第8話 ハルの決意-3

 それはもはや、剣と呼べる代物ではなかった。


 剣身けんしんは優に一メートルを超え、柄の長さを合わせれば、もうマリアの背丈とどちらが大きいか分からない。何より特筆すべきは、やいばからみねまでの長さ。これを身幅みはばというが、それがなんと三十センチほどもあるのだ。


 その姿はもう、剣より包丁やノコギリと言った方がいい。当然ルールに則って木製だが、重量は片手剣の比ではないはずだ。それを、あんな華奢な少女が片手で扱っている。


「対モンスター用大剣のレプリカだ。あの女は俺の知る限り、ずっとアレを使っている。初めてシンクレアの戦闘を見たときは、幼児が物干し竿を振り回しているようで見ていられなかったがな」


 マリアの剣に対する俺の反応を見てか、ユーシスがそう解説を挟んでくれた。


「対モンスター用……対人じゃ不利だろ、あんなバカでかい剣」


「当たり前だ。俺が入学したとき、シンクレアは既にランク戦の上位にいたから詳しくないが。聞けば、初めの方は負け続きだったらしい」


「それでも大剣にこだわるのは……」


 きっと、マリアが見据えているのは、目先のランク戦ではなく、その先にある、壁の外の化け物との戦いなのだ。


「ところで、アレはお前の連れだろう。大丈夫か? 震えているが」


 ユーシスはマリアと対面したハルを顎で示し、呆れ顔でそう言った。


 ハルの装備も、マリアほどではないが珍しかった。俺がユーシス戦で使用した、剣身と柄が通常の片手剣より長い片手半剣を右手に握り、左手には木製の大盾を装備して体を隠している。


 盾持ち片手半剣。それが二人で考えた、最もハルに合うスタイルだった。


「アレはウィードの中でも落ちこぼれだったろう。ランク戦に出てくるとは思わなかったな」


「バカにすんな。ハルは落ちこぼれなんかじゃねえよ。ただ、ちょっとビビりで、泣き虫で、それから優しすぎるだけだ」


 俺の口調が気に入らなかったか、手下の二人が今にも食ってかかりそうに身を乗り出したが、ユーシスが鼻を鳴らしただけでそれ以上何も言わなかったので、二人とも拍子抜けしたように顔を見合わせ、おずおずと引っ込んだ。


「準備はいいですか?」


 審判に問われ、マリアは「ええ」と短く答えた。ハルは「は、はい!」と上ずった声で頷いた。


「ケガしたくなかったら、大人しく一撃で死になさい」


 マリアはそれだけ呟き、審判が開戦を告げた刹那、両膝を折って跳躍し、その小柄な体と巨大な剣を空高々と舞い上げた。


 目を疑うジャンプ力に、観客の視線が一斉に空へ、彼女へ盗まれる。優に五メートルほども跳び上がったマリアは最高点で体勢を整えたかと思うと、大剣を振りかざして隕石の如く落下した。


「らぁッ!!!」


 口を開けて呆けていたハルの脳天めがけて落ちた極太の刃が、地面に着弾して凄惨な地響きを立てた。濛々もうもうと舞い上がった砂塵の一部が横に突き出し、ごろごろとハルが転がり出る。間一髪難を逃れたようだ。


 ホッと息を吐くのも束の間、勢い良く砂埃を斬り裂いてマリアがハルに突貫する。あのサイズの大剣を、まるで綿でできているみたいに軽々と担ぎ直し、栗色の柔らかい髪の毛を逆巻さかまかせ、修羅の形相で再び豪剣を振り下ろした。


「ひぃっ!?」


 地を割らんばかりの轟音を上げて、剣が大地に突き刺さった。ハルは情けない悲鳴を上げて横っ跳びに回避し、辛うじて命を拾う。


 せっかくの盾が全く意味を成していないが、あの威力では盾の防御などやすやす貫通されてしまうに違いない。回避の判断は正しい。


 ハルはその逃げ腰根性ゆえか、防御と回避の能力には目を見張るものがある。……あとはせめてもう少し、優雅に避けられるようになればいいのだが。


「ちょこまかと……さっさと殺されなさいよ」


「嫌に決まってるだろ!? そんなおっかない剣で叩かれるなんて想像もしたくないよ……マ、マリアはなんで、そんな大きな剣を使ってるの?」


 時間稼ぎのつもりだろうか、ハルはマリアに質問した。確かに、モンスターとの戦いを視野に入れていたとしても、体に不釣り合いなあの大剣はとても賢い選択とは言えない。


 現に女性ウォーカーのカンナは、細い片手剣を使ってモンスターと戦っていた。決して、大剣でなければモンスターを倒せないというわけでも、ウォーカーになれないというわけでもないはずである。


「うるさいわね、深い理由ワケがあるのよ」


 マリアは大剣をぐわりと担ぎ直し、再び跳躍した。必殺の威力を孕んだ一閃が、空気を断ち割ってハルの頭上へ落ちる。


「大きい方が、強そうだからよッ!!!」


 浅っ!?


 理由はどうあれ、威力は絶大。後ろに飛び退って避けたハルはその凄まじい剣圧に押され、吹き飛ばされた。ごろごろと砂地を転がり、闘技場の壁に激突する。


 俺は、額に冷や汗を滲ませながら生唾を飲み込み、小さく息を吐き出した。


 これは……さすがに相手が悪すぎる。


 幸いなのは、マリアの一撃の威力が高すぎることだ。あれなら、一度でも直撃を受ければその直前に《守護石》の加護が発動し、無傷で試合を終えることができるだろう。


《守護石》には、着用者が意識を失うレベルのダメージを負う際に、一度だけそのダメージを無効化する力がある。一度きりの加護発動と引き換えに《守護石》は役目を終え、砕け散る。


 基本的には蓄積ダメージによって《守護石》が砕けるまで攻撃を続けるのがランク戦での常套手段だが、頭部などの急所を狙ったり、マリアほどの攻撃力があれば一撃KOも不可能ではない。


 相手を傷つけずに、最速で勝負を決める一撃KOは、ランク戦における最大の美技とされている。


 逆に、中途半端に攻撃をもらってしまえば、その一発では加護が発動しない可能性がある。その場合……ハルは骨折では済まない大怪我を負うかもしれない。俺とユーシスの戦いも、お互い受け身の心得があったせいでなかなか《守護石》が割れず、重傷を負う結果になってしまった。


「盾を捨てた方がいいんじゃないか? あれで防いだら、一撃じゃ死ねないかもしれんぞ」


 ユーシスの言葉を黙殺し、俺は立ち上がって客席の手すりに張り付き、怒鳴り声を上げた。


「ハルッ! 立て! お前はまだ一撃ももらってないぞ!」


 言われなくても、と言わんばかりに、ハルは力を込めて立ち上がった。その目は恐怖に震えていながらも、風前の灯火、それでも確かに闘志の炎を漲らせていた。


「面倒くさいわね……弱いくせに」


 嘆息し、表情を消したマリアの速度が一段階上がった。目を見開いたハルの眼前に瞬く間に接近し、大剣を横薙ぎに振り払う。


「があっ!」


 咄嗟に盾で防いだハルの体は、列車に跳ね飛ばされたように吹き飛び、勢いよく弾んで砂地を滑りながら減速し、やがてようやく止まった。思わず叫んだ俺の目の前で、ハルはピクリと指先を動かし、ぶるぶる震えながら、何かに突き動かされるように起き上がった。


 マリアは容赦しなかった。ハルが転がっている隙に既に彼を追いかけ、追撃の用意を整えていた。立ち上がった時にはマリアはもうハルの目の前に迫り、虫を叩き潰すように、体を反り返らせて大剣を叩きつけた。


 ゴキィ、と嫌な音がした。


 砂と擦り傷でぼろぼろになった顔を引き締め、絶叫し、ハルは一歩も引かずその盾でマリアの大剣を受け止めたのだ。


「ぅぅぅぅぅぅ……!」


 鉄骨の下敷きにされたみたいに、ハルは片膝を折って今にもぺしゃんこになりそうだった。


「ハルッ!!!」


 盾は万能ではない。まして今ハルが使っているのは木製のレプリカだ。攻撃そのものは防げても、衝撃はあますことなくハルに襲いかかる。マリアのあんな一撃を受け止めれば、腕なんて簡単に折れてしまうだろう。


「もういい! 降参しろ、ハル!」


 ハルは痛みに弱かった。浅い切り傷一つでも、剣を取り落としてうずくまってしまうほどだった。それなのに--


「--ぅぅぅぅぅぅゥウウウウッ!!!」


 滂沱の涙を流し、歯を食いしばり、ハルは受け止めた大剣を押し戻そうと必死に両足に力を込める。さしものマリアも少々狼狽うろたえたか、表情に僅かな焦燥と苛立ちの色が浮かぶ。


「なんなのよ……弱いくせに。弱いくせに!」


 押し返すのを打ち切って再び剣を振りかぶったマリアに、俺は「やめろ!」と叫んだ。断頭執行人のようにして振りかぶったマリアの剣が、ハルをその盾ごと無慈悲に叩き潰した。


 べきぃ、と悲鳴をあげて、ハルの盾に深々と亀裂が走る。


 計り知れない痛みに泣き叫びながらも、ハルは、倒れなかった。再び膝を折り、それでも歯を食いしばり、マリアの顔を、剣を受け止めた盾越しに下から睨みつける。マリアは気圧されたように、たじろいだ。


「なんで……どう考えても、あんたが私に勝てるわけないじゃない! この世界は弱肉強食、弱いやつが戦ったって、あっさり喰われて死ぬだけでしょ!? だったら……弱いやつに、戦う資格なんて」


「--ふざけるなッ!!」


 取り乱したマリアの舌鋒を、ハルの怒声が封じた。盾を握った左腕が、潰れて変な形に折れ曲がり、もう盾を離すことすらできなくなってしまっている。泥と血と涙でドロドロの顔を憤怒の形相に燃やして、ハルはマリアの大剣を、ゆっくり、ゆっくり、渾身の力を込めて押し戻していく。


「だったら……僕みたいな弱いやつは……いつ強くなったらいいんだよ!!」


「……っ!」


 剣を盾で押し戻し、ハルは目線の高さをマリアと同じにした。至近距離で睨み合いながら、ハルは裂けた唇から血が流れ出るのも構わず、怒鳴りつけた。


「確かに、この世界は弱肉強食だ……弱ければ何も守れない……だから! だから強くなるんじゃないのか! 最初から強い人間なんているもんか!! 君だって……何度も挫折して、血反吐を吐いて、やっと掴んだ強さなんじゃないのか!?」


 ハルには、よく分かるはずだった。


 ただの地球育ちの少女であるマリアが、あれほどの身体能力を発揮できるようになるまでに、どれほど血の滲むような努力が必要なのか。


 この数週間、ハルは毎日何十キロという距離を走り、何百という素振りを繰り返し、それでも成果は一朝一夕には現れず、何度も自分が情けなくなって、訓練が辛くなって、毎晩のように泣いていた。


 だからハルは、きっとマリアを尊敬していた。


 だからハルは、マリアとの勝負から逃げたくなかった。


「人が、強くなろうともがくのに、なんの許可や資格がいるって言うんだ!!!」


 ついに、ハルの盾がマリアの剣を弾き返した。仰け反ったマリアは、歯を食いしばって全身に有りっ丈の膂力を漲らせ、一瞬の隙をまるでなかったかのように上体を立て直し、剣を三度みたび、大上段に振りかぶった。


 唸りを上げて落ちてくる大剣を、ハルはもう、左手の盾で受け止めることも叶わない。だが、ハルはほんの僅かも逃げ腰を見せず、形のいい目をかっ開いて咆哮ほうこうした。食い入るように行方を見守る観衆の前で、ハルは、"右手"を閃かせた。


 ハルが余力を絞り出して振り上げた右手の剣が、落ちてくる大剣の土手っ腹に横合いから激突し、苛烈な音と火花をまき散らした。


 端正な顔を壮絶に歪めて叫びながら振り抜けたハルの剣は、ぎゃりりりりと悲鳴を上げ、とうとう重剣じゅうけんの軌道を僅かに逸らした。


 ハルの肩口を掠めて大剣が地面に突き立つ。剣をしっかり握りしめていた、あまりに軽いマリアの体は、その反動で無防備に地面から離れた。


 アカネに体が順応し、どれだけ超人的なパワーを手に入れても、体重ばかりは変えられない。


 時が止まったような中で、ハルだけが目まぐるしく動いた。大剣を弾き切った勢いでぐるりと体を回転させ、右手に有りっ丈の力をかき集める。かつての弱虫は、咆哮と共に羽化した。


 マリアの小さな額に、木剣が音高く炸裂した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る