休店直下 2
『法具店アマミ』の世界から突然の訪問者は、同じ人間の種族のワイアット。
着ている服もどこで調達してきたのか、どこかの宅配会社のような制服。そして手にしている分厚そうな茶色い封筒。従業員は、サインをわざわざ店主に求めること以外に不審に思ってはいないようだ。
これから昼食会に出かけるところ。そして向こうの世界に足を向ける気は全くなかったこと。
一芝居打ってサインくらいは付き合ってやり過ごすつもりではいたが、彼の目が、向こうの世界で切迫している事態に追われていることを語っていた。
「すまん、みんな。ちと急用思い出した。で、午後の仕事は一時間……いや、ちょっと越えて遅刻するかもしれん。二時間はかからんと思う。私の昼食会欠席にしてくれ。会計はいつものように、領収書頼む」
東雲と九条は驚く。一時間も越える遅刻をしなければならない用事はあったのだろうか。仕事上のミスによる急用なら、これから役割分担について諮っている店主が一人で責任を負う必要はない。
とは言え、それについて言及するようなことでもないし、遅刻せずに済むかもしれない。
「なるべく早めに済ませてくださいね」
九条から忠告が出て、従業員全員が店から退出した。
怒髪天を衝くとはこの店主の形相のことを言うのだろう。
「てめぇ、どういうつもり……」
「テンシュからの叱責は後回しにしていいですか? 存分に承りますので。それよりも深刻な事態が発生しました。セレナさんと調査員二名が昨日の午後三時過ぎ、調査中に意識不明になったという伝聞が入りました。力を貸してください」
「黒い小男が代わりにやってんだろうよ。もうこっちには関係のないこった。ようやく俺の生活も安定して……」
ワイアットのいつものラフな話し方が一変していた。それだけ緊迫した異常事態が発生ということなのだろうが、店主は受け付けない。いらだつワイアットが感情を爆発させる。
「あんな男が何をやれるって言うんですか! 店の中を好き放題引っ掻き回して、みんなから大ヒンシュクかってますよ! それでも居座り続けてるんだからいい度胸してますよあいつは!」
「知るか! なんで俺がてめぇから怒鳴られなきゃならねぇんだ! あいつが決めたことだろうよ! セレナからも通知はねぇ! 俺がしゃしゃり出る方が筋が違うって話だろうが!」
ワイアットの顔は絶望の色が濃い。
「す、すいません。誰もまとめられなくて……『ホットライン』も他のチームもみんな店に集まってるんですが意見もまとまらず、あの小男は調子のいいことばかりしか言わないし……」
「で、俺を連れて来いって結論が出たってことか。それこそ調子のいい話だ。地理も何も全然知らねぇ俺に何を」
店主の言葉にワイアットは否定する。
「俺がここに来たのは俺の独断です! 俺がここに来れることはセレナさん以外誰も知らないから、テンシュを呼ぼうって提案が真っ先に出たんだけど誰も呼び出せない。それでも俺はみんなにそのこと知らせるわけにもいかない。セレナさんも俺しかいないときには、テンシュが姿を見せなくなってからは、来てほしい手伝ってほしいってしょっちゅう口にしてましたし。俺じゃまだ力になれないし……」
人間は誰でも、すべてにおいて好きか嫌いかはっきりさせることは難しい。
存在するだけならば毒にも薬にもならない物は世の中にたくさんある。
店主にとっての『法具店アマミ』が存在する世界も同様である。
だが、その世界の住人たちが店主に近寄るとなると話は別。
セレナには釘は指してはいるが、ワイアットにはそこまで詳しく説明していなかった。店主の世界に移動できることを周りに伝えなかったのは店主にとって幸いだった。
いつかは向こうの世界と断絶しなければならない。だがそれまでは適度なガス抜きも必要になる。
そして、ここで彼の頼みを断ればこの後どうなるか予想がつかない。
だがそれでも、向こうの世界の住民が決めつけたことには、どんなに向こうの世界に関心を持っていたとしてもそれに従うしかないこともある。無関心を言い張る店主ならなおさらのこと。
店主はワイアットの胸ぐらをつかんで引き寄せる。
「てめぇのケツぐれぇてめぇで拭きやがれ! 畑違いの、しかも別世界の職人に頼って解決できたとしてもその世界に未来はあんのか?! そんなことでどうすんだてめぇ!」
小声ですごんだ後、店主は掴んだ手を突き放す。
向こうの世界でのいざこざに巻き込まれるのは二度とご免。
誰もが混乱している最中、この男はそれでもこっちとコンタクトを取れる方法をみんなに内緒にし続けてきた。
そして自分の判断で、自分だけ責任を背負って店主に怒鳴られ続けた。
冒険者としてもまだ未熟な者の一人ができる精いっぱいの貢献。
この事態を切り抜けたら、こいつにはこの後、いろんな意味で成長する時間をたくさん持つことはできるだろう。
こっちの世界の人間の助けなしに。
ならばその覚悟に免じて。
移動するのは今回一回きり。
店主はその思いをワイアットに伝える。
このような甘ったれたことは二度と許されない。
そんな覚悟を持ち、ワイアットは小さく頷いて持っていた荷物を封を開ける。
中身はワイアットの、向こうの世界での装備品。
変なところで気が回るワイアットの着替えが終わり、二人で向こうの世界に移動した。
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