第九章 本屋編
第59話あらやだ! 本屋に行くわ!
光の月も終わり、暦も風の月となって、徐々に暖かくなってきた。
魔法学校が休日のときやった。
あたしは一人きりで魔法学校の図書室におった。いつもならイレーネちゃんと一緒に行動するんやけど、彼女は今、騎士学校のクリスタちゃんとデート中やった。
魔法学校の修練塔に鍛えに来たクリスタちゃんとそこに居合わせたイレーネちゃんと意気投合したんや。そんで、古都の評判の菓子店に出かけたちゅうわけや。
あたしも誘われたけど、ちょっと確認したいことがあって、断った。新しい友人同士、水入らずのほうがええやろと思うたしな。
そんなこんなで図書室で確認したいこと――治癒魔法の臓器補修の原理ちゅう頭の痛くなることなんや――を勉強中やけど、いかんせん資料が少ない。多くの医学書には魔法ではなく外科的要素しか書かれておらん。
この世界における医学は、治癒魔法とそれに頼らない前世の医学に似たものが混在しとる。一応、医学も学んではおるけど、両者は別の学問やから、どうやって合わせるかが難問やった。
うんうん悩んどると、ぽんっと肩を叩かれた。振り返るとそこにはデリアがおった。
「何難しそうな顔をしているのよ?」
「ああ、デリアか。おはようさん」
「もう昼前よ?」
「へあ!? もうそんな時間かいな……」
デリアは呆れながら「集中力があるのは結構だけど、周りを見なさいよ」と言うた。いつの間にか、あたしとデリアしか居らんかった。司書さんも居らん。
「あかん、お腹が空いてもうた。デリア、何か食べに行かんか?」
「いいけど。それよりユーリ、あなた何を勉強してたの?」
椅子から立ち上がって本を持ち、返却口に投函しながら、勉強していた内容をデリアに話した。
「それ学者レベルの難問じゃない。新しい学問でも立ち上げるつもりなの?」
「……将来的にはそうなりそうやな」
「あなたは何を目指しているのよ?」
そう問われて、はたと気づく。今おる大陸ではもう戦争は起こらないはずなのに、どないしてあたしは勉強しとるんやろか。
一つはおかんの病気を治すためやけど、そのために医学と治癒魔法を融合させる必要まであるんやろうか?
こういうの表す上手いことわざがあるはずやけど、なんやったっけ?
「ま、あなたの人生だから勝手にすればいいわ。平和の聖女さん」
「デリア、それやめてくれや。恥ずかしゅうてかなわんわ」
加えて最近やと学校の暗部を解決したせいで、周りの生徒から尊敬の眼差しで見られることが多い。中には怖がっとるもんもおるけど。
図書室から出て、魔法学校の敷地内を歩く。休日やから食堂は昼やっとらん。せやからあたしたちは古都の食堂に向かっとる。
「デリア、魔法学校の資料じゃ足りひん。もっとなんか、詳しい本がある場所知らへんか?」
「そうね……クサンにある帝国図書館には大陸中の著作が集められているって話よ」
「こっからだと遠すぎるなあ」
「後は……そうね、いい機会だから行こうかしら」
デリアは何か企んどるような悪い笑みをした。
「ユーリ、ガーラン書店って本屋知ってるかしら?」
なんやろ、聞き覚えはないけど、どこかで看板か何かを見た覚えがある気がする。
「知らんなあ。そこにええもんがあるのか?」
「多分あるわよ。あいつなら揃えているはずよ」
あいつ、ちゅうことは知り合いやろか。デリアが他人を気安く呼ぶんはそういうことやろ。
「それじゃ、ユーリ。食事を済ませたら行きましょうか」
「分かったで。それでどこに行く?」
「東風亭。今ランチメニューとかやっているみたいよ。予約は要らないみたい。ついでにクラウスを冷やかしに行きましょうか」
「あはは。ええ性格しとるな」
食事とクラウスの仕事振りの見学を済ませた後、あたしたちはガーラン書店なる本屋の前に来た。
そんで気づいたんやけど、ここ、一度入ったことあるわ。
「うん? 来たことあるの?」
「えっと、魔法学校の入学式の前に、イレーネちゃんと入ったことがあるんやけど、店主がいい加減で買う気が失せたんや」
「いい加減ねえ。あいつらしいわ」
デリアは軽く笑って、それからローブのフードをすっぽりと被った。それやと顔が見えへんと思うけど。
「前に皇帝陛下がいらしたとき、あなたよくもやってくれたわね」
「今更蒸し返すんか? ……うん? もしかして――」
「私もやるわよ。なんて言ったっけ?」
「ドッキリか?」
「そう。それよ。あいつを驚かせてやるんだから!」
デリアは「いい? あたしの名前は呼ばないこと。正体も明かしちゃだめよ?」と楽しそうに言うた。
なんやろな、いつもは背伸びして大人ぶっとるけど、こうして子どもっぽいことをしとると、可愛らしくなってくるな。
そんで意気揚々と中に入ったんやけど――
「……な、何よここ? なんでこんなに暗いのよ?」
前に訪れたときと変わらん暗さに、デリアは小声で文句を言いながらもビビッとるようやった。すぐさまあたしの背中に貼りつく。
「……歩きにくいんやけど」
「いいから、進みなさいよ!」
これはこれで可愛らしいけど、面白さが勝ってしまう。お化け屋敷に訪れたカップルかあたしたちは。
本棚の間を歩いて、清算台のところに向かう。そこには以前と変わりなく居眠りしとる店主。長い白髪で髭は伸ばしとらん。皺が刻まれとるけど、血色は良く健康そうやった。
目配せでどうするか訊ねると「とりあえず起こしなさい」と言われたんで「おじいさん、起きてーや」と声をかけた。
するとおじいさんは「うん? なんだ、前に来たお嬢ちゃんか」と言うた。なんや覚えとったんか。
「それに、珍しい子もいるな」
「えっ?」
驚くあたしに声を出さないように努力するデリア。
するとおじいさんはにっこりと微笑んで言うた。
「お久しぶりです。デリア様」
「――っ! なんで分かるのよ!」
デリアは勢いよくフードを取った。出てきた顔は怒りとか驚きとかでのうて、嬉しさと恥ずかしさが入り混じったもんやった。
「デリア様は変わらないですな。それに分かって当然です。あなたとレオ様の面倒を九年間も看てきたのですから」
「うぐぐ……」
「それで、君は何者だ? どこぞの貴族か?」
あたしに水を向けてきたんで「ちゃうよ。あたしは庶民やで」と答えた。
おじいさんは目を丸くして「デリア様が貴族以外と交友を持たれるとは驚きだ」とびっくりしとる。
「先ほどの言葉は訂正します。変わりましたな、デリア様」
「……ユーリは特別よ。私は変わらないわ」
真っ赤な顔を背けてしまうデリア。
「あんたらの関係は何? 家庭教師とかそんなん?」
気になったので訊ねるとおじいさんは「そうだな。自己紹介をしないとな」と立ち上がった。うわ、背が高いなあ。百八十cmくらいあるんやないか?
「わしの名はガーラン。デリア様の元執事兼教育係だ。よろしくな、えーと、ユーリだったか?」
「ユーリで合うてるよ。なんで元執事が本屋の主人やっとるんや?」
あたしが訊ねると答えたんはデリアやった。
「こいつ、理由も何も言わずに辞めたのよ。古都に言って本屋開きますと言い残して」
「そうですな。そのとき、デリア様は大泣きして――」
「だあああ! 言わなくていいのよ!」
微笑ましいやりとりや。でもあたしも本題を言わなあかんな。
「そんでガーランさん。あたし本探しとるんやけど」
「本? 勝手に探せばいいだろう」
「客商売舐めとんのか? まあええ、治癒魔法と医学の本はどっちや?」
ガーランさんは指差して「左から二番目の本棚だ。ためになるか知らんけどな」と言うた。
「おおきにやで。デリア、少し話しとれや」
「……気を使わないでいいわよ」
「久しぶりの再会やろ? ええやんか」
そう言うて、あたしは本棚に向かった。正直期待しとらんかった。ぶっきらぼうで偏屈なおじいさんがそない専門書を取りあつかっとるわけやないからな。
しかし、それは良い意味で裏切られることになる。
「……なんやこの品揃えは」
あの大雑把な感じとは裏腹に、今まで読んだことのない専門書が置いてあった。しかもどれもこれもためになるような本ばかりや。
たとえば『治癒魔法による臓器再生の理論』なんてまさに探してた本やんか。
ガーランさんの評価を改めなければならんな。そう思うて、一冊本を取り出そうとした、そのときやった。
「邪魔するぜ……相変わらず陰気な本屋だ」
入り口から三人の男どもが入ってきた。なんや知らんけど、冒険者崩れの格好をしとる。その中の先頭を歩く、リーダー格の男。左頬に大きな火傷の痕がある。ガーランさんと同じくらい背が高い。あとの二人は平凡そうやった。特筆すべきところはない。
「ガーランさんよ、話は考えてくれたか?」
「……なんだハスト。その話は済んだはずだ」
ハストと呼ばれた男は「そうもいかねえんだ」と清算台の上にどかりと座った。
あたしは嫌な予感がしたので、デリアの傍に近寄った。デリアも警戒しとるようやった。
「こっちだってガキの使いじゃねえんだ。断られたら帰るみてえなみっともねえことはできねえよ」
「場所代も払わんし、立ち退きもしない。そう言ったはずだ」
「おいおい。これでも条件は良いんだぜ? 場所代は他のところより安いし、立ち退き料も他よりずっと高い。あんただからこその――」
「ハスト。お前さんも難儀な仕事を引き受けたな」
ガーランさんはハストを睨みつけて「雇い主のジェダに言っておけ」と啖呵を切った。
「直接、わしんところに来いとな。ガキの使いを寄越すぐらいならな」
「……調子乗るなよ。ジェダさんの言いつけがなかったら、老いぼれ如き、いつでもぶった切れるんだ」
今気づいた。腰に二刀のナイフを差しとる。
「言いつけがあるのなら、わしを斬れぬわけだな」
ガーランさんは「接客中だ。出直せ」とそっぽを向いた。
ハストはあたしらを見て「ふん。可愛らしいお客様だな」と言うて帰ろうとする。
「また来るぜ。今度はジェダさんも連れてくる」
「……ふん」
乱暴に扉を開けて、乱暴に閉められる。三人が去った後、デリアは「なんなの、あの人たちは」とガーランさんに訊ねる。
「よくある話ですよ。強請りをされているんです」
「大丈夫なの? もし嫌だったら――」
「ヴォルモーデン家の力は借りませんよ。いずれ何とかしますから」
笑顔でそう答えるガーランさんにデリアは頷くしかできひんかった。
だけどガーランさんの認識は甘かったと言えるやろ。いや、あんまり責めたらあかんな。
まさかジェダが手段を選ばない、陰険で卑怯な奴やとは。
この時点では分からんかったんや。
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