「お待たせしました」
「いや、今来たばかりだ」
「買い物に付き合って下さいませんか、夕食の材料を買いますので」
「自炊しているの?」
「はい、外食は体に合わないので、自分で作っています。母もその方が良いと言いますので」
「食べるものに気を使っているの?」
「お腹が弱いので、できるだけ自分で作っています。大学にはお弁当を持って行きます。今日は夕食を作りますので、一緒に食べていただけませんか?」
「いいけど、紗耶香ちゃんの部屋で?」
「はい、両親にも話してあります。1月に帰りの列車で席がずっと一緒になったことや住んでいるところが近いことも」
「何かおっしゃっていた?」
「きっと何かのご縁だ。合田さんは紗耶香の命の恩人でもあるので、大切にしなさいと言われました」
「それで、部屋で夕食を一緒に食べてもよいと言われたの?」
「そうしたいと言ったら、紗耶香の思いどおりにしなさいと言われました」
「両親のお許しがあるのならご馳走になるよ、喜んで」
それから僕はスーパーの買い出しに付き合った。和食を作りたいと言って、魚を選んで買っていた。
スーパーのレジ袋を提げて、二人で紗耶香ちゃんのマンションへ向かう。すごいタワーマンションだ。
セキュリティがしっかりしている。これなら両親も安心だろう。エレベーターで12階へ。1234号室、覚えやすい部屋番号だ。
紗耶香ちゃんが部屋を案内してくれた。部屋の造りは2LDKで10畳ほどのリビングと対面のキッチン、バス、トイレ、8畳ほどのメインベッドルームと6畳ほどの部屋。
6畳の部屋が紗耶香ちゃんの勉強部屋になっていた。昔の紗耶香ちゃんの部屋の面影がある。8畳の部屋はがらんとして何も置いていない。ここを寝室にして布団で寝ているそうだ。親が来た時も一緒にここで寝ているという。これなら両親が泊まっていける。
リビングに戻ってソファーに腰かける。僕が腰かけるとすぐそばにくっ付いて紗耶香ちゃんが腰かけるので、慌てて少し離れて座り直す。
「ここならゆっくりお話しできます。4時ごろから夕食の準備をします。今日はゆっくりしていってください」
「そうさせてもらうよ。いいところだね」
「父には随分我が儘を聞いてもらいました。感謝しています」
「それなら、しっかり勉強しないとね」
「父は早めの結婚を勧めています。理由は良く分かりませんが、早く結婚すべきだと言って」
「早く孫の顔でも見たいのかな?」
「そうでもないようで、とにかく早く結婚させたいみたいで、大学よりも短大を勧めていました」
「紗耶香ちゃんは結婚をどう考えているの?」
「高校の入学試験に合格したことが決まった時に、私が先生に言ったこと覚えていますか?」
「お祝いに行ったときかな、僕のお嫁さんになりたいと言ってくれた」
「覚えていてくれて嬉しい。今もそう思っています」
「ええ、それはありがたいけど、もう少し世間の男性を見てからでもいいと思うけど」
「先生はどうなんですか?」
「紗耶香ちゃんみたいな可愛いお嫁さんが欲しいと思っているけどね」
「それなら、いいじゃないですか」
「紗耶香ちゃんが大学を卒業してからでいいと思うけど」
「そうですよね、その時はよろしくお願いします」
「ああ」
このまま会話を続けていくと、二人の気持ちが高ぶってとんでもないことになりそうなので話題を変える。
「ところで列車の中で話した夢のことだけど、電話をかけた前の晩にまた同じ夢を見たんだ。紗耶香ちゃんはどうなの」
「私はここ1か月程、毎晩同じ夢を見るようになりました」
「どんな夢?」
「顔が見えないけど、とても近いところから、誰かが私を呼んでいるの、とても懐かしい声で」
「夢では顔を見てみたいと思うけど難しいね、意識してもダメかな」
「私も顔が見てみたい」
4時になったので、紗耶香ちゃんが夕食の準備を始める。確か和食を作ると言っていたけど大丈夫かな?
「夕食を作る間、テレビでも見ていて下さい」と言われたけど、おもしろい番組がない。
外を見るとまだ日差しが残っていて、夕暮れにはまだ時間がある。ただ、12階だけあって景色が良い。多摩川の上流と山々が見える。
いつの間にか眠ってしまったようだ。夢を見た。いつもの夢だけど、近くで女の子が僕を呼んでいる。一瞬顔が見えた。紗耶香ちゃん!
揺り起こされて目が覚めた。紗耶香ちゃんが僕を揺り起こしている。夢と現実が交錯する。
「夕食の準備ができました」
「ああ、夢を見ていた」
「どんな夢?」
「いつもの夢だけど、僕を呼んでいるのは紗耶香ちゃんだった」
「だって今、先生を起こしたのは、私がだから」
「そうだよね。ううーん、ごちそうになるかな」
テーブルには和食のフルコースが並んでいた。吸物、刺身、焼物、酢の物、炊合、蒸し物、揚げ物、ご飯とお味噌汁。
「すごいね。全部今作ったの?」
「はい」
「いただきます」
「お口に合えばいいですけど」
「おいしい、料理はどうして覚えたの?」
「母が教えてくれました」
「これならお嫁に行けるね」
「褒めてもらえてうれしいです」
味付けが良くておいしかった。母親が毎月上京して来るそうで、1週間ほど滞在して帰って行くとのこと、その間に料理を教えてもらっていると言っていた。夕食を終えた後、紗耶香ちゃんはしばらく座ったまま動かない。
「疲れたんじゃないかい、頑張って料理していたから」
「そうかもしれません」
「じゃあ、後片付けは僕がしよう、ソファーで休んでいて」
「すみません、そうさせてもらいます」
紗耶香ちゃんは身体が丈夫ではないと家庭教師をしていた時に母親から聞いていた。今でも変わらないのかと思った。僕のために頑張ってくれたんだ。
洗い物は慣れている。研究所では実験器具をさんざん洗ってきた。実験器具の洗いには汚れが残らないように細心の注意を払うが、食器の洗いなど簡単なもんだ。すぐに洗い終えて、布巾でふいて、棚にしまう。20分くらいで終了した。
ソファーを見ると、紗耶香ちゃんは眠っているみたいだった。寝顔が可愛いので、しばらく見とれている。紗耶香ちゃんが言っていたとおり、できればお嫁さんにしたい。しばらくするとうなされているようなので、そっと揺り起こした。
「うなされていたみたいだけど」
「眠ってしまって、いつもの夢をみていたの」
「どんな夢?」
「誰かが私を呼んでいたので、よく見たら先生だった。でもすぐに私の名前を呼びながら離れていくの、だから行かないでといいながら、追いかけていました」
「僕だった? でも今揺り起こしたのは僕だから」
「そうですね、でも夢と現実が入り混じって混乱しています」
「目が覚めたところで、おいとまするよ、今日はご馳走様、後片付けはしておいたから」
「ありがとうございました。また、遊びに来て下さい」
「ああ、ありがとう、今度は僕のところへ招待するよ」
「楽しみにしています。ああ、これ、この部屋の予備キーなんです。持っていてもらえませんか?」
「どうして僕に大事なキーなんかを預けるんだ?」
「何か緊急の時に助けてもらわないといけないので、父がそうしなさいと言っていました」
「お父さんがそう言ったのか? 大事な娘の部屋のキーを預けておけと」
「はい。そうしてください。私も安心です」
「うーん、じゃあ、そうしよう。何かあったら携帯へ電話してくれれば、とんでくるから」
「心強いです」
「じゃあ」
紗耶香ちゃんはマンションの玄関まで降りて来て僕を見送ってくれた。二人は似たような夢を見たりして不思議な縁を感じる。でも紗耶香ちゃんの寝顔は可愛かった。今も目に焼き付いている。
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