第77話あらやだ! 腹を割って話すわ!

 カサブランカ王子と腹を割って話す。しかしそのためには五日の時間を要したんや。それは王子がエルフの国の政務や軍務、即位式や結婚式の準備で忙しかったせいでもある。

 そしてやっと時間が取れたらしい。衛兵に伴われて、イレーネちゃんと一緒に王子の私室に入るとそこには王子だけやのうて、ボタン女王も居った。


「やあ。全部イレーネちゃんから聞いたそうだね」


 王子はにこやかな顔で笑っとる。しかし事情を知った今、その笑みがどこか空虚ちゅうか、覚悟を決めたもんに見えた。

 テーブルを挟んで、あたし、イレーネちゃん、カサブランカ王子、ボタン女王の時計回りの順で座った。目の前にはティーポットが一つ、カップが四つ置かれとった。


「まずはお茶でも? ハーブティだよ」

「まあいただくわ」


 王子自ら注ぐ。この部屋にはあたしら四人しか居らん。護衛の者は部屋の外。メイドさんすら居らんかった。

 一口含むと爽やかな味と香りがした。


「……美味しいな」

「そうか。それは良かった」


 そこからしばらく会話が無かった。イレーネちゃんはどこかそわそわしとった。ボタン女王はあたしを見つめとる。


「……うん? どうしたんだい? 殴らないのか?」

「あん? なんやと?」

「イレーネちゃんから聞いたよ。一発殴るって」


 ああ、せやからイレーネちゃんはそわそわしとったんやな。


「後で殴るわ。まずは腹を割って話さんとあかんからな」

「ふうん。腹を割って話す、か……でもいくら説得されても僕は自分の考えを曲げないよ。『平和の聖女』さん」


 どうやらこっちのことを調べたみたいやな。


「そないなあだ名、どうでもええ。あたしは目の前で死のうとしとるのが気に入らんのや」

「君は自殺を否定すると? なんというか偽善者だね」


 王子はにこやかに笑いながらも悪意を込めて言うた。


「君と話をしたいのは僕のほうさ。君はどう考えているんだ? 自分のしてきたことに対して責任を取れるのかな」

「どういう意味や?」

「君が救ったアストの国民。それを憎むイデアルの国民。彼らの感情をどう思っているんだい?」


 それは――誰も指摘してこなかったことやった。


「イレーネちゃんから聞いたよ。彼女の家族はアストの人間に殺された。しかし君はそんなアストの人間を救ってしまった。それに対する罪悪感はないのかい?」


 あたしは王子が興味本位ではなく、イレーネちゃんのために訊ねているのだと感じた。イレーネちゃんの不安気な表情がそれを物語っとる。


「罪悪感なんてないわ。あたしは自分にできることをしたと思うとる」

「その結果、内乱がいずれ起こってもいいのかい? 僕には分かるよ。アスト、いやイデアルの人間が反旗を翻す光景が目に浮かぶんだ。これでも一国の王子だからね」


 なんでイデアルの人間が内乱を起こすのか分からんかったけど、あたしは自信を持って言うた。


「もし内乱が起こったら、そのとき考えればええわ」

「……無責任というか、問題を先送りにしているだけじゃないのかい?」


 あたしは目の前の高慢で自分が頭良いと思いこんどるお坊ちゃまに言うてやる。


「あたしかて、全て救えると思うとらんわ。このアホ」


 ボタン女王が何が言いたげやったけど、手で王子に制されて、黙ってしまう。


「ええか? 人間でもエルフでも、関係ないことやけど、全て救えてハッピーエンドなんてできひんわ。自分の手で救えるのは数えるくらいしかない。いや一人も救えへんこともあるやろ」

「じゃあ君は救えなかった者へ何を想う? 悪かったと懺悔するのか?」

「そこが間違っとんねん。救えなかったら申し訳ないとか当然思うやろ。でもな、それで足を止めることがあかんねん」


 あたしの言葉に王子は何も言えへんようやった。


「あたしは平和の聖女とか呼ばれているけど、全て救えるなんて傲慢やない。むしろ救えなかった人のほうが多いやろ」


 あたしはアストの王子、タイガを思い出していた。


「それでも目の前の死にそうな人間やエルフを救わないほど冷酷やあらへん。せやからあたしは頑張るんや。必死になって助けるねん」

「その結果、大勢の人が死んでも構わないと?」

「そしたらその大勢が死なんように努力するわ」


 あたしは王子に向かって言うた。


「誰かを助けるとか、人として当然やん。戦争を起こしたくないなんて、普通やんか。せやからあたしはこの場に居る。カサブランカ王子、あんたを助けるために、ここに居るんや」


 王子は「僕を、助ける?」と驚いて目を見開いとる。


「どうやって助けるつもりなんだい?」

「とりあえず王位を継いでもらう。そして王として身分を無くすことを宣言するんや」

「そんなことをしたら、キーファーたちの反発が大きいはずだ」

「それがどないしたんや? キーファーたちの反発のほうが死ぬよりツラいんか?」


 王子はそれを聞いて何も言えなくなってもうた。


「まああんたが王の間は完全に差別はなくならんやろ。でも少しは無くなる。次の世代か、その次の世代か、意識が少しずつ変わっていくやろ」

「それじゃ、遅いんだ! 僕はあの子のために、あの母親のために、変えなければ――」

「あんた一人死んだところで、すぐに意識は変わらへんわ!」


 あたしは驚く王子に畳みかけるように言うた。


「ええか。確かに革命軍による政権の奪取で身分制度は無くなるやろ。でも意識は変わらへん。虐げられた者はその恨みを忘れへん。優越感に浸った者はなかなか抜け出せへんのや! それは人間もエルフも同じなんや!」

「う、ぐうう……」

「あんたは生きなければあかんのや。しっかり自分の手で差別のないエルフの国ができるのを確かめなければあかん!」


 最後にあたしは部屋中に響く声で言うたんや。


「死んで楽になれるだとか、悲壮感に浸りながら死ぬとか、そんな中途半端なことをするな! 見届ける覚悟もないエルフなんて、何一つ変えること、できひんやろ!」


 エルフの王子、カサブランカは傷ついた顔になって、それからうな垂れてしまった。


「よっしゃ。最後に一発殴らせえや」

「えっ? ここで――」


 ごちゃごちゃ言うとるカサブランカ王子を立たせて、あたしは思いっきりビンタをした。

 そのまま勢い良く倒れるカサブランカ王子にボタン女王は「だ、大丈夫かや!?」と駆け寄った。


「あたしが何に一番腹立てとるのか、あんたは分かるか?」


 頬を押さえたままの王子にあたしは言うてやった。


「婚約しといて死のうとして、イレーネちゃんが未亡人になるとか、誰一人信用せずに勝手に突っ走っていく態度とか、そんなんやない」


 あたしはびしっと指差して言うてやる。


「自分の母親を利用して死のうとしていることや。あんたは何も考えへんかったんか? ボタン女王は苦しんでおったんやで? 自分が譲位せえへんかったら王子が死ぬちゅうことを理解しながら、あんたに強制されとったんや。この親不孝者!」


 あたしはそのまま王子の私室から出ようとする。


「待って、ください……」


 王子の言葉に、少しだけ待ってやる。

 王子は多分、泣いていたんやろ。涙声になっとった。


「それじゃあ、僕はどうしたら良かったんですか……苦しんで理想を叶えなければいけないんですか……」

「知らへん。あたしに訊くな。反省せえや」


 そう言い残して、部屋から出た。

 振り返ることもせえへんかった。




 それから即位式まで王子と話さなかった。イレーネちゃんとは日を置いて話した。イレーネちゃんは何かを言いたげやった。あたしが訊こうとすると「なんでもないです」と柔らかに言うた。結局はエルフ料理の感想を言い合ったりしてた。クラウスが居たら良かったのに。そうすればいつでもエルフ料理を食えるようになったやろ。


 そして何もできず、何も語らず、何もしないまま、即位式の日になった。

 あたしは即位式には出えへんかった。どうなるか分からんけど、王子が死を選ぶことになっても、選ばなくても、その選択を受け入れてやる気持ちになった。

 あたしはイレーネちゃんと一緒に王座の間の近くの部屋で待機しとった。


「なあ。王子が死なへんかったら、ほんまに結婚するんか?」

「……まあ覚悟はできてますよ」


 イレーネちゃんはにっこりと笑っとる。


「どうしてや? なんか言われたんか?」

「ふふ。ユーリでも言えませんよ?」


 なんやろ。親友が急に大人になってもうた感覚やな。

 あたしはそれから何かを言おうとしたんやけど、言えへんかった。


 王城全体が揺れるような、大きな振動を感じた。


「なんや? 地震か!?」

「ユーリ、机の下に!」


 揺れはすぐに収まったけど、今度は胸騒ぎがしてならんかった。


「イレーネちゃん、王座の間に行くで!」

「は、はい!」


 何故か分からんけど、王座の間に行かなあかんと思うた。女の勘やと思う。

 王座の間の前に来る。

 衛兵が倒れていて、王座の間の扉が開いていた。


「イレーネちゃん、あたしの後ろに……」

「ユーリ! 見てください! あれ!」


 イレーネちゃんには見えたようやった。あたしも恐る恐る覗いてみる。

 そこには――


「……なんでや。なんであんたがそこにおるねん」


 信じられへんものを見た。


 水色の長い髪。肌は黒い。中東風の人種。紫のローブを纏っていた。

 背中からは大きく黒い、コウモリのような――悪魔の翼が生えとった。


 そいつはエルフの重臣を一掃し、今まさにカサブランカ王子の首元を掴んで、殺そうとしとる。


「――っ! なんであんたがそこにおんねん! 何しとるんや!」

「……ユーリ。できれば貴様にだけは見られたくなかった」


 そいつは金色の瞳をこちらに向けた。

 その瞳に映る感情は――何も無かった。

 無感情に無感動に。

 ただただ何も無かった。


 あたしはそいつの名前を叫んだ。


「ケイオス! あんたは何をしてるんや!」


 ケイオスは――応じて言う。


「この国を獲る。ただそれだけのことだ」

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