第二話 白雷-1

 よくよく考えれば予想できる話だった。


 白皇が四六時中俺と生活を共にしているのは、俺の力が暴走した時に制圧するため。その代役を務めるとなれば、彼に引けを取らないほどの戦闘能力が求められる。


 精霊の白皇に次ぐ実力者となれば、もうルミエール最高戦力《いばら》の面々しかいない。その中で、わざわざ俺の監視役に立候補したとなれば――


「お前しかいないよな……」


「なにか言った? シオン君」


 俺のベッドのふもとに楽しそうに寝袋をセッティングしながら、カンナはこちらを振り返った。一月ぶりに会う初恋の人は、一層眩しさを増していて、直視できない。


「いや……帰ってきてたんだな」


「つい一昨日ね! 合同任務で三週間アイルー領にいたの。すっごくご飯が美味しくてちょっと太っちゃったかも。久しぶりに会ったけど元気そうで安心した! 髪、少し伸びたんじゃない?」


 立ち上がるなりずいずい歩み寄ってきて、前髪が目にかかり始めた俺の顔をじっと見つめるカンナの、近すぎる距離に思わず息を止める。シャンプーの香り。耳まで熱くなった俺の顔をまじまじと見つめ、カンナは天使のように微笑んだ。そして。


「せいっ!」


 目にも留まらぬ高速の拳が、俺の腹に叩き込まれた。「ぐほぉっ!?」と悲鳴もそこそこに膝をつき、洒落にならない痛みに七転八倒する。


「なっ、なにすん……!?」


「ハル君泣かせて、マリアちゃん悲しませて、ユーシス君を心配させた罰です!」


 腕を組み、フン、と鼻を鳴らすカンナの顔は怒っていた。


「皆のことけまくってるって、大体の話はリーフィアさんに聞きました!」


「あのお喋り女……」


「皆が心配してリーフィアさんに君のこと聞いてるの、知らないわけじゃないんでしょ」


 俺は呻きながら口を閉ざした。あいつらがどれだけ俺のことを気にかけているかなんて、リーフィアから耳にタコができるほど聞かされた。


「……心配するなって伝えてくれって、何度も言ったよ」


「そんなの直接言えばいいじゃん」


「関係ないだろ」


 思わず語気が荒くなった。床に這いつくばったままの俺に、カンナはふうっと小さく息を吐いた。


「あれから一度でも暴走したの?」


「……」


「王審からすぐの頃は、ハル君たちを遠ざけようとした気持ちも分かるよ。優しい君ならきっとそうすると思ってた。でも、あれから一ヶ月、毎日修行して、力の制御を練習してきて、未だ暴走の兆候すら起こっていないって、昨日の《荊会談》でハク兄ちゃんが言ってたの。その気になれば、君はもうハル君たちに会いに行けるはず」


 俺は立ち上がることができなかった。今、カンナに顔を見られるわけにはいかなかったから。


「今の君は、ただ意地を張っているようにしか見えない」


「……簡単に言うな。会いに行けるわけ、ないだろ」


 俺が世間でどんなふうに言われているか、けがれのないお前の脳みそじゃ想像もつかないだろうが。俺の姿を見ただけで母親は子の顔を隠す。俺の通りかかる場所だけ、つまみをぐいっと回したみたいに一瞬で喧騒がかき消えて、針のような視線と沈黙が刺さる。


 それだけうとまれて、どんな顔してあいつらに会える。あいつらがどんな目で見られると思う。俺がどれだけ惨めな気持ちになると思う。


 何より、もう二度と以前のような距離感に戻れないのが、あまりに耐えがたい。


 今俺が気楽に接することのできる数少ない相手は、皮肉にも、それまで関係の浅かった人たちだ。


「ハルは俺のことを怖がってた。長い付き合いだからすぐ分かった。他の奴らも、お前だって、もう前みたいに俺を見ることはできない。それでも優しい言葉かけてくれるのが、耐えられねえんだよ……だから、放っといてくれって言ってんだよ!!」


 ようやく立ち上がり怒鳴った俺の目から、じわりと熱い液体が滲んだ。意地を張っている。きっとその通りだ。俺はただ、傷ついて、また傷つくのが怖くて、こうして悲劇のヒーローぶってることしかできないだけ。


「それを知っても、もう前みたいには戻れなくても、それでも好きなままでいちゃいけないの」


 一瞬、本気で勘違いした。カンナは、白皇のことを言ったのだ。


「アカネウォーカーとして覚醒したのがハル君だったら、って考えたことある? シオン君なら、きっとそれでも友達でいたと思う。たとえハル君のことを、怖いと思ってしまっても、そんな自分をぶん殴って、逃げるハル君を追いかけ回して無理やりハグするんだよ、きっと。「なんで逃げるんだ」って怒りながら」


 王審の翌朝、すごい剣幕でこの家に怒鳴り込んできたハルの顔を、俺は鮮明に思い出した。俺の好物ばかり詰め込んだ弁当を持って、あいつは、俺を迎えに来てくれた。


「怖いと思っちゃうぐらいの一面を知ってしまっても、大切なまんまなんだよ。それって、やっぱり嫌かな。怖くても好きだよ。私も、皆も、シオン君のことが大好きだよ」


 頬に優しく触れたカンナの手の柔らかさが、強張った心をお湯につけたみたいにゆっくりほぐしていった。見開いたまま微動だにしない目から、ボロボロボロボロ、節操なく涙が流れ続ける。


「……お、俺も……俺だって、本当は……皆のこと、大好きだよ。会いてぇよ……昔みたいに戻れなくたっていい、ただ、もう一回、顔見て話したい……!」


 押さえつけていた、考えないようにしていた感情の奔流が、口をついて溢れ出す。カンナは、「うん、うん」と頷いて俺の髪を撫でた。


「確か、酒場への出入りは自由だったよね。ハル君たちが顔を出すかもしれないし、行ってみよ! ついでに朝ごはんも食べないとね!」


 手を取って、カンナは玄関の方へ俺を引っ張る。彼女に手を引かれながら、俺は会いたい人たちの顔を順に思い浮かべては、急激な緊張感に襲われて顔を青くした。

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