第13話 無重力と無秩序

 無重力って楽しい。

 心の底からそう思った。


 でっぷりと肥えたおばさんが目の前を横切る。バランスを取ろうとして体が回転して俺にスカートの中を見せてしまう……嬉しくはないのだが、多分ドイツ語で恥ずかしいわ!とか言ってるような気がする。

 由紀子は同世代の女子と手を取り合ってはしゃいでいた。DankeとかMerciとか言ってる。その辺の言葉は事前に勉強してたようだが、いざとなると言葉の壁なんて関係ないようだ。


 楽しい時間はすぐに過ぎる。名残惜しいが無重力イベントは終わった。重力が元に戻り、皆が床にゆっくりと着地する。うまくバランスが取れない人は乗務員が介助をしていた。しかし、皆笑顔でいかにも楽しかったという表情だった。俺もきっとそういう笑顔をしているのだと思う。

 その中で一人、渋い顔をしている大人がいた。白人で初老の男性だったが一人だけ席に座ったまま動かなかったのは異質だった。


 その後は昼食時間だった。俺たちは上の階の食堂へ行き、お弁当のサンドイッチを受け取った。青々とした地球を眺めながらの食事は格別で、サンドイッチの味なんてよくわからなかったけれども、とにかくおいしかったのだ。


 満腹になると眠くなる。俺達は時差ボケのせいもあり、食堂のテーブルで眠りこけてしまったようだった。気が付くと俺は簡易シートに座らされ妹は厨房のオジサン抱かれていた。


「坊やたちは日本から来たの?」


 目が覚めた俺にウェイトレスのお姉さんが日本語で話しかけてきた。紺色のエプロンドレスを着ている。スカートは短く細い足キレイだ。


「ええそうです。自分はタツヒコといいます」

「そう、良い名前ね。タツはドラゴンのタツかしら」

「十二支の辰で、龍ですね。ドラゴンとか思ってなかったですけど」

「カッコいいわ。私はエミリ。そっちのオヤジはジャン」


 妹を抱えているヒゲ面のジャンはニコニコしながら手を振る。

「すみません。重たいでしょ」

「問題ないよ。こんなかわいい娘なら大歓迎だ」


 ジャンも日本語が堪能だった。


「それ妹です。ユキコです」

「タツは幸せ者だな。こんな仲の良い妹がいるなんてな。人生の勝利者だぞ」

「いや、いつもは喧嘩ばかりで……」

「そこが良いんだろ?」


 俺が首をかしげていると、エミリが助け舟を出してくれた。


「ねえジャン。世の中の兄が全て妹萌えだとは限らないのよ。あなたは日本のアニメ見すぎです」

「そうかな?こんなかわいい妹なら萌え萌えだと思うけど」

「すみません。自分は妹相手だと萎えます」

「おおお。萎え。萌えの対義語だな。ちなみに萌えも萎えもフランス語ではmoe、naeだ」


 そうなのか、知らなかった。

 由紀子はいい気になって眠ってる。


「そろそろ加速するわ。スイングバイと噴射を併用して一気に倍の速度をだしますよ」

「俺達戻らなくて大丈夫ですかね?」

「大丈夫。ちゃんとアテンダントには伝えてます。加速が終わったら席にもどろうね」

「はいありがとうございます。ところで、すごく日本語上手ですね」

「日本に留学してたのよ。日本の文化が好きでね。親に無理言って留学したのよ」

「そうなんですか」

「そう。ジャンはアニオタよ」


 グイっと親指を立てにニヤリと笑う。


 チャイムが鳴り何やら放送し始めた。


「席についてシートベルトを締めなさいって」

「はい」


 そう言ってシートベルトを確認する。


 クラージュが加速を始める。発進の時ほどではないが相応のGを感じる。


「約500秒加速するわ。待てるわよね」

「ええ大丈夫です」


 由紀子が目を覚ました。


「え。何?やだ。どうなってるの?」

「今、加速中だから大人しくしろ。その人はジャンさん。MARIKA&SERIKAが大好きだって言ってたぞ」

「ユキ。オジサンは日本のアニメ大好きなんだよ。私はどちらかと言うとクールなSERIKAの方が好きかな」

「まあ、SERIKAちゃんはそうね。どちらかと言うとカッコイイ系?でも私は超絶可愛いMARIKAちゃん萌え萌えなの」


 アニオタのオタク談義が始まった。

 由紀子はしばらくはジャンに任せとけばいいかなと一息つく。


 由紀子とジャンのオタク談義は続いている。日本の小学五年生とオタク談義で盛り上がるフランス人の中年男性とか、結構シュールな絵柄かもしれない。


「おかしいわね。加速時間が長いわ。これだと月を飛び越えて行っちゃうかもしれない」


 もう一人いた若い男性の厨房スタッフが外へ出ていく。

 その時銃声が鳴った。

 アサルトライフルなのか。連続してパパパパパと破裂音がした。


「アミティエ。厨房閉鎖、早くして!!」

「了解しました。厨房閉鎖します」


 食堂との間にシャッターが下りる。

 そのシャッターも銃で撃たれ小さい穴がいくつも空いた。


「さっきの男の人は?」


 ジャンは首を横に振る。


「助けないの?」

「あなた達を守るためにシャッターは開けられないわ」

「ハイジャックですか?」

「分らないわ。でもハイジャックならまず殺さない。人質にして何か交渉するために乗っ取るの。けど彼は警告なしに撃たれた。しかも実銃を使ったわ」

「それはどうして?」

「船に穴が開いてもいいのよ。人命なんかこれっぽっちも考慮していない」


 まさか、自爆テロ……

 楽しいはずの宇宙旅行が最悪の展開となる。

 由紀子はジャンにしがみついて震えていた。

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