第13話 暴走-2



「なぁ……どうしたんだ、シオンのやつ?」


 隣のバルサが腕を組んで首をひねるのに、ハルクは答えられなかった。


 客席の一角、選手席。急遽始まったシオンと白皇のエキシビジョンマッチを、ハルクはバルサと並んで観戦していた。彼本人と深い面識はなかったものの、当のバルサは「友達の友達は友達」と言わんばかりに馴れ馴れしく隣の席へ誘ってきた。壁を全く感じないその人当たりに、人見知りのハルクですら不思議とすんなり仲良くなってしまっていた。


 戦いは、さすがに一方的なものだった。シオンの猛攻を、白皇はその場から一歩も動かないばかりか、目を閉じたまま完璧に対処して見せた。白皇はシオンを転倒させ、腹に一撃を加えたところで、なにやら顔を近づけ彼の目を覗き込んだ。


 そこからである。シオンはまるでその場で気を失ったように、白皇のすぐ目の前で立ち尽くしてしまったのだ。白濁した目は焦点を失い、だらんと開けた口からは唾液の筋が垂れている。


 白皇がたったの一撃でシオンを昏倒させてしまったのではないかと、闘技場は徐々に騒がしくなっていった。


 ふと、バルサが眉を寄せた。


「なんか、シオンの周りの煉素、様子がおかしーな?」


「え?」


「いや、騒がしいっつーか……」


 言いかけて、バルサは突然ギョッと身を乗り出した。客席のあちこちで同じような動揺が生まれた。バルサと同じ反応を示したのは、全てが髪の赤い、ナチュラルだった。悲鳴さえ上がった。落雷や竜巻でも目の当たりにしたような、畏怖の視線が注がれるのは――闘技場の中央に佇む、シオン。


 彼らには、一体なにが見えているのだろう。想像することもできないハルクたち地球人にも、次の瞬間、決定的な異変が起こった。


 茜色に燃える空一面が、突如悪魔のいびきのような唸りを上げたではないか。反射的に空を見上げたハルクは、丸二年アカネにいて初めての出来事に、鳥肌が止まらなかった。


 空が、渦巻いている。


 雲一つない、海のような茜色が、轟音を上げてぐちゃぐちゃにかき混ぜられているのだ。一言で形容するなら、赤い渦潮。明らかにただ事ではない。気のせいでなければ、渦の中心は、シオンの立つ座標とぴったり重なるようだった。


 慌ててシオンに目を戻したその時、大地を割って猛烈な火柱が噴き出した。


 爆風が客席に叩きつけられ、観衆の悲鳴を呼ぶ。ハルクは逆に、火柱に巻き込まれた親友の身を案じて身を乗り出した。


 火ではない、と、少し遅れて気づいた。その茜色の爆炎からは、火なんて比較にならないエネルギーを感じる。


「なんだ、ありゃ……あんなに煉素がたくさん……」


 バルサが呆然と呟く。まさか、あれは――煉素、なのか。この世界に溢れる未知の物質。この世界を、この世界たらしめている、超エネルギー存在。それが、地球人が肉眼で視認できるほどにまで凝縮されて、大気を軋ませながら、シオンの体に流れ込んでいる。


 煌々と燃える茜色のエネルギー塊は、逆巻きながらみるみる圧縮されていった。濃密な深紅の光は、ようやく黙視できるようになったシオンの体を、鎧のように覆った。


 ゥゥゥゥゥウ……――半分がシオンの、半分が、バケモノの声。混ざり合った獰猛な唸りが、親友の方から響いてきた。


「シ、オン……?」


 ハルクの知る彼ではなかった。見開いた目は、普段の黒い瞳が、空と同じ真っ赤な光で染め尽くされていた。獣のように四つん這いなり、全身に禍々しい深紅の光を纏って、シオンは鋭い犬歯を剥き咆哮した。それはもう、ハルクが壁の外で戦ってきたモンスターの声、そのものだった。


「皆、そこから動かないで。危険だ」


 逃げようとする何人かの動きを、白皇の凛とした声が、まるで正義の味方のように響いて止めた。親友は、魔王でも悪いバケモノでも、なんでもないのに。


『な、なんと……これはシオン選手の、隠し球、でしょうか? 凄まじいエネルギーを感じます……なんだか、内蔵が、本能が震えるような、気味の悪い……あっ、失礼、今のは少し不適切な表現でありました!』


『いいよ、嬢ちゃん。この場の全員が感じてるだろうさ』


 ロイドの声さえ、普段のそれではなかった。彼の言葉通り、観客たちのシオンに向ける視線は、決して強力な切り札を切ってきた闘士に対する熱いものではなかった。


 怯えるような、嫌悪するような、あるいは、憎むような。シオンが発する気は、確かに、ハルクでさえ背筋が寒くなる、人ならざる禍々しさがあった。鬼とか、幽霊とか、ゾンビとか、そういったものに現実に出くわしたとしたら、きっとこんな恐怖を抱くだろう。


 それでも、シオンは親友だ。


「やめろ、シオン、もう戦いは終わりだ!」


 ハルクの声は彼に全く届かなかった。ゴアッ、と一つ吼えたかと思うと、シオンの姿が閃光と共にかき消えた。深紅の彗星が、壮絶な威力で白皇に激突する。


 白皇が盾のように構えた剣の腹に、シオンの拳が着弾した。爆風が拡散し、地が抉れ、観客席は一気に悲鳴と怒号で埋め尽くされる。


「やめろ、ナツメ君。君を傷つけたくはない」


 白皇の優しい言葉さえ無視し、シオンは狂ったように足元の刀を拾い上げると、バケモノの声で喚きながら滅茶苦茶に刀を振り回した。


 全く見えない!


 信じられない剣速だった。ハルクの目でも全く追えない。正気を保っているとは到底思えないにも関わらず、紛うことなき洗練された棗流を操り、目の覚めるような剣さばきで白皇を滅多打ちにする。まるで壁の外のモンスターが、棗流を使いこなしているような違和感を覚える。


 威力も速度も、普段のシオンの三倍以上。それすら全て弾き、いなし、未だ一撃ももらっていない白皇は流石だが、その目に表情ほどの余裕はない。尚も、力が馴染んできた、と言わんばかりに、シオンの動きは数秒ごとにキレを増していく。


「これ以上続けると客席に被害が出るぞ。それが、分からないのか」


 刀を受け止め、押し返し、力ずくで上から押さえつけた白皇の声は、観客たちの耳に余すことなく届いた。それでも一向に矛を納める気配がないシオンに、群衆の目にも不信感が滲んでいく。


「なにやってるんだシオン……君は、そんな人じゃ」


 唇を噛み、改めて親友の顔を見つめたハルクは、ハッと目を見開いた。


 牙を剥き、獰猛に唸り、白皇と鍔迫つばぜり合いを続けるシオンは――泣いていた。正気を失い、暴走しているように見えて、その深紅の瞳は大粒の涙で濡れ、今もなお透明な液体は頬を伝っている。


 彼の涙を、ハルク以外の誰が気づけただろうか。シオンに密集する茜は、ますます濃く、ドス赤くなっていく。


 地割れが波及し、とうとう客席が崩落を始めた。ピシリ、ピシリと闘技場に無数の亀裂が走り、あちこちで陥没と隆起が起こる。悲鳴や叫びにまじって、怒声も飛び交った。


「白皇、なんとかしてくれ!」「なにが起きてるの!? そいつを大人しくさせてよ!」「白皇さん!」「白皇さま!」――白皇は、それでもしばらく打たれるがままにしていたが、やがて口を開いた。


「上手く人間に擬態したものだ。騙されていたよ」


 群衆が絶句する。シオンを押さえつけ、冷たい瞳で見下ろし、白皇は朗々と喧伝けんでんした。まるで筋書きをなぞるように。


「彼は人間ではない。壁の外から来た、モンスターだ」

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