第13話 暴走-3
殴られたような衝撃で、ハルクはよろめいた。
なにを、言っているんだ。
ハルクは丸一年シオンと生活を共にしてきた。彼の笑顔を、苦悩を、涙を、隣でたくさん見てきた。シオンは人間だ。疑う余地もない。
「モン、スター?」「壁の外から来たって……」「そんなまさか」――群衆の反応は当然懐疑的だ。ところが、白皇の言葉をすぐさま妄言と笑い飛ばしてくれる者はいなかった。
「でも、アイツ、確か去年の新客だって……」
誰かがぽつりと呟き、口を押さえて震え始めた。
「それがいきなりあんなに強いなんて、おかしいよな?」
「あんな小さな子どもが、確かに……」
一つ、二つと呟きが生まれ、ざわめきに変わる。どんどん規模を広げるうねりは、ハルクにはどうにもできなかった。
シオンが吼える。
白皇は長剣の一振りで、シオンを虫のように払い飛ばした。地面を削りながら端の壁に激突したシオンは、すぐさま砂煙を切り裂き、獰猛に吼え猛りながら再び白皇へ飛びかかっていく。
「――【
深紅に染まり上がっていた闘技場が、鈴を転がすような音一つで、一瞬にして銀世界へ変貌した。その、あまりに美しい災害に、悲鳴さえ生まれなかった。
二年間忘れていた冬の冷気に、肌が震える。は、と独りでに漏れた吐息が、白く煙った。
闘技場全域が、凍りついていた。地面はでこぼこのスケートリンクのように蒼く染まり、その中央に巨大な氷山が
「し、シオン!」
五メートルを越える氷の
ピシリ、と、氷山の頂点から底面までを、落雷の如く亀裂が走った。割れ目から深紅の爆炎が噴き出し、今度こそ悲鳴があちこちで巻き起こる。
「ガァァ……ッ」
割れた氷解を掻き分けて、現れたのは血まみれのバケモノだった。ハルクでさえ、それを瞬時に親友と呼ぶのは無理があった。全身の生皮が剥げ、眼球が露出し、指先は千切れ、剥き出しの筋肉や骨に無数の霜が張り付いた、あまりに
決定的なことが起きた。
質量を、意思さえ持ったような深紅の閃光に包まれたシオンの体が、みるみる、逆再生の映像を見ているように治癒されていく。剥げた皮も、千切れた指先も、ほんの数秒の間に全快させると、シオンは真っ赤なオーラを爆発させて絶叫した。
その姿は、まさに。
「も……モンスター、だ」
誰かが呻いた。目の前で起きた光景が、白皇の言葉が真実であると証明してしまった。あちこちで起こる混乱と
「違う……シオンは人間だ。グレントロールと戦ったときだって、斬り落とされた腕は再生したんだ。だからなんだって言うんだ。この世界には、分かっていないことの方が多いじゃないか。……バルサ! 君もシオンと戦ったなら、分かるだろう!?」
混濁する頭を振り払って、ハルクは隣のバルサにすがりついた。「うぇっ?」としどろもどろになったバルサは、その琥珀色の目に、苦悩の色を滲ませた。
「でも、でもよ……煉素が、あんな寄ってたかって、シオンに力を貸してんだ。煉術でもねえ、あれは……強えモンスターに煉素がまとわりつくのとそっくりだ……」
そんな、と、掠れた声しか出なかった。煉素を視認できるナチュラルは、自分のような地球人より更に、シオンの状態が異常に映っている。誰一人として、シオンを擁護するような声を上げる者はいない。全員、揃いも揃って、シオンのことを、どこからどう見てもバケモノだろう、と断ずる。
「違う、違うよ……」
言いながら、ハルクでさえ、彼を人間と無根拠に信じる自信がするりと手から抜け落ちていくのを感じた。シオンの人間離れした強さ。驚異的な視力、体力、自然回復力。思えば、シオンが語る地球での暮らしだって、マトモな話ではなかった。殺人剣だの、考えてみればまったく現実味のない話だ。
もし、彼が――本当に、壁の外からやってきた、モンスターだとしたら。シオンにまつわる不可思議の全てに納得がいく。何より、白皇の言葉だ。命の恩人で、尊敬すべき人。彼が、嘘を言うだろうか。
「ゴァァァッ!!!」
シオンの咆哮がビリビリ客席を揺らし、亀裂を加速させる。鼓膜がイカれるほどの大音響である。黒刀を空中で斬り払うと、シオンは腰を丸めて地面に軽く両手をつき、肉食獣のように目をギラつかせた。その靴に赤色のオーラが集中していき、目映い茜色の閃光を灯す。
瞬間、シオンは空中を駆け抜けた。
右、左、右――両足の【ピンボール】を無制限に連発し、低空を稲妻の如くジグザグに飛翔。白皇の長剣を叩き落とさんばかりの威力で突撃するや、彼の周りを縦横無尽に飛び回り、無数の斬撃を浴びせまくる。
速すぎる!
まるで低空に咲く赤い花火だ。乱立する金属音が、遅れて聞こえるほどの爆速乱舞。高速で跳ね回りながらとは思えない、的確で熟達した剣技が、鉄壁かに見えた白皇のガードをついに追い越し、鮮血を撒き散らす。
大地が揺れる。客席の崩落が進む。斬撃の余波に触れただけで首が飛びそうな激戦の至近距離で、頭を抱えて縮こまり、震えるしかなかった観客たちが、その血を見てなにを思ったか。
白皇の敗北――それがチラリとでもよぎったとき、人々は、本能で恐れる。あのモンスターに、この場の人間が皆殺しにされる未来を。
もしかしたら、白皇はそのために、わざと一撃をうけたのではないかと、ハルクは、振り返って思うのだ。
「な……なにやってんだよ白皇! そんなやつ、こ、こ、こ――殺しちまえッ!」
たとえ衝動的に口をついて出た、防衛本能による言葉であったとしても。誰かが吐いたソレは、本人の意図を越えて、取り返しのつかないほど鋭利だった。
「そ、そうよ、殺してぇ!」「モンスターなら生かす理由なんてないだろ!」「殺して、私たちを助けて、白皇様ぁ……!」
殺せ。殺せ。殺せ殺せ殺せ。震える呪詛が凝縮し、大合唱となって、戦場に降り注ぐ。かつて、優勝を祝福した冒険者に向けて。白皇はそれでもしばらく、打たれるがままにしていたが、やがて――
「許せ、ナツメ君」
戦場に氷柱が咲き乱れた。白皇の周りの地面から生えた
ハルクは、気がつけば、絶叫して客席から飛び降りていた。
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