第二話 白雷-2

 酒場に到着したが、ハルやマリアたちの姿は見当たらなかった。ハルはあまり積極的にフリークエストを消化するタイプではないし、マリアは逆にほとんど壁外にこもりっぱなしだから、珍しいことではない。


 宛は外れたが、どこかホッとしている自分がいた。ひとまず二人で朝食をとることにした。酒場という名で親しまれてはいるが、ここ、王城地下一階のギルド集会所では、朝や昼間はさながらカフェのような食事を提供している。


 朝早いこともあって、酒場は空いていた。壁際の席に腰掛けて、ウェイトレスにコーヒーとサンドイッチを注文する。ここの味は普通だが、職員価格で安く食べられるのがいい。


「おい、あそこにいるのってよ……」


「うおっ!? マジかよ、実物初めて見たぜ……こんなとこで飯食ってんのか」


「か……可愛い……」


 サンドイッチが運ばれてきた辺りから、カンナに気づいた数人組のウォーカーがざわつき始めた。


 カンナのスカートから露出した足を舐め回すように見ていた男たちの目が、俺にスライドするなり汚物を見る色に変わる。


「なんでアイツが……」


「こんなとこ来るなよ、あぶねえな」


 いつもならフードで顔を隠してしまうところだが、カンナは俺に向かって微笑み、小さく首を横に振った。


 それだけで、向けられるいつもの肌を刺すような視線が、少しだけ気にならなくなった。


「食べ終わったら、手頃なクエスト探してみようか」


「えっ」


 それは思いも寄らない提案だった。そういえば、今のカンナは白皇の代行。同伴で壁外に出発するのも可能なのだった。カンナとパーティーを組むという俺の当面の目標が、思わぬ形で叶ってしまったことに、動揺し、浮つく。


「とっ、討伐がいいな」


「言うと思った。いいよ、修行の成果も見せてもらいたいし」


 有頂天になりかけた俺は、今しがた酒場に入ってきた男の異様な空気に、ふと意識を持っていかれた。


 フードで顔を隠した、白いローブの男――いや、少年か。成人にしては背が低い。一向に来ない成長期を待ちわびる俺の身長160センチ弱と、ほとんど代わらない上背だ。全身をすっぽり包む白色のローブは、彼の長旅の過酷さを物語るようにあちこち黒ずみ、傷つき、泥だらけだった。


 ただ身なりが見すぼらしいだけならば珍しくもないが、ゆっくりと酒場中の視線を集めながら奥へ進んでくる、少年のまとうその異質な臭気に、ピクリと鼻が反応した。


 かすかに、それでも確かに――魔物モンスターにおい。


「おーい、お前、見かけない奴だな。季節外れの新客か?」


 数人で食事していた体格のいいウォーカーが、俺と同じく何かを感じ取ったのか、近くを通りかかった白ローブの少年に声をかけた。少年は足を止め、ごく僅かに首を彼の方へ動かすと、言った。


「お兄さん、強い?」


「はぁ?」


 頓狂な声でウォーカーが眉を寄せる。少年の声は中性的で、幼さと老獪ろうかいさの入り混じるような不気味な声だった。


「強いなら、おれと遊んでよ」


「何だテメェ、いきなり……」


 呆れて取り合わないかに見えた大柄なウォーカーは、一瞬、ちらりとこちらを見た。正確には俺の向かいのカンナを。何を思ったか、彼は俺たちまではっきり聞き取れるほど大きな声を少年へ張り上げた。


「いきなりケンカ吹っかけるなんざいい度胸だ。いたぶるのは趣味じゃねえが、いいぜ、遊んでやるよ」


 拳を鳴らして立ち上がった男に、彼の仲間と思しき三人のウォーカーも机に座ったまま「おいおい」「やめとけよ〜」「かわいそうだろ」と笑っている。少年の物差しで引いたような口角が、かすかに上がった。


「先攻どうぞ」


「いらねぇよ。テメェから来い」


「いいの?」


 両者に酒場中の視線が集まっていく。俺は密かに少年の身を心配し始めた。あのウォーカーの名はグリムと言って、最近売出し中の実力派。去年の新人大会にも出場していたと聞く。少年の倍近く見えるほどの巨体は見せかけではない。舐めた態度で少年の前に立ってはいるが、その実、隙はあまり見つからない。


 一方、少年からは武人の闘気のようなものをカケラも感じ取ることができない。まるで素人の立ち姿だ。グリムもまさか本気でボコボコにはしないだろうが――


「じゃ、遠慮なく」


 かすかな高揚がその唇から漏れた瞬間、トン、と跳躍した少年の姿が消滅した。


 目をくことも待たない刹那の出来事だった。白い閃光が瞬いた直後、グリムの体は顔から酒場の床に突き刺さった。雷が落ちたような轟音と揺れに、酒場は戦慄する。


「……あれ。嘘、終わり?」


 ほぼ同じ場所に着地した格好で現れた少年の素顔が、フードが外れて白日のもとに晒される。


 蛍光灯の光のような、鋭く眩しい白銀の総髪。暗闇に迸る電流のような、青とも紫とも言えぬ複雑な色彩をした瞳。彼の髪は、目は、まさしく淡く発光していた。


「なんだよ、つまんね。強そうな見た目してたのに」


 失望したように目を細め、少年はグリムの仲間たちに向き直った。短い悲鳴を上げて椅子から転げ落ちる彼らに、少年は早足で歩み寄る。


「お兄さんは? 強い?」


 半狂乱に陥った男たちに伸びた少年の手を、割り込んだ俺の蹴りが弾いた。「おっ?」と目を丸くし、少年は半歩後ずさった。


「早くそいつ引っこ抜いて、病院に連れてってやれ」


 敵意のみなぎる目で少年を睨んだまま短く指示を飛ばす。男たちは不審げに俺を見上げつつも、グリムを救出にかかった。


「あんたは強いの?」


 俺は黙って拳を固めた。


「試してみろよ」


 少年が咄嗟とっさに交差した両腕に炸裂した拳は、そのまま彼を五メートルほども吹き飛ばした。床を抉るように滑って減速した少年は、痺れた両腕をぶるんと振るって、その目を爛々らんらんと血走らせた。


 思わずゾクリと総毛立つほどの、猛獣の目。

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