第6話 決闘-3

 銅鑼どらの音が鳴り響いた。


 俺はアリーナの剣闘士待機室にて、精神を集中していた。


 今しがた、アリーナの闘技場で行われていた本日の第九試合が決着した。薄い土壁をすり抜けて届いてきていた、戦闘の喧騒や観客の声援、怒号が、揃って拍手喝采に変わる。再び銅鑼の音が轟き、試合が終幕する。


「ナツメ候補生、準備をお願いします」


「はい」


 大きく息を吸って鋭く吐き、俺は立ち上がった。呼びに来た学園の役員に礼を言って、彼を追い越す。


 あっという間に今日を迎えてしまった。俺とユーシスの対決は、第十戦。本日の最終戦だ。授業を終えた生徒はもちろん、教官、仕事帰りの街の人々まで、大勢が見物に詰めかける。


 日程は任せると言ってしまったのが運の尽きであった。ユーシスのやつは、よほど大衆の眼前で俺を叩きのめしたいらしい。


 待機室と闘技場を結ぶ、長い一直線の通路を、貸し出し用の木剣を片手にゆっくり歩く。通路の終わりに溢れる茜色の光が、喧騒とともに、少しずつ強まっていく。


 やがて、喧騒が割れんばかりの歓声になった頃、俺は通路を歩き切った。飽和した光が収まると、そこはもう別世界。巨大野球場のような円形のスタジアム。闘牛士が猛牛と戦うような殺風景な砂地が、紅穹の赤光しゃっこうを浴びて妖しくきらめく。


 高い位置にある客席に、大勢の見物人が詰めかけていた。ぐるりと俺を取り囲む人々が、俺の登場に気づくや否や諸手を叩いてはやし立てた。候補生同士の訓練だというのに、まるで娯楽扱いである。


「あれが例の《飛び級》小僧か!」


「《剣術基礎》を一日でクリアってのは、異例の話だな。まして新客なんだって?」


 誰が吹聴したのか、俺の噂話まで聞こえてきた。居心地悪いことこの上ない。


「シオーーーーーン!」


 頭上から降り注いだ声に顔を上げると、俺が出てきた入場口の真上の柵に張り付いて、身を乗り出し手を振る金髪の少年を見つけた。ハルだ。既に半泣きである。


「怪我しないでねぇーーー! 危なかったらすぐに降参するんだぞーーー!」


「わかってるよー!」


 大声を張り上げ、手を振り返した。もっとも、降参する気はさらさらない。


 その時、俺の時とは比べ物にならないほどの、爆音の歓声が巻き起こった。向かいのゲートから、真紅の外套を風になびかせ、気障な所作で一人の少年が入場してくる。燃えるような炎髪を、いつも以上に気合の入ったセットで整えている。


「ユーシスだ! ユーシス・レッドバーン!」


「レッドバーン家の一人息子か……あそこは代々、優秀なウォーカーを輩出している名家だよな」


「中でもユーシスの才能は随一だとか」


「それで今日は《白薔薇》のウォーカーまで観に来てるのか!」


 客席は大変な盛り上がりである。ユーシスは観客に向かって片手を掲げ、外交的な笑みを浮かべている。緊張や気負いなど、かけらも感じさせない佇まいだ。


 ふと、俺と目が合うと、ユーシスは水をかけたように笑みを消した。俺たちはお互いに歩み寄り、砂地のバトルフィールドの中心でかち合った。


 品定めするように俺をじろじろと物色していたユーシスが、不意ににっこり笑って片手を差し出してきた。


「今日はいい試合にしよう、ナツメ候補生」


 俺は肩をすくめて、こちらも右手を伸ばした。


「お手柔らかに、レッドバーン次席」


 ユーシスは笑顔を変えず、汚いものをつまむように俺の手を取ると、さっさと離してしまった。相変わらず感じの悪いやつだ。


 俺たちは数歩離れ、向かい合った。扱う剣はランク戦のルールに則り、互いに木製。違うのは、ユーシスが片手剣ハンドソードなのに対し、俺はそれよりやや刀身と柄の長い、片手半剣ハンド・アンド・ア・ハーフという形状の剣を選んでいるところだ。


 名の通り、片手剣と両手剣の中間に位置する規格の剣である。必要に応じて、片手使用と両手使用を切り替えることができる。


 この剣を選択したのは、単純に、俺の慣れ親しんだ刀に、これが最もサイズ感と使い勝手が近いからである。


「両者、準備はいいですか?」


 グレーのレフェリー服に身を包んだ審判が、俺たちに問うた。互いに、無言で頷く。この砂地のバトルフィールドにいるのは、俺たちとレフェリーの三人だけだ。


 今、俺とユーシスの首には、小さな赤い宝石のネックレスが下げられている。この宝石こそがランク戦の生命線。特殊なモンスターの素材をもとに作られた《魔道具マジックアイテム》だ。世界樹で作られた俺たちの学生証も、そう呼ばれる。


 聞くところによればこの宝石は、《着用者が一定以上のダメージを受けると粉々に砕ける》という、一体なんの役に立つのかはなはだ疑問な特性を秘めているそうだ。


 ランク戦のルールは単純明快。十分という制限時間内に、この宝石を砕かれた方が負け。


 この宝石を砕かれないためには、とにかく攻撃をもらわないようにすること。逆に俺は、ユーシスの防御をかいくぐって、奴の体に直接ダメージを与えていくことが目的となる。


「シオーーーーーン! 頑張れーーーーーーー!」


 飛び乱れる数多の声援に混じって、確かにハルの応援が聞こえた。俺は背筋を伸ばし、両手で剣を握って中段に構えた。ごくごくオーソドックスな俺の構えを見て、ユーシスが失笑する。


「失敬、あまりに真面目な構えだから」


 ユーシスは右手の剣を肩に担ぐように構え、左半身を前に出して腰を落とした。こちらは随分と、斬新な構えだ。


「挑戦者が何秒持つか、賭けようぜ!」


「一太刀目で崩されて、二太刀目で勝負ありだろ」


「十秒は持ってほしいな」


 誰も、俺の勝ちなんて万に一つも信じてくれていないようだ。ブルーになってきたので、俺は精神を集中して喧騒を意識から締め出した。音が遠ざかり、代わりに、自分の鼓動がやけに鮮明に聞こえる。


 レフェリーが片手を挙げる。それに合わせ、全身に、均等に力を張り巡らせていく。待ちきれないとばかりに、ユーシスの口角が上がった。化けの皮が剥がれ、獰猛で狡猾な笑みが露わになる。


 俺は、ユーシスの顎が上がっていることに気づいた。俺を舐めきっているようだ。ならば--


「始め!」


 レフェリーが手を振り下ろすと同時、俺は砂地を蹴飛ばしてユーシスに突進した。三メートル強の距離を瞬く間に詰め、矢の如く木剣を突き出す。ユーシスの目が、ハッと見開かれた。


 がつんと硬い手応えがして、俺の剣は弾き返された。無理に押し返さず、反動を利用して手首を返し下段から追撃。後退しながらもユーシスは辛うじてこれも防いだ。


「ふっ!」


 鋭く呼気を吐き出し、力任せにユーシスを押し込むと、俺は猛然とラッシュを開始した。羽のように軽い剣を縦横無尽に操り、八方から乱打を浴びせる。ユーシスの表情にもう一切の余裕はなかった。見事な剣さばきで俺の攻撃を全弾叩き落とし、凌ぎ切ってみせる。


 木剣同士とは思えない苛烈な衝突音が、客席をピシャリと静まりかえらせていた。


 どちらからともなく一息つき、距離をとった俺とユーシスは、恐らく同時に、思った。


 --強い。


 ユーシスの顔はひどく狼狽していた。俺も同じような顔をしているはずだ。あれだけ打って一撃も入らないなんて、俺の経験上有り得ない。


 若干のラグののち、驚嘆混じりの大歓声がアリーナを揺るがした。ユーシスは舌打ちして客席を睨むと、木剣を芝居がかった仕草で斬り払い、俺に突きつけた。


「少しはやるようだな……もう油断はしない」


 言葉通り、隙が消えている。俺は冷や汗が頬を伝うのを感じながら、剣を握り直した。

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