37話 君の中の思いは色褪せてもⅨ

「お待ちしていました、ヴィクトワール様が二階のガーベラの間でお待ちしています」


 イリアンソス郊外にあるゲーペル地区と呼ばれている高級住宅街の一角、少し隠れ家を思わわせる場所にある空き家を買い取り、改装して作られたフォートナム二号店に辿り着いた時には、冬という事もあってだいぶ日が陰り、辺りは薄暗くなった頃だった。

 明日は二号店の開店日で、それを祝う為に多くの関係者が先程まで集まって、事業成功を祈願しつつ、ソルフィア王国初の飲食系連鎖店の開店を祝う立食パーティーを開いていたらしい。

 まだテーブルには空になった食器類が置かれたままで、従業員の人達は忙しさに一段落がついて、気を抜きつつ、最後の仕事に励んでいた。そんな所に遅れてボクがやって来たのだけど、どうやらメルはボクが来ることを予想していたみたいだ。

 血は繋がっていなくても、心が繋がった姉妹だからきっと、ボクの決意が届いたのだと思う。

 案内を務めるこのフォートナム二号店のメイド服を着こんだ従業員さんに先導され、ガーベラの間に入った直後の、メルの『そろそろだと思っていましたわ』という言葉で、その事をより深く確信した。


「ごめんね、不甲斐ない所を見せちゃって…だけど大丈夫、覚悟は決めたよ」

「ええ、そうでなくては困りますわ。姉様抜きだと色々と滞りますの、さてでは席に座ってくださいまし、先程までエド先輩と会議をしていた事、姉様にも知っておいて欲しいのでお話しますわ」


 ボクはメルに促されて部屋の中央にある、凝った造りのテーブルに着く。

 するとメルは呼び鈴を鳴らし、少しして案内をしてくれたメイド服を着こんだ従業員さんが、ティーポットとカップ、それと軽い軽食の載ったワゴンを押して部屋の中に入って来る。

 そしてまだ初々しく、だけどしっかりと指導された手際でワゴンに載せられた軽食を置き、続いてカップを置き紅茶を注ぎ、一通りの作業を終えるとお辞儀をして退出する。

 本当にとても良く動けていた、たぶんダンテスさんが指導したのかもしれない。

 師匠が同じだと癖もまた似る、だから動きを観れば誰に師事したのか何となく分かるのだ。


「姉様の視点からして、どうでした?」

「この短期間で良く学んでる、元から経験者だった事を勘案しても驚く上達ぶりだった。ボクの目からだけど、ちゃんと通じる水準だったよ」

「なら問題なしですわ、この地区は裕福な方が多く中には王家の縁者もいますの。些細な不手際でも目を光らせる方たちを相手にする以上、半端は命取り、ですわ」


 フォートナムが狙うお客さんの層は中流から上流、当然の話だけど上に行けば行くほどに求められるサービスの質は青天井。出来るのが当たり前で、出来ないは許されない世界だからこそ、求められる従業員の質もそれに比例する。

 その事を踏まえても、接客の対応は今の時点での採点だけど問題なし。

 運ばれた軽食はサンドイッチ、キュウリとマヨネーズのサンドイッチとそれにハムを挟んだ物。シンプルだけど少しの手抜きがより強く映し出される、特に見栄えに現れる。だからこれも今の時点では合格点。

 問題がるとしたら、この質をどこまで維持し続けれるか?そこに関しては今後次第だから、今日は特に言わないでおく。


「姉様…一つ確認しますが、セドリック殿下と戦えますの?」

「戦うよメル、ボクは彼と交わした約束を守る為に、戦う」


 ラフタ灯台の下で誓った事をボクは、絶対に守る。

 その為にも、彼を止めないといけない。

 だけど同時にボクはメルに確認しないといけない事が二つある。


「ねえメル、セドリック殿下がああなったのは…ボクが、生死不明になってからだよね?」

「………はい、ですわ」


 やっぱり。

 グリンダにあれだけ心配をかけたのだから、アレックスに、セドリック殿下にどれだけ心配をかけたのか…それがどういう形で彼の心を狂わせたのか、ボクには分からないけど、もう一つ確認しないといけない事がある。


「もう一つ聞きたいことがあるんだ。ボクが生死不明になってから、彼の周りに誰か…たぶん、エドゥアルド殿下の周りでうろついていた人が、近づくようになったんじゃないかな?」

「っ!?その…それは……」

「ふははは!ここは俺の出番という事だな、説明しよう…と、その前に何で分かったんだ、マリア?俺は彼女の話を何もしていないはずだが?」


 言い辛そうにメルが口籠ると、たぶん隣の部屋で気耳を立てていたのか、タイミングよくバタンッ!という大きな音を立てて、エドゥアルド殿下は入って来る。そしてボクの疑問に答えると言いつつ、何で言っていないはずの人物に気が付いたのか尋ねて来た。

 なのでボクは、


「臭いで」 


 と、簡潔に答えた。

 何となく嗅いだことのある臭いだったから、今になって思えば、という何となくだけど。でもあの蒙昧な姿はまるで、王都で初めて会った頃のエドゥアルド殿下によく似ていた。その姿をネスタ兄さんは『最初の頃はうぬぼれが過ぎる男だったがそれでもこんな、こんなバカな事をする奴じゃなかった』と評した。

 今のセドリック殿下もまた同じ。

 なら答えは一つ。


「エドゥアルド殿下と親しくしていて、その後はセドリック殿下と親しくしている人がいる、であってますよね?」

「ああ、そうだ。アリス・アンダーソン、以前は俺と口約束だが婚約を結んだ相手だ。今は…マリアが生死不明になった頃からセドリックと親しくなって、俺と同じく口約束だけだが…婚約も結んでいる。そして彼女と出会ってからセドリックは今のようになった」

「……」


 アリス・アンダーソン…家名からして前理事長のアンダーソン男爵と関わり合いのある人かもしれない。確か前理事長は王太子殿下だけでなく、国王陛下にも教育を行った人物だった筈、それなら二人に近付いて、付きまとう事も出来る 

 そうか、そいつが、か。

 か。


「ゴホンッ、取りあえずわたくしを蚊帳の外にするのはこれまでにして。姉様、今後の方針を説明しますわ」



♦♦♦♦



 マリアローズへ今後の方針を一通りの説明を終えた直後、厨房から『看板メニューのドレス・ド・オムライスが上手く出来ません!!』という悲鳴が上がり、マリアローズは『ならボクの出番だね!』と何時もの調子で、嬉々とした表情で一階の厨房へと下りて行った。

 その後姿は望まぬ形での再会に深く心が傷つき、暗く沈んでいた姿はなく、完全に何時もの明るい後姿だった。

 それに安堵するメルセデスとエドゥアルドの表情に、何か困惑の色が含まれている事に、入れ違いで部屋に入って来たネストルは気が付く。


「どうした?マリアが元気を取り戻したんだ、もっと嬉しそうにしたらどうだ?それとも、何か不味い事でもあったのか?」

「まあ…少しな……」


 ネストルの指摘に歯切れの悪い声でエドゥアルドは答えると、天井を仰いで独白するように語りだす。


「今後の方針は、学園側の何もしないとセドリックの再台頭で、こっちが浮足立ちはしたが大幅な方針転換はしない。予定を少し前倒しにするがメルの発案した自動車による移動販売は、冬休みを終え三学期が始まると同時に営業を開始する」

「ああ、その話は午前中に聞いた」

「学園側が学生寮の修繕を冬休み中に終わらせると言ったが、ラグサと同じルッツフェーロ商会から枝分かれした建築事務所が施工する。クラインがその建築事務所の仕事を確認したが、より悪化する修繕は初めて見た、と称していた」

「ああ、それも午前中に聞いた。だからクライン達に写真機を渡して、修繕が始まる前にもう一度学生寮の状況を、以前にも増して綿密に調べて報告書を作る事になっただろ?それも午前中に聞いた」

「ああ、その…何だ……」

「本当にどうしたエド?またマリアの神経に障るような事を言ったのか?」


 独白を終わらせてもなお、口籠るエドゥアルドに軽い皮肉を口にしたネストルは、押し黙り言い返さない友人の姿に、本当に何があったのか?心配になり始めていたが、意を決したメルセデスが、困惑している理由を語りだした。


「正直に言いますと、わたくしもエド先輩も、姉様があのような表情をするとは思いもしなかったんですの!何時も笑顔ですし、怒った顔が怖いのも知っていますの、ですがあのような表情は…本当に予想外でしたの」

「アリスのな、彼女の名前を口にしたその直後だったんだ、マリアの目から光が消えて、まるで…暗闇の底から湧き上がる何かを宿した…そう嫉妬に燃える目をしていたんだ!」

「……いや、人は誰しも他者に嫉妬するだろ?マリアだって、自分の目の前で有名店のお菓子が売り切れた時、運よく買えた先客を恨みがましく嫉妬に満ちた目で――――」

「そういう可愛らしい目つきでも顔でもなかった!今にも包丁で相手を滅多刺しにしそうな顔だった!」

「そうですの!もしもその場にアリス…でしたか?その人がいたら頸動脈をナイフで切り裂いてしまいそうな目でしたの!」


 『大丈夫か?最近忙しかったから、きっと疲れているんだろう』と二人の反応を見たネストルは、この言葉を慈愛に満ちた眼差しで送り、続けて『そろそろマリアお手製のドレス・ド・オムライスが出来るから下に行って食べよう?』と優しく気遣う。

 しかしこの二人の見解は正鵠を射っていた。

 実際にマリアローズは前世を含めて、人生初の感情に、その激情に、静かに突き動かされていた。

 ただ本人がその感情の意味を深く理解するのは、まだまだ先の話である。

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