第18話 優しいウォーカー-2

 それは、ハルが冗談でだって言うのを嫌った言葉だ。震えた。ハルは鉄剣の刃を湿った布巾ふきんで拭うと、布巾を投げ捨て、背中に背負った円盾を抜いて左手に構え、果敢にグレントロールへ打ちかかっていった。


 対する巨獣は怒り狂い、その長い腕で大剣をぶんぶん振り回す。明らかに興奮しており、輪をかけて稚拙な剣術だが、触れた瞬間に体がバラバラになる斬れ味だ。容易には近づけない。


 --ところが、ハルは少しも歩みを緩めない。剣の嵐の中に躊躇うことなく足を踏み入れると、身に降りかかった最初の一撃を首を捻って紙一重でかわした。なおも前進し、今度は自分に当たる軌道の剣だけを盾で的確に捌きながら前進していく。


 耳を覆いたくなるほど壮絶な音が響き乱れ、周囲の地面があっという間に抉れていく。それでもハル本人には傷一つつかない。


 俺は徐々に遠くなっていくハルの背中を、息を呑んで見守った。もともとハルは、回避と防御に関しては見所みどころがあった。彼が防戦一方に転じれば、俺が半ば全力で打ちかかってもしばらくはしのいで見せたほどだ。


 俺はそれを、ハルの臆病さが転じた長所だと捉えていたが、見当違いだったようだ。


 ディポタスの急所を貫いたとき然り、先ほど、硬い骨と骨のぎ目を見抜いてグレントロールの指を斬り落としたのも然り。今、嵐のような剣の猛攻を捌く後ろ姿を見て確信した。


 ハルは"目"がいいのだ。視力というより、洞察力が。


 回避できる太刀筋と、受け止めるべき太刀筋とを瞬時に見極め、どちらも最小限の動きで行なっている。回避は全て、紙一重。防御は正面で受けるのではなく、横から盾で弾くようにしてなし、自分に当たらないよう僅かずつだけ軌道を逸らす。余計な動きも力も、一切使っていない。


 仙人めいた芸当だ。俺の知るハルとは到底思えなかった。しかしハルが今、このタイミングで急に強くなるはずはない。--これがハルの、本来の力なのか。


 ハルは、精神的な部分で戦闘に向いていなかった。だが今、彼の姿からは、これまでかせとなっていた恐怖心や優しさを感じ取ることはできない。静かな背中からほとばしるのは、ドス黒い闘志。


「腕は……一度失ったらもう戻らないんだよ……お前と違って……」


 幾十もの剣撃を小さな盾一つで弾きながら、ハルは着実に間合いを詰める。


「シオンが、毎日、どんな思いで鍛えてきたか……知ってるのかよ……」


 彼の一言一言から、燃えるような怒りが伝わってくる。ハルを警戒するように一度後ろに飛び退すさったグレントロールは、大剣を両手で天高く、上体がそり返るほど振りかぶった。


 落雷の如く。目にも留まらぬ速度で落ちた大剣がハルの頭上に着弾するなり、大地震が巻き起こった。跳ね飛ばされそうになるのを腹這いになって踏ん張り、ハルの名を叫ぶ。


 撒き散らされた泥が雨のように降る中で--ハルは、地面にめり込んだ大剣のすぐ横に、表情一つ変えずに立っていた。


「やっぱり、そうか。お前の目、金属は透視できないんだね」


 冷たくつぶやくと、ハルは円盾を傘のように構えて、自分の姿を盾の中に隠した。グレントロールは途端にハルを見失ったように、キョロキョロ周囲を見渡し始める。


 グレントロールの赤く光る目は熱源探知機。草むらに身を隠そうとも、獲物の体温を透視して見つけ出すことができる。


 しかし、金属が間に入ればどうか--手繰り寄せた仮説を、たった数秒の攻防で見極めた。その事実に、ぞくりと寒気が走る。


 ひらりと舞ったかと思うと、ハルは地面に突き刺さった大剣のみねを忍者のように駆け登っていく。火の出るような加速。ハルの踏んだ箇所から遅れて次々に白煙が上がり、導火線のようにハルを追いかける。


棗一刀流ナツメイットウリュウ……」


 瞬く間に峰の上を駆け抜け、深紅の長い腕に靴底を到達させたハルの口から、カタコトの日本語が紡がれる。



 咲くべきか迷っているようだった金色の蕾が、今、一息に美しい花びらを開いた。



「--【火蜂ヒバチ】!」


 一条の火矢の如く驀進ばくしんしたハルの剣が、あやまたずグレントロールの眼球を射抜いた。吹き出る鮮血が、ハルの歪めた顔を汚す。


 状況も忘れて、不思議な感慨にふけってしまった。ハルには確かに、俺の知る限りの技を叩き込んだが、ハルはこれまで一度も、きちんと棗流を使ったことがなかったからだ。


 【火蜂】は、棗一刀流の中で最速の剣技。一直線に走って急所を突く、ただそれだけの単純な突進技だが、低い姿勢から短い距離を急加速する、【火走ひばしり】という棗家独自の歩法と、研ぎ澄ませた刺突が合わされば、防ぐ術は少ない。開戦と同時に勝負を決めることさえできる、まさに必殺技--


 心が、不意にふわっと緩んで軽くなり、それからじんわり温かくなった。


 俺は情けない師匠だった。守るための剣、人を生かす剣を教わりたい弟子ハルに対して、俺が教えてやれる剣術は揃いも揃って、いかに効率よく相手を殺すかを突き詰めた殺人技ばかり。


 血なまぐさい引き出ししかない自分の人生が、そのたび虚しく思えた。


 殺人剣とは言わずに伝授したが、頭の良いハルのことだから、きっとバレていただろう。結局、俺の教えた技はランク戦でも俺との稽古でも、一度として繰り出さなかった。


 ハルの望む剣を教えてやれない自分が歯痒はがゆく、ハルに申し訳なかった。


「……なんだよ………………完璧じゃねぇか」


 グレントロールの絶叫が、密林をさざめかせる。潰された目を片手で覆い苦悶するグレントロールの顔から、ハルは剣を引き抜いてひらりと飛び降りた。


 戦士の背中は、心を奮い立たせる。ハルの強さに励まされて、俺の心に一握りの活力がみなぎってきた。血だまりに横たわっていた体に鞭打って、俺はよろめきながらも両の足で立ち上がった。くらり、と貧血を起こす頭を振って、霞む目をこする。


「ナツメ……立てるのか……」


 後ろから、振り絞るような声がした。口の端から血を流したユーシスが体を引きずるようにしてここまで歩いてきていた。随分遠くまで飛ばされた上に、満身創痍にも関わらず。こいつもまた、ハルの戦いに勇気づけられたに違いない。


「当たり前だろ……」


くな、死に損ない……お前が今行っても足手まといになるぞ」


「こっちのセリフだよ……」


 俺たちは互いで支えあうようにして立ち、ハルの背中を見つめた。背筋がぴんと伸びて、剣と盾を構える後ろ姿に全く隙がない。どれだけ技術を磨いても、いざ実戦となると腰が引けて情けない構えになっていたハルの背中が、これほど頼もしく見える日がこようとは。


「……悔しいなぁ」


 ぼそりと、ハルが呟いた。その背中が、一瞬、ぐわりと倒れかけたように見えた。もちろんそれは見間違いで、次の瞬間にはハルは、潰れた左目から血の涙を流して激怒するグレントロールの前に、堂々と立ちはだかっていた。

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