第9話 マリア・シンクレア-1

 勝負が決した後、ハルはすぐに保健室に運び込まれ、学園の常駐医ロゼッタからの治療を施された。


 彼女の《医療煉術》によって、ボキボキに折れたハルの腕は魔法のように回復した。ロゼッタいわく、アカネでは骨折程度なら自然治癒力だけで一週間もすれば全快するそうだが、ハルの腕は折れ方が少々複雑だったらしい。


「それも綺麗に治しておいたから安心なさい」と、ロゼッタは魅惑的なウィンクとともに即日ハルを返してくれた。俺の怪我の時といい、彼女には世話になりっぱなしだ。


 合流した俺とハルはウィードの教室に戻った。この学校は自由に授業を選択して受ける仕組みなので、教室の用途は基本的に控え室だ。空き時間はクラスの連中が教室にしけ込んで、雑談したり、授業の課題を進めたりする。


 教室に入るなり、中にいたメンバーがこぞってハルに駆け寄り、もてはやした。


「お帰り! 怪我は大丈夫か?」


「すごい戦いだった! ハルの大声、めちゃめちゃ響いてたぞ」


「惜しかったなぁ、もうちょっとでマリアに勝てたかもしれないのによぉ」


 ハルはその全てに、しどろもどろに応対していた。


 マリアに当てたハルの会心の一撃は、《守護石》を一度で砕くほどのダメージを与えられなかった。


 その後も奮闘したが地力の差を埋めることはできず、ハルはマリアに敗れた。ランク戦は黒星スタートだ。だが、トップランカーに有効打を与えたことや、いつも控えめで弱気なハルが初めて見せた感情的な姿は、クラスの連中が彼を見直すには十分だったらしい。


「……あ、マリア」


 ハルがそう呟いたので、彼を取り囲んでいた人だかりは一斉に沈黙して道を開けた。ハルを囲む輪の外に、ぽつんとマリアが静かに立っていたのだ。


「やぁ、マリア……さっきは、ありがとう。偉そうなこと言って、結局ボコボコにされちゃった、あはは」


 頭をかいて笑うハルに、マリアは険しい顔で詰め寄った。


「最後の攻撃、手を抜いたわね」


「え?」


「とぼけないで。あれだけ無防備に隙晒して、頭斬られて生きてるなんて恥だわ。私は勝ったなんて思ってない。思ってないから」


「えーっと」とハルが弱ったように笑うのが余計に気に食わなかったか、マリアは人形のような顔を悔しそうに赤らめ背中を向けた。代わりに俺が、教えてやることにした。


「マリア、それは誤解だ」


 ハルが「シオン、やめてよ!」とすがりついたが無視する。


「こいつは手を抜いたんじゃない。ずっと修行に付き合ってきたけど、どうやってもこれだけは治せなかったんだ」


「……なにが?」


「こいつ、人を斬れないんだよ」


 マリアが大きな目を見開いて、信じられないものを見る目でハルを見上げた。


「はぁ!? 何言ってんの!? ちょっ……嘘でしょ!?」


「ランク戦で勝っていくには、どうにか治さなきゃなんだけどな……今日の戦いで、少しは吹っ切れたようにも見えたけど、まだダメだったみたいだ」


 俺の言葉にハルは顔を忙しく赤くしたり青くしたりし、おねしょを暴露された子どものように半泣きで俺に掴みかかった。


「……本当なの? 信じられない、そんなんでよくこの学園に入ったわね」


「う……返す言葉もないよ……。君やシオンみたいに、目標があって入ったわけじゃないんだ……」


 ハルは所在なさげに身をよじり、やがて苦笑すると、片膝をついてマリアと目線を合わした。


「ごめん……気を悪くさせたかい。頑張れるつもりだったんだけど、いざ、僕の剣が君に届くことを確信したら。どうしても手に力が入らなかった。恨んでもない相手を叩くなんてできないよ。まして、君みたいな女の子なら尚更だ」


 その言葉に、しばらく牙を抜かれたように大人しくなったマリアは、やがて顔を耳の先まで真っ赤にして、ぐるんとそっぽを向いた。


「あ、甘すぎ! 弱すぎ! 弱いやつはいつ強くなればいいんだとか、あんなにエラソーに言っといて、ホントに強くなる気あるわけ!?」


「いや、面目ない……。改めて、君を尊敬したよ。マリアみたいに、僕も強くなれるかな」


 マリアの背中に、自信なさげに問いかけたハルに対して、マリアは時間をかけてちらりと振り返ると、蚊の鳴くような声で言った。


「……強くなる必要ないわよ。あんたは、そのままで」


「え?」


「なんでもない! あーっ、これだから弱いやつは嫌いなの! あんたみたいな甘ちゃんは、こいつや私に、黙って守られてればいいの!」


 マリアはぞんざいに俺を指差して叫んだ。ハルは意外そうに目を丸くして、純朴な顔で尋ねた。


「マリアも、僕を守ってくれるの?」


 マリアは顔をいよいよ茹でダコのようにして、「ほっといたらすぐ死にそうって意味よ!」と絶叫した。


 マリアの様子を見て、ハルはやがて穏やかに笑った。一緒にいていつも思うことだが、ハルの笑顔は、見る者の毒気を抜いてしまう。


「ありがとう。でも、守られてばかりじゃ嫌だから。君のためにも強くなるよ。それまで、僕を守ってくれるかい?」


 マリアはとうとう沈黙した。俺はやはり、ハルはこのままでいいのに、と思わずにはいられなかった。

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