第10話 卒業試験-1
明朝。空が真っ赤に"点灯"して間もない午前六時半。俺たちはルミエール王国の最北にそびえる、見上げるほど高い門扉の前に集合していた。
ルミエールの北側は大部分が農耕地となっている。見渡す限りの小麦畑が、茜色の光に照らされて幻想的に波打っていた。
「おはよう、諸君! 昨晩はよく眠れたか? 今日諸君らの試験監督を努めるロイド・バーミリオンだ、よろしく! ……なんて、お前ら三人だけなのに堅苦しくやっても仕方ねえな」
朝っぱらから元気ハツラツとしたロイドが、整列した俺たち三人に向かって笑いかけた。
ロイドだけではない。燃えるように赤い長髪をなびかせる、眉間に深いしわの刻まれた美形の男が、ロイドの隣に険しい表情で立っている。
ブラッド・レッドバーン。フレイムクラスの担任教官であり、ユーシスの父親だ。一瞬目が合ったが、彼はすぐにそらした。
「俺たち二人が、今日お前らに同行するメンバーだ。俺たちはお前らの外での働きを評価するスコアラーであると同時に、いざという時はお前らの命を守るライフセーバーでもある。互いに、今日は良い一日にしようじゃないか」
ロイドの言葉に、俺たちは緊張した面持ちで頷いた。
今日。俺、ハル、マリアの三人は、ルミエール修剣学校の卒業試験を受験する。
卒業試験の開催は月に一回。その日は学園が休校となり、スタッフが総出で受験生のバックアップに努める。戦闘員は引率、事務員は学園に残り管制を務める。有事の際は、白薔薇の現役ウォーカーがすぐに出動出来る態勢が整えられている。
今日の卒業試験に挑戦するのは俺たち三人だけ。というのも、修剣学校に入学した候補生の中で、実際に卒業を迎えるのは一握りなのである。
この学園の候補生は、ウォーカーになりたくて入学した人間ばかりではない。多くは、学問を修めたり、単純に自衛の
俺たち三人に、ロイドから赤い石のネックレスが配られた。ランク戦でもお馴染みの魔道具、《守護石》だ。
「ルールを確認しておくぞ。卒業試験の内容は"壁外探索"だ。今から門を開き壁の外に出る。言うまでもなく、危険だ。その《守護石》が割れたり、俺たち教官が助太刀した時点で、その受験者は不合格とする」
壁外探索--その言葉に、いやが応にも緊張感が走る。俺たちはこれから、いよいよ壁の外に出るのだ。ウォーカーの資格を得るためには、ウォーカーの仕事内容で適性を測るのが道理。
無意識に、首に下げた赤い宝石を大事に握り締めた。これが割れるほどの大怪我を負うようでは、どのみち、ウォーカーになっても長生きはできない。
「本日の卒業試験の、合格条件を伝える。必要な者はメモを取れ。その一、《シンリンゴブリン》もしくは第四級以上の指定危険モンスターの討伐。二、《薬草》《エーテルキノコ》《アカネ鉱石》を合計10kg納品する。いずれか一つをクリアし、夜までに無事にここまで戻ってこれたら合格だ。ただし、間違えて毒草や毒キノコを混ぜて持ってきたやつは即不合格な」
合格条件は毎月代わり、当日まで公表されない。今回の条件は討伐か採集。俺とマリアは目を見合わせ、小さく頷いた。
手筈通り--俺たちが狙うのは討伐の方だ。
納品が一見安全そうに思えるが、外を歩き回る時点でモンスターにエンカウントする確率は全く同じ。
結局遭遇すれば交戦するほかないのだから、別のことに気を割かれる採集よりも、戦闘と索敵に五感を集中できる討伐の方が、俺とマリアの肌には合っている。
「ハル、ゴブリンってどんなのだっけ?」
「"
「よく覚えてるな」
「分類くらい当然だろ。ゴブリンは、鬼種の中で最弱の部類だったはずだ。危険度は第五級で、その中でも弱い方だと思うよ。……で、でも、僕は採集クエストの方を推すよ。避けられる戦いは避けようよ、ね……?」
「却下。五級に逃げてるようじゃ、合格したって後がないぞ」
ハルの控えめな提案を、俺はバッサリ切り捨てた。マリアも俺と同意見なので、元よりハルに勝ち目はない。
ゴブリンという名前には、地球人にも馴染みがある。俺たちの先祖がそう名付けたぐらいだから、きっとゴブリンの実物は、地球人が描いた空想上のゴブリンと類似する存在なのだろう。
それを見つけ出して、狩る。それが俺たちの目標だ。シンプルでいい。
「俺たち二人は、壁の外に出たら姿を消させてもらうからな。ちゃんとすぐに助けられる場所から見ていてやるから安心しろ。ただし、ギリギリまでは助けないからそのつもりでな」
ロイドの言葉に、俺は小さく頷いた。教官が助太刀した時点で助けられた人間は不合格が確定するのだから、むしろ大したことのないピンチで出張ってこられた方がたまらない。
「さて、じゃあ最後に、俺からありがたーい激励の言葉を授けよう。ちょっとだけ真面目モードな」
ロイドは、その目が開いたならウィンクでもしていたに違いないほど、いたずらっぽく笑って居住まいを正すと、スッと精悍な顔つきになって、
「俺もかつては、壁の外に出てバケモノを
マイクを使って拡声したような大声が、ビリビリ空気を震わせて俺たちの体に直接響いた。目の覚めるような祝福だった。
「……とまぁ、似合わねえことも済ませたところで、出発するか。ブラッド先生、最後にあんたからもなにか一言ないのか?」
「特にない」
仏頂面で一蹴したブラッドに苦笑して、ロイドは門扉の脇を固める門番に職員証を見せに行った。間もなく--丸太を繋げた分厚い門扉が、ギギギギギギギギィ……と、重く軋む音を立てて、ゆっくり、ゆっくり真上にせり上がり始めた。
瞬間、不意に涙が出そうなほどの、開放感が去来した。
十ヶ月前、俺はこの門と真逆の南門からこの国に入った。それから一度たりとも外の世界に出ていない。半径2キロメートル程度の小さな小さなこの国で、じっと力を蓄えて生きてきた。
いよいよだ。
思えばこの世界は、一体どれほど広いのだろう。日本の国土、いや、もしかしたら、地球より更に広い可能性だってある。
「ナツメ候補生」
開いていく門に向かって歩いていくところだった俺一人を、ブラッドが短く呼び止めた。訝しく思いながらも、マリアとハルを先に行かせて立ち止まる。
「はい、なんでしょうか」
ブラッド・レッドバーンは長身だった。向かい合うと俺の目線は彼の胸の高さになる。見上げれば、険しく気品漂う灰色の瞳が、じっと俺を見下ろしていた。
「貴殿に、謝らねばなるまい」
飛び出したのは意外な言葉だった。
「息子との
頭を下げられ、俺はしどろもどろに首を振った。そんな昔のこと、今さら怒っているはずもない。
「いいですよ、そんなこと」
「おぉ、ありがとう」
ブラッドは顔を上げると、俺の肩に手を乗せて俺の顔を覗き込んだ。
「健闘を祈っているよ、ナツメ候補生」
ブラッドの灰色の瞳が、一瞬、茜色に瞬いた気がした。
「シオン?」
「あぁ、今行く。それじゃあ教官、今日はよろしくお願いします」
「あぁ」
俺は背を向け、マリアとハルの元に急いだ。門は今や十メートルの全長の二割ほどまで引き上げられていた。外には深く、暗い森林が無限に思えるほど広がっている。
香りからして、別世界だった。風は容赦なく吹き荒れ木々を波打たせ、森の唸り声となって響いている。抗いがたい引力に吸い込まれそうになるのと同時に、本能が、大音量で警告を鳴らしている。これ以上足を踏み入れてはならない、と。
「……一歩」
「え?」
「せーので踏み出そうぜ」
開いた門のスレスレまでにじり寄った俺は、両隣の二人にそう提案した。
冒険者がウォーカーと呼ばれる由来。それは--不安も恐怖もかなぐり捨て、この理不尽な世界で前を向く意志。逃げず、恐れず、外の世界に向けて力強く踏み出した、最初の一歩。
「行くぞ」
「う、うん」
「えぇ」
ニカッと笑って俺は両脇の二人の肩を抱き寄せ、念願のその瞬間を勢いよく手繰り寄せるように、腹の底から声を張り上げた。
「せーーーーーのっ!」
ダン、と威勢のいい音を立てて、三つの靴が同時に、外の世界を踏みつけた。
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