第7話 煉術-3

 質量と、意思と、牙を持った炎が、凄まじい圧力で向かってくる。恐れるな。自分を強く叱りつけた。僅かでも臆せば、その瞬間に殺される。だから恐れず--戦え!


「ぉぉぉォォォォォアッ!!!」


 目を真円に近いほど見開き、恐怖を振り払うように絶叫しながら、俺は三頭の猟犬を真っ向から迎撃した。無事な右手一本で剣を握りしめ、最初の一頭の脳天を真一文字に両断する。


 炎が俺に道を譲るように分断した。やはり、斬れる。この犬は威力と機動力こそ脅威だが、耐久力は低い。木剣でもきちんとした攻撃が入れば、消滅させることができる。


 晴れた視界に、間髪入れず二頭目の炎獣えんじゅうが躍り出た。首筋に迫った牙をギリギリ木剣で受け止める。犬と俺の、力比べだ。小柄ながらも凄まじい馬力で剣ごと俺を食い千切ろうとする犬に、右手一本で全身全霊を捻り出し、競り合っている隙を逃さず、三頭目の猟犬が横合いから飛びかかってきた。


「邪魔だァッ!」


 真横から迫る獣の頭を力任せに蹴り飛ばすと、その勢いを利用し、競り合っていた犬の頭上を飛び越えた。空中で体を捻り、旋回しながら放った一撃が、あやまたず目下の首を刎ね飛ばす。


 獣のように四つ足で着地した俺は、呼吸も忘れて剣を握り直した。背後で二頭目が霧散し、残るは先ほど蹴り飛ばした一頭。そいつがまさに俺に向かって飛び掛かってくるところであった。恐怖を捨て、後退しそうになる足を無理矢理前に踏み込ませる。


退けェッ!!」


 空中でぶった斬られた猟犬が、断末魔を上げて爆散する。熱風を残して視界は完全に晴れた。思い出したように酸素を求めて喘ぎながら、俺はようやく護衛を失ったユーシスを睨んだ。


 怯んだユーシスの左足が、無意識か、半歩下がった。俺は身体中からなけなしの力を掻き集めて地面を蹴り飛ばした。ばふんっ、と砂塵が巻き上がる。


「ユーシスッ!」


 もう、気力だけで走っていた。奴の体から赤い光が消えている、今しかない。一撃。それで俺の勝ちだ。


 跳躍し、一息に距離を詰めた俺は右手の剣を仰け反るほど振りかぶった。重心が後ろに倒れたユーシスの防御が間に合うより明らかに早く、振り下ろした剣は脳天に直撃する。


 その寸前、車に跳ね飛ばされたような衝撃が全身を襲った。


 ユーシスのかざした左手に紅蓮の閃光が瞬いたかと思うと、爆発。手の平から放射された炎熱と爆風が、至近距離から俺を殴りつけた。射程の短い小規模の爆発ではあったが、満身創痍の俺の意識を刈り取るには十分な威力だった。あまりの熱と衝撃に意識がぶっ飛び、白目を剥く。


「ハハハハハ、惜しかったな地球人!」


「--……ァァァァァァァァアアアアアアアアッ!!!!」


 手放しかけた剣をすんでのところでむしり取り、咆哮。倒れない。こいつに一撃入れるまでは、死んでも倒れない。俺とユーシスの間で滞留する黒煙を、木剣の一振りで斬り払う。限界を超えた木剣は粉々に砕け、俺の手から離れた。


 拓けた視界に、驚愕するユーシスの顔が映し出された。剣を振った勢いで一回転しながら、俺はその顔を、かっ開いた目で凝視して狙いをつけると、剣を失った右手で硬い握り拳をつくり--全力でぶん殴った。


 雌雄は決した。


 ユーシスの首に下げられた宝石から、真紅の閃光が放たれた。それは膨れ上がり、ユーシスの全身を包み込む光の球となった。俺の拳はその光に弾かれ、押し戻され、俺の体は激しく後方に吹き飛ばされた。


 最後の役目を終えたとばかりに、ユーシスの宝石は音を立てて、粉々に砕け散った。無数の赤い粒子が雪のように闘技場へ降り注ぐ。


 審判が、上ずった声で、試合終了と、勝者として俺の名前を叫んだ。途端に客席は地震でも起きたみたいに揺れ、会場一体となった拍手喝采が、俺に向かって注がれる。


「救護班、早く! 彼を保健室へ!」


 審判を務めた教官に怒鳴られ、白装束の二人組が担架を持って、起き上がることも叶わない俺の方へ走り寄ってきた。どうやら、ユーシスよりも俺がよっぽど重症らしい。


 その時、エコーのかかったような芝居がかった男の声が、アリーナ中に響き渡った。


「……これはなんという茶番だ! ユーシス!」


 客席から一人の男が飛び降りてきたのである。肩にかかるほど長い炎髪。気品ある整った顔に刻まれた深い皺。


 あの人は、確か……気絶寸前の意識で記憶を辿る。そうだ。フレイムクラスの担任教官。入学初日から辱めを受け、あまりいい印象はない。今日は特に、一段と近寄りがたいオーラを放っていた。


 男は起き上ろうとしていたユーシスのもとまで大股で歩いていくと、ボロボロに汚れた真紅の外套を乱暴に掴んで立たせた。ユーシスの表情に、悲壮の色が浮かぶ。


「ち、父上……!」


 父上、だと。フレイムの首席と担任は、親子だったのか。


「申し訳、ありません……恥ずかしい試合を、お見せしてしまって……」


「恥ずかしい試合だと!? ついこの間来たばかりのアンナチュラルに、レッドバーン家の長男が負けたこの試合が、恥ずかしいで済むものか! 貴様はレッドバーン家に、私の顔に泥を塗ったのだ!」


 突如始まった親子喧嘩に、一同、控えめにざわつき始める。ユーシスの父親はおこりのように体を震わせていたが、やがて、噛んで含ませるような口調になってユーシスに問いかけた。


「……ユーシス、お前はどこか体の調子が良くなかったのだろう。そうでなければ、ウィードクラスの子どもにお前が負けるはずがない。誤解があるなら解かなければならないよ、ユーシス。今日の試合を見てくださったみなさんの前で、はっきりと言うのだ」


 ぐっ、と襟首を握り締められ、ユーシスの顔がひきつる。俺は自力で立ち上がり、ユーシスの顔を見た。ユーシスは、俺と父親の顔を交互に見つめた。


「父上……私は……」


「あぁ、そうだ、ユーシス。お前は体の具合が悪かったんだ。どこが悪かったのだ、言ってみなさい」


 父親はユーシスから離れ、行方を見守る群衆によく見えるようにユーシスの背中を押して前に進ませた。突き出されたユーシスは、よろめきながら、固唾を飲む観客達をきょろきょろと見回し、顔を青ざめさせ--長い長い沈黙を経て、震える声を絞り出した。


「父上…………私は………………私は、どこも悪くありません……!」


 父親はその言葉に、血走った目を見開いた。


「今日、お見せしたのが、恥ずかしながら、今の私の、全力でございます……それでもナツメ候補生には、お、及びませんでした」


 涙を流して、ユーシスは父親を見つめた。喉を詰まらせ、懇願するように膝を折る。


「レッドバーン家に、父上の顔に泥を塗ってしまい、ほ、本当に、申し訳ありません! こ……これから! 私は心を入れ替え、今まで以上に精進いたします。ナツメ候補生に、必ずや、雪辱を、果たします。シンクレアというウィードの娘にもです、負けたままでは、終われません! 私はこれから、強くなります! ですから、父上、どうかこれからの私を」


 パァン、と壮絶な音が響いた。


 顔がもげるのではないかと思うほどに勢いをつけた平手打ちが、ユーシスのほおに炸裂したのだ。倒れたユーシスを憤怒の形相で見下ろすと、父親は忌々しげに吐き捨てた。


「どこまでもデキの悪い息子だ……お前には失望したよ」


 ユーシスは倒れ込んだまま、ほおを押さえて震えていた。闘技場がざわめきを増していく中、男は居心地悪そうに長髪をかき上げ、闘技者用のゲートから出て行こうとする。


「教官」


 何を思ったか、俺は彼を呼び止めた。どうしても、言わないでは気が済まないことがあったのだ。足を止めたユーシスの父親は、訝しげに俺を睨みつける。


「なんだ、小僧」


「あなたの息子は、強かったですよ」


 真っ直ぐ睨み返し、そう言った。ユーシスは強かった。今日は勝てたが、仕切り直して同じ結果になるとも言い切れない、ギリギリの戦いだった。だから、ユーシスのことは好きじゃないが、なんだか、この男を許せなかった。


「……下等種族が、図に乗るなよ」


 尋常ならざる憎悪のこもったその形相には、正直ゾッとさせられた。それでも俺は目を逸らさなかった。彼の後ろ姿が入場口の闇に溶けて消えていくのを、最後までじっと見守った。


 それから俺は、救護班に両脇を固められながら、ユーシスのもとへ歩いていった。


「立てるか?」


 手を差し伸べかけて、戦闘の前、汚物をつまむように握手されたことを思い出した。ユーシスにとって、俺は気味の悪い異世界人。あんな父親のもとで育ってくれば、どんな強烈な差別や偏見を持っていても頷ける。


 引っ込めかけた俺の手を、ユーシスが力強く掴み取った。しっかりと繋がった手に体重を預け、ユーシスが起き上がる。


「……情けなどいらん。さっさと傷の手当てをしろ」


「あぁ、まったく容赦なくやってくれたよな。なんだよあの犬。体を覆ってた光とか、最後の爆発も。れんじゅつ、とか言ってたよな」


「教える義理はないな」


 冷たく顔を背けられ、俺は膨れっ面で「ケチ」と呟いた。ユーシスは俺の手を離し、砂だらけになった衣服をたたいて、俺に背を向けた。


 去り際、ユーシスは一度だけ立ち止まった。


「……お前の剣を、俺は一度素手で受けた。あの時点で、既に勝負は終わっていた。見苦しく戦いを続けて……悪かったな」


 意外なことを謝られて、俺は、やはりこいつも剣士なのだと思った。剣道でも、面金めんがねなど、当たっても有効打の判定が取れない部分で竹刀を受けるのは邪道とされている。


 防具のない、真剣同士の勝負であれば、その一撃が致命傷になるからである。剣道もランク戦も、実戦を想定した訓練だ。心が剣士であれば、邪道を選んで何も感じない人間はいない。


「覚えていろ。次は必ずお前を地べたに這いつくばらせてやる」


 燃える瞳で俺を睨みつけると、ユーシスは真紅の外套を翻して立ち去った。それを見送っているうちに、だんだんと俺の気も遠くなり、ふらりとよろめいた俺を慌てて横の救護班が支えてくれた。

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