33話 君の中の思いは色褪せてもⅤ

 部屋の中が、真っ暗だ。

 どれくらいボクは泣いていたのだろう?

 メル達が帰って来た時は、少しだけ泣くのを我慢する事が出来たけど、三人が一階へ下りたらまた涙が溢れだし、声を殺して今さっきまで泣いていた。

 これ以上、皆に心配かけてはいけない、ベッドから起き上がって皆の所へ行かないといけない、そう思うのに酷い倦怠感と無気力感で、体が鉛のように重く動かない。

 瞼を閉じてあの日に思いを馳せれば、色褪せぬアレックスと過ごした時間を、はっきりと思い出せる。一緒に過ごした時間は僅かだったけど、瞼を閉じれば想い馳せる事の出来る思い出の中に、ずっと浸っていたい。

 だって、目を開ければその光景はもうどこにもないという現実が広がっているから、だからずっとこのままで瞼を閉じたままでいたい、そういう淀んだ感情が心の中で滞留して体がどんどん重くなる。

 

 胸が…苦しい。

 呼吸をするのも辛い。

 痛い、心がすごく痛い。

 鋭利な刃物で引き裂かれ、めった刺しにされたように痛い。


「情けない、ボクは…思い出しただけで、また涙が出て来る……」


 泣いて泣いて、部屋が真っ黒になるまで泣き続けたのに全然枯れない。

 ああぁ…何でアレックスはボクを忘れたのだろう?

 それともボクの妄想だったんだろうか?

 いいや違う、このペンダントは間違いなく開放祭の時に、アレックスが買ってくれた物だ。そして王都へアレックスが帰る時に、再開の目印にしようって約束したんだ。

 だから…絶対にこの思い出は本物なんだ。


「ふえ!?」


 心の中で何度も同じことを考えて、同じ結論を出しても思うように体が動かず、真っ暗な天井を眺めていると、急にパッと部屋が明るくなる。

 あまりにも唐突で目が眩み、部屋を明るくした本人がボクの横たわるベッドに腰を掛けるまで、はっきりと見えず、その醜態に明かりをつけた張本人であるメルは小さくため息をついた。


「何時もの姉様なら、部屋の前に立った時点で気づいていますのに、それにこういう時にはすぐに体を起こされるのに、横になったまま…予想以上に弱っているみたいですわね」

「……うん」


 返す言葉も無かった。

 目がはっきりと見えるようになるまで、ベッドに腰を掛けたのがメルだって気づけなかった。普段ならすぐに分かるのに、今は体を起こす気力も残っていない。

 そんなボクにメルはこれといって何か小言を言うでもなく、励ますのでもなく、ただ静かに座っている。たぶん、ボクが何か口を開くのを待っているのだ、でも何を言ったらいいのか?

 頭の中で色んな事がグルグルと回って、纏まりが無くて、何を話したらいいのか分からない。

 それでも横になったままなのは、よくない。

 ボクは小さじ一杯分は残っている気力を振り絞って、体を起こしてメルの隣に座る。

 座ったけど……何を話そう?


「メル、ボクは……アレックスがセドリック殿下だって知らなかった」

「ええ、そのことを知っているのは僅かな人だけだと、ダンテスさんが仰られていましたわ」

「イリアンソスで会おうって約束していたんだ、このペンダントはその目印なんだ」

「ええ、お聞きしていますわ」

「だけど…アレックスはボクを忘れてしまっていたんだ。何で、なんだろう?それに今になってから気づいたけど、何か嫌な臭いがしたんだ」


 ボクはただ延々と、頭の中でグルグルと同じ場所で回り続ける思いを、メルに打ち明ける事しか出来なかった。



♦♦♦♦



「どうだった?マリアの様子は?」

「努めて平静を取り繕っている、些細な事で崩れ落ちそうな状態ですわ。ですから今はセドリック殿下が変わってしまわれた理由を、姉様には説明していませんの」

「その方がいいだろうな、今はマリア自身の心の整理がつくのを待つ方が得策だ」


 努めて平静を装っているのは、どうやら姉様だけでなくエドゥアルド殿下も同じようですわ。

 本心では今すぐにでもセドリック殿下に掴みかかりたい、姉様を悲しませた報いを受けさせたい。激情を必死に胸の奥に押し込め、今後の事を見据えている。

 流石と言えば流石ですが若干、冷たいという印象を抱いてしまいそうですの。

 談話室で、他の方々を食堂に残してわたくしは殿下の対面に座り、冷静という表情を顔に張り付ける殿下の話された事を思い出しました。


 アーカムから戻られたセドリック殿下。

 以前は叔父のエドゥアルド殿下や弟のオズワルド殿下と比べて、明確な才能の差に劣等感を抱き思い悩んでいたのが、アーカムで姉様との出会いで心境の変化があったらしく、才能の有無で思い悩む事は無くなり。

 それどころか、自分に出来ない事があるのは恥じる事ではないと、謙虚に誠実に、何よりも自分より優れた者を認め、賞賛する実直な大器を垣間見せるようになる。

 エドゥアルド殿下もその変化に、兄である王太子殿下に匹敵する器を見出したものの、姉様が生死不明となってからは、心のバランスを崩して感情の起伏が激しくなり、一時は錯乱しているのではない?という状態にまでなる。

 謹慎が長引いたもう一つの原因はそこにあるらしい、ですの。


「暴力事件自体はあいつの周りが引き起こした事だが、こちらとしてはこれは幸いと回復するまでイリアンソスの別荘に医者と使用人をつけて軟禁した。復学するという話は聞いていたが兄上が早々に許可を出すとは思っていなかった…が、世話を焼いていてくれたアンダーソン男爵の後押しで、早々に兄上の許可が出たのは、大きな誤算だった」

「アンダーソン男爵…前理事長ですわね。となると実情を知らず存ぜぬだったのは、叔父であるのに関わらず、甥っ子の近況を確かめていなかったエドゥアルド殿下の責任ですわね」

「はっはっは、これは手厳しい。まあ個人的な願望を優先した俺の責任だな、それと聞いた限りから推測して、一番酷かった時期よりも回復したのは間違いない……エド先輩とは言ってくれないのか?」

「真面目なお話をしている最中ですの、であるならば殿下とお呼びするのが当然ですわ」


 付け足すなら姉様を狙う野獣。

 ベティーさんに代わって、わたくしが姉様をけだもの達からお守りする、これはヴィクトワール家の総意でもありますの!どこの馬の骨と知れていても関係ありませんわ!


「ここでだ、本当に厄介なのはセドリックという男は、俺ほどの多才ではない代わりに、俺以上のカリスマ性を持っている。先頭に立ちながらも決して出しゃばらず、他者の功績を妬まず賞賛する。中等部で貴族派の優位を確立するのも錯乱する前の、最初の一年でやってのけた」

「対してこちらは人を魅了する才能を持っているのは姉様だけ、それも統率者としてではなく、支える立場としての魅力……わたくしもグリさんもカリスマ性は乏しい、そして姉様はとても立ち回れる状態ではない、ですわ」


 詰んでいる、ですわの。

 実際にどうなるかはセドリック殿下の行動次第ですが、エドゥアルド殿下をして『俺以上のカリスマ性』と言わせるほどの人物。

 一時期とはいえ、共に中等部に同時に在籍して、天才と称されるエドゥアルド殿下を負かしたカリスマ性は恐るべき、ですの。

 今はこちらが優勢ですが、そのカリスマ性で中立の立場を取っている優秀な人材を囲い込まれれば、太刀打ちは出来ない。幸いにもこちらにはクライン一派を始めとした協力者が大勢おられる……拙速は慎むべきですわね。


「それとだが……恥ずかしい話をするなら、俺がかつてマリアに一人の男として、恥ずべきことを言ったというのは覚えているか?」

「ええ、初対面の時に聞かされましたの。あれだけで絶対に姉様を貴方だけには渡さないと、ヴィクトワール家の総意になったのですから、覚えていますわ」

「ごほん…あの時の俺は色々と性根が腐っていたからな、セドリックの変化に焦って道を見失っていた。マリアに叱責されなければどうなっていた事か」

「それで、それが何か?」

「……実はな、グリンダから聞いたんだが彼女はかつてマリアに対して虐めを行っていたというのは知っているか?」

「ええ、存じていますの。ただグリさんは仲良くしたくて、見知らぬ少女から聞いた助言を鵜呑みにし、気づけば虐めを行っていたそうですの」


 最初、姉様とグリさんからそのお話を聞いた時はとても驚きましたわ。

 親友という間柄のお二人が実は、かつて虐める側と虐められる側だったという事実。学校が再開されて席が隣同士となってから、ちょっとしたことをきいかけに関係が改善されて、今では文字通り竹馬の友。

 しかし、それとエド先輩との事と何の関係があるというのでしょうか?

 似ている、というだけで関係性は無いと思いますわ。


「俺は…マリアに出会う前、セドリックに嫉妬している時期にアリスという少女に出会った、そしてグリンダも助言をしたという少女だが……どうやら特徴が無害そうな顔立ちの少女らしい」

「姉様ははっきりと見たわけではないらしいですが、セイラム事変が起こる少し前まであちらこちらで、目撃されていたそうですわ」

「アリスもな、無害そうな顔立ちの少女なんだ」


 何を…言いたいのでしょうかエド先輩は?

 それと今の事と何の関係が?

 いえ、そう言えば姉様は仰っていましたわ。

 殿、と……。

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