プロローグ:異世界サイド
天流法国。
『天美法具店』が存在しない世界にある国々の一つ。
その国では大きな内乱の種を抱えていた。
「副隊長! ……じゃなかった。隊長代理! 第一陣の突撃準備が完了しました!」
「準備に抜かりはないな? ……よし。……本部、応答願います。こちら一番洞窟部隊。『巨塊』への第一次突撃準備、武術と魔術の両面全て完了しました」
『全部隊の攻撃準備が完了するまでそのまま待機!』
「了解」
武器や防具で身を包んだ大勢の者達が縦横に列をなして、日光が届かない洞窟の中で待機していた。
その先頭、入り口に一番遠い位置にいるのは二人。相手を「隊長代理」と呼んでいた者と、彼よりも頭一つ背が高い人物。
隊長代理は彼らよりもさらに頑丈そうな鎧と兜を身に着けている。
その人物は、グローブの上からはめられた宝石の指輪の緑色の光が治まるのを見て口元から離した。
小声での通信を終えたあとは、洞窟の中は道端に規則正しく置かれたランタンの、かすかなオレンジ色の明かりだけが再び残った。
「なるべく声をたてず、静かにこのまま待機」
隊長代理を務める人物はセレナ=ミッフィールというエルフ種の女性。
彼女はそばにいる兵達に指示を出した。
彼らの了解を認めた後、そう遠くない所に位置している『巨塊』と呼ばれる体の一部を前にして一つ深呼吸をした。
長らくこの現場の村の住民達を苦しませ、この国を悩ませ続けてきた魔物を殲滅する時間が近づいてきている。
『巨塊』と呼ばれているその魔物。
塊と表現されているが、実体は粘体であるスライム。
その特性を活かして岩の隙間を縫って地下に潜っているのだが、あらゆる生命体をその体内に取り込み、生命力と魔力を高めて成長していった。
今ではこの巨塊は、土木作業の心得のない者なら到達できないほど地下深い位置に生息している。
しかし、この討伐の現場である人口一万五千人ほどのバルダー村の住人達を捕食できるほど増大していて、いつ襲い掛かるために地上に出てくるか分からない。
そればかりではなく地中で移動するたびに、この村の地面にも、地震として激しく影響を及ぼし始めた。
これまでにバルダー村は、実際に何百人もの命を、この巨塊によって奪われている。
自分達ではどうにもならない。国に、軍に何とかしてほしい、とすがる気持ちを、村長をはじめとする村民ほぼ全員の署名が記された嘆願書や直訴状に託し、法王の元に何度も届けられた。
それに応じた法王は調査団を派遣。その結果、巨塊討伐が国の事業の最優先事項になった。
「ウィリックは大丈夫かしら……。ううん。あの人のことだから、私達よりも順調に準備を進めてるはず、うん」
セレナが心配するその男は、セレナと同郷の親族の一人。
セレナにとって、幼馴染みであり、頼りになり、憧れのお兄ちゃんでもあった。
彼女が冒険者になることを目指したのは、彼は冒険者になるために故郷を出たのを知ってから。
しかしその姿を追っていくうちに、彼の行く先々で功績を挙げた話を聞かされることになる。その度に彼女はため息をつくばかり。
彼に近づくどころか、ますます遠い存在になっていくような気がした。
それでもいつか彼と肩を並べることを諦めずその道を進み続けた彼女。
ウィリックが世界中から生ける伝説呼ばわりされるようになった頃、セレナもまたこの国で伝説級の冒険者となっていた。
こうして、二番と名付けられた洞窟で、やはり第一次突撃部隊の隊長に就いていた彼と
同じ立場に立つことが出来たのである。
この国はこの巨塊の討伐に一度失敗をしている。
その経験を踏まえ、国軍ばかりではなく、そんな実力を誇る冒険者達に討伐隊入隊の募集をかけた。
セレナが心配するのも無理はない。
一番洞窟で突撃部隊を率いていた隊長はその先頭に立ち部隊を引っ張る形で進軍させる役割を持っていた。
しかしその途中で落盤事故が発生した。
この洞窟は巨塊を討伐することだけを目的としていたため、奥に進むにつれ、整備補強の工事がなされていない箇所が増えていたことが原因。
そのために起きた事故により隊長は死亡。代理としてセレナがその任を引き継いだ。
この事故のことは他の洞窟内の各部隊にも通達され、より慎重に作戦を遂行するよう指示が出された。
だが他の洞窟での事故発生の通知はない。セレナは、他の洞窟では何事も起きず作戦を進められているものと判断した。
その判断は正しかったようで、それからしばらくして本部からの通信が入った。
『第二から第四までの洞窟内は被害なく準備完了。第一洞窟内では第一次突撃部隊隊長はじめ五名が事故に遭遇も作戦遂行に支障なく、『巨塊』に向けての攻撃準備完了。そのまま本部からの合図を待て』
セレナは心の中で胸をなでおろす。
しかし態度にはおくびにも出さない。
舞台全体の士気にかかわる場合もある。
そして薄明りとは言え、巨塊の体の一端が少し進むだけで辿り着くところまで進んでいる。
攻撃命令が出る前に、こちらの動きを察知して襲い掛かってくる可能性もあるのだ。
失敗は許されない。
セレナばかりではなく、洞窟内にいる冒険者達や国軍兵士達の緊張も高まっていく。
そんな中で、本部からの指令が流れる。
突撃命令が静かに発せられた。
普通の戦場なら雄叫びを上げながら敵に襲い掛かるだろうが、巨大なスライムには目がない代わりに空気の変化を読み取る能力が非常に高い。
不意打ちは有効な手段だが、それすら見破ることもあり得るのだ。
そして不用意に接触しようものなら一瞬でその体内に取り込まれ、吸収されてしまう。
どの洞窟でも第一次突撃部隊の第一撃は、なるべく静かに、迅速に行われた。
用心深く接近しての第一撃は、どの洞窟でも成功させ、続く第二波も巨塊からの反撃する暇も与えない。
遠距離の飛び道具や長い得物での物理攻撃。一点集中型の魔法魔術によって、目の前にある巨塊の体の末端部分を本体から切り落とし、切り離す。
巨塊の体質は普通のスライムとは違う。
本体から切り離された末端部分は即石化を始める。
つまり切り落とした体が襲い掛かってくるということは有り得ない。
それは事前の調査団の活動報告の内容でも報告されていた。
緊張感が高まりながらも、巨塊を討伐できる手ごたえを、どの洞窟の誰もが感じていた。
たとえ本体がそこから遠く離れた位置であったとしても、その体積は間違いなく減っていくのである。
地下に住む生物をいかに多く取り込もうとも、切断される体積がはるかに多い。
しかしその手ごたえを感じながらも、誰も笑顔を見せない。
その目的にはまだほど遠いのだ。
どんなに油断をせず気を引き締めようが、避けられない出来事は起きる。
石化された巨塊の体の部分が急過熱を起こした。
「うぉっ!」
「なんだこれは!」
「急に温度が!」
部隊内で起きた予想外の現象には、流石に冷静沈着でい続けられる者はいなかった。
「どうした! 何が起きた!」
巨塊に討伐部隊の存在を知られることを気にしている場合ではなくなった。
それは、その異変を感じた兵達にセレナは確認しようとした瞬間に起きた。
洞窟の外には巨塊討伐本部が設置され、この国の王であるウルヴェス=ランダード法王もそこで事態の成り行きを見守っていた。
洞窟内からの通信により、その異変を察知した彼女は、心落ち着けて座っていられる心境ではなくなった。
「何が起きた! 誰でもいい! 報告せよ!」
最悪の事態として討伐失敗の可能性も考えていたウルヴェスだったが、この国で一番の権力者であるということだけでなく、魔力武術、そしてこの世界の極めた叡智を有している彼女ですら予測がつかない事態と現象が起きてしまった。
四か所の洞窟内での同時の大爆発が起きたのである。
しかし洞窟内の状況を伝えてくる部隊はない。
「撤収! 撤収せよ! 後方部隊は洞窟内の突撃部隊の救助に当たれ!」
洞窟からの返事はなくても、こちらからの通信は聞こえるはず。
十年や二十年程度ではない、長い年月をかけて準備をしてきた討伐計画の肝は、高い士気を持つ現場の兵数。
代役が利くことのない数である。準備期間を台無しにしててでも被害は抑えなければならない。
この爆発の理由は、本部にいる者達には全く把握できなかった。
調査の報告にも載ってはいない。
やがて洞窟から兵士達が生還してくる。
どの洞窟でも、配置されていた後方支援部隊八十人は全員無事生還。
しかし高熱を帯びた爆発が起きたが、突入している人数は一つの洞窟に突き約百四十人。その爆発に一番近くにいた各洞窟内に配置されていた第一突撃部隊の約三十人だが、吹き飛ばされて壁に叩きつけられた者は四つの洞窟を合わせても十人にも満たない。第二突撃部隊も含め、残りは行方不明という報告を受けた。
「……村民、そして国民の安全のためにも、この計画は頓挫させてはならん……」
ウルヴェスは妖艶な唇を噛みしめ、巨塊の本体がいるであろうと思われる方を睨みつけながら、誰に言うともなく震えた声で呟いた。
※※※※※ ※※※※※ ※※※※※
セレナは気を失っていた。
が、間もなくして、彼女の知らない言語を話す男の声でその意識を取り戻した。
しかし目に入ってきたのは、彼女がこれまで見たことのない地面、建物、記号。
そして今まで見たことのない服を着た、自分を介抱してくれた男性の姿。
「こ……ここは……ここはどこ? ……そうだ! お兄ちゃん……ウィリックは?!」
敵意を見せたり危害を加えてくる者を討伐したり退治する時に必要な事項の一つは冷静さを保つこと。
しかし部下や仲間がどこにもおらず、自分の命すらその安全が保障できないあの洞窟の中の様子とは縁のなさそうな場所にいた彼女は、そんな心得はどこかへと消えてしまっていた。
どこかの街の中。
空模様を見れば、これから一日が始まることを報せる朝日が昇りかけている。
夕日とは違う明かりでそう判断できた。
「そうだ! それより巨塊はどうなったの?! ……って言うか、あなた……誰? 巨塊の本体……じゃないわよね……。って言うかここ……バルダー村……じゃないのは分かるけど……」
爆発が起きたのは覚えている。
おそらくその爆風で吹っ飛ばされたのだろう。
しかし飛ばされたとしても、奥深い洞窟の中。村から遠く離れた場所まで飛ばされるとは思えない。
彼女は自分の身に何が起きたのか全く見当がつかず、次第に困惑と焦りの思いが高まっていく。
理解できるのは、道端に横たわって気を失っていた自分を、この男性が助けようとしてくれていることくらい。
そして見覚えがあるのは、自分の周りに散らばっている、おそらくは同種の石、そしてそばの建物の前に置かれている巨大な宝石。
巨塊の体を切断した後に石化したものの一部だった。
セレナは目の前にいる、見慣れない格好をした男性を、頭のてっぺんから足のつま先まで丁寧に何度も視線を往復させた。
「……助けてくれたのね。あ……ありがとう……。助けてくれたついでに、ここはどこなのか教えてくれるとうれしいんだけど」
「■×※◎▲?」
セレナは問いかけるが、その男から帰ってきた返事も彼女が理解できない言語だった。
異なる世界に住む二人、『天美法具店』の人種の店主とエルフ種の冒険者セレナの初めての邂逅だった。
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