『法具店アマミ』にて 彼女はこれからもそこにいる

 例え初心者であっても冒険者になるためにはどんな職種であっても、ある程度の体力は必要である。

 ましてや実力者チームのメンバーとなればなおさら。

 そんな一人が力任せに、一住民に向かって平手打ちをかまそうとしている。


 大切な存在を失い、やり場のない怒りの感情に身を任せたキューリアが店主の頬目掛け、渾身の力を込めて平手打ちをしようとする。


 まともに食らえば店主はただでは済まないし、命の保証だってできない。

 近くにいる『ホットライン』のメンバーでさえ、咄嗟のことで彼女を止められない。

 ましてや彼らより遠くにいるウルヴェスも、瞬間移動の魔術をもってしても間に合うかどうか分からない。


 彼女が振り下ろした右手の平手打ちは、店主が身構える時間すら与えない。


 が、彼女の右の手のひらは、店主のほほと接触が出来ない。

 接触寸前のところで右手は止まった。


 キューリアは目を丸くする。

 頬に当てるどころか、まるで右手が硬直したかのように上下左右、どこにも動かすことが出来ない。


 店主にしか見えないセレナが、キューリアを思いきり睨みつけながら、右手でキューリアの右手首を握りしめ、押さえつけていた。


『テンシュ、覚えてる? 私がテンシュに最後に伝えた言葉。私言ったわよね? これからは私があなたを、ずっと守ってあげるって。肉体から解放された魂の力、肉体が育てた感情の力と精神力。そのすべての力を以て、ウルヴェスよりももっと大事に守ってあげる。そして、あなたの大切なものも一緒に守ってあげる。誰が相手になったとしても、私は絶対に負けることはないから安心していいよ』


 セレナが力を込めて放った言葉は、目に見えない者達の耳にも入るという奇跡を起こした。


「え? 今の……セレナ? セレナ、どこにいるの? ひょっとして……私の手を掴んでいるの、セレナなの?!」


 キューリアから怒りの感情が抜け落ちた。

 自分の手首を見る。そこには人の手の形に圧迫された跡が残っている。

 いつの間にか拘束が解かれ、キューリアはまじまじとその手形を見つめる。


「……この手の大きさ……セレナ……。セレナ、どこ?!」


 悲鳴を帯びたような声を出すキューリアは、半ば放心状態でセレナの姿を探すためあちこちを見まわす。

 しかしそれはキューリアばかりではなく、『ホットライン』全員、そしてウルヴェスさえもくまなく店内を見まわす。

 天流教の教主でもあるウルヴェスも、命を失ってもこの世に留まることが出来た者の声を聞くのは初めての経験だったようで、相当狼狽えている。


「わ、妾の代わりに守る、じゃと? セ、セレナ嬢! ど、どういうことじゃ!」


「テンシュを守ってくれるってのは分かる。だがテンシュが大切にしているものも一緒に守るって……いうことか?」


「……ね、ねぇ、テンシュ! セレナ、セレナはいるの? お話しさせて! 今のどういうこと?!」


 ウルヴェスばかりではなく、『ホットライン』全員がセレナとの会話を求めている。


「あぁ、えっとセレナが言うには、ちょっと興奮したとか。まさかこいつが思いっきり俺にビンタ食らわすなんて思わなかったから、こっちもちょっと怒っちゃって、思いっきり手首握りしめちゃったって。それはごめんって謝ってる」


「……どうして」


 カウンターに両手をついてうなだれているキューリアが力なくこぼす。


「どうして私には見えないの……? どうして私とお話ししてくれないの……」


「そりゃセレナに聞くまでもねぇな。俺でも分かる」


「……どういうことよ、テンシュ。私とお話しさせないってこと?!」


 再び怒りの感情が目に込められる。


「さっきセレナに同じことを言ったんだが」


 店主はその目に合わせることはせず、カウンターの台を見つめながら言葉を続ける。


「ウィリックを失った夜のセレナと今のお前、おんなじだな」


「そ、そんなこと……」


 キューリアは動揺する。

 セレナに指摘したことがそのまま自分に返ってくる。

 キューリアは言葉を失い、ただ涙を流すだけ。


「お前さ、セレナの抱き枕、見たことあんだろ? そいつ……リメリアか、と一緒に来て、一回めちゃくちゃにしたろ?」


 思い出し笑いでやや顔がゆがむ店主。昔話で懐かしむ顔である。


「お前はセレナを、抱き枕みたいに扱ってるんじゃねぇか? そしてあの時のセレナもウィリックを同じように扱った。だからそんな怒りが出る。抱き枕なら思う通りに扱える。だが抱き枕はお前の好きなように抱かれたくなかった。触り心地がよく抱き心地がいい抱き枕が、好き放題に抱きしめられたくないっつって抱き枕が逃げ回ったから。当然だ。好きにできる抱き枕だと思ってた相手は、自分の意志を持つセレナだったからな。そしてあの夜のウィリックも、ウィリックだったから」


「謎めいた哲学っぽいこと言われてもな。要するに自分の思う通りのことにならなかったからってことだろ?」


「それだけじゃねぇ。嫌がる抱き枕に、ごめんとか、今度抱きしめさせて? とか相手の思いを尊重するようなことがなかったから。だからお前にはセレナは見えない、と俺は思う」


 キューリアの方を後ろから叩くブレイド。

 キューリアは振り向く。


「テンシュがセレナに対して、好きなんて言葉を使ったことは一度もない。せいぜい相棒呼ばわりしたくらいだ。そしてお前はセレナのことが好きだった。まぁ俺達もそうだったけどさ。セレナが俺らの前に現れず、テンシュにしか見えないし会話もできない。好き嫌いや恋愛感情の有無の問題じゃなかったんだよ」


「好き嫌いは関係ないってどういうこと?!」


「例えばセレナとウィリックだが……。時々二人が一緒にいるところを見たことあったけど……」


 ブレイドは、セレナがいそうな空間に目をやると、言うのが申し訳ないという顔をする。


「ウィリックをセレナが一方的に追いかけてるとしか見えなかったんだよな。……お前も、セレナを追いかけるけどセレナはテンシュ、そしてほかの人の方も見てる。そんな感じだ」


「テンシュはセレナの方を向いてるとも思えなかったけどな」


 エンビーが腕組みをしながら口を挟む。


「だが……相棒宣言する前から思ってたんだが……互いに尊重し合う姿勢は見えてたぜ? 初めてスウォードがテンシュと会った時のこと覚えてねぇか?」


「あぁ、確かキューリアを押しのけて、道具の素材のことを……」


「俺の力をもってすれば、何でもつくれるぜって姿勢じゃない。互いに信頼できる分野を尊重して、互いに依存もすることなく互いに信頼する。だからこそ、おそらくテンシュのそばにセレナがいる。そういうことなんじゃないか? まるで今の俺らみたいな感じかな」


「しれっと照れくせぇこと言ってんじゃねぇよ」


「いいなぁ……。私もそんな関係を持てる人と知り合いたいなぁ」


『ホットライン』のメンバー同士で会話が盛り上がるのを見たシエラが寂しそうに呟く。


「お前の愚痴は成長しねぇな。道具屋やりてぇのか友達欲しいのかどっちだよ」


 呆れた店主のぼやきの中身も変わらない。

 それを見てセレナは苦笑い。


「盛り上がってるところすまんが」


 ウルヴェスがカウンターにゆっくりと近づく。


「妾のテンシュ殿への役割も終わりにしても良いかの?」


 聞き返す店主に、ウルヴェスは穏やかな笑みを浮かべる。


「セレナ嬢が妾を超える力でこの先ずっと店主のことを守ってくれるんじゃろ? 妾の望みは、テンシュが何事もなくこの世界で寿命を心身ともに健康のまま全うしてもらうこと。妾の罪滅ぼしの行為を横着するわけではないが……」


「あぁ、それもそうだ。法王を引退しても教主っていう、人の上に立つ立場であることには変わりねぇ。こっちも割と気を遣うこともあったしな。どうよ、セレナ?」


(うん、テンシュのことは任せて、ウルヴェス。この人の一生を守っていくから)


「だそうだ。って、こいつの声は聞こえなかったか。俺の警備もやってくれるんだと。『死が二人を分かつまで』なんて言葉があるが、その表現を借りるなら、さしずめ『死を迎えて一緒になれるまで』ってとこかな」


「ごめん、テンシュ、なんかもうそれ、ノロケにしか聞こえない。死んでも一緒って、ずいぶんロマンチックなカップルになったもんだわ」


 ヒューラーがうんざりした顔でぼそりと呟いた。

 それを聞いてふくれっ面になるキューリアは、もはやそれを嫉妬としか言えないと周囲から突っ込みを食らっている。


「……ま、私みたいに暴走する奴がこれからも現れないとも限らないから、私達からもセレナはテンシュのそばにいるってこと、あちこちに伝えとくから。……じゃセレナ、また来るわね。これからもよろしく」


(うん、待ってる。今までのようにいつでも来てね)


 何もない空間に向かって寂しそうに声をかけるキューリア。

 見えてないはずのセレナとちょうど視線が合うように向き合っていた。

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