11話 幕開ける学園生活Ⅶ
強くなる為に体を鍛える事は必要だけど行き過ぎればそれはただの重りになる。
何よりムキムキの筋肉だるまの執事やメイドなんて相手に警戒を与えるだけ、必要なのは健やかな肉体と強靭な精神、そして練磨された技、つまりバランスの取れた心技体だ。
ボクは朝の鍛錬を一通り終え最後の魔力の制御の修練を始める。
内側にある魔力に意識を向けて全身を覆うように内向魔法を発動させ、そこから足先や指の先に、時にはその他の場所に魔力を集中させたり全身を覆いながら一部だけ魔力を多くしたりして、魔力制御の修練を行う。
魔力とは自らであり内側にある、同一であり自らである。
前世では知らなかった感覚だけど最近は無意識に制御出来る様になって来た。
身体に力を内向魔法は体に力を入れる感覚にとてもよく似ている、だからボクより体格に恵まれている、妬ましい事に恵まれているクライン君を相手にしても力負けしなかったのだ。
まあそれでもメイド長さんやロバートさんの足元の影にも及ばないのだけど。
「凄いな…うちは大雑把にしか出来へんのに、何でそんな器用な事で出来るん?」
振り向いて屋上の扉の方を見るとそこには感心したいう表情を浮かべるレオがいた。
だいぶ朝陽が昇って明るくなったとは言え早朝、グリンダはまだ眠っていたしメルもまだ眠っている時間だけどレオは早起きらしい。
「おはよう、昨日はよく眠れた?」
「おかげさまでばっちし眠れた、まあそれよりもや…ちょいと手合わせお願いしてもええか?」
そう言えばレオって生前は軍人で今世でも軍人を目指す、軍人一家の長女だったっけ。
はぐらかして有耶無耶にして逃げようだなんてさせない、榛色の瞳は大型のネコ科のようにボクを見据えている。
まあボク自身、手合わせをするのはやぶさかではない。
「あんがとな…それじゃあっ!」
「っ!?」
速っ!?
ボクが構えると同時にレオは軽快な踊りのようなステップを踏み一気に態勢を低くして、まるでブレイクダンスのような後ろ回し蹴りを、さらに勢いをそのままに連続した後ろ回し蹴りで距離を詰める!?
あまりにもトリッキーな動きに意表を突かれたけど、すぐに頭を冷静にしてボクは大きく後ろに下がってレオの間合いから出る。
勢いを付けた後ろ回し蹴りの連撃はレオの間合いの中だったら脅威だけど、大きくさがって間合いから出ればそれはただのアクロバティックな踊りだ。
何よりっ!?
「あっはっはっはー!うちの動体視力は豹並みやで?グルグル回っとっても動きは見えるんよ!」
「だからってボクが下がった瞬間に止まって牽制しながら後ろに回転とか……」
「それが南方の伝統武術や、まあカポエイラや二ホンのタイドウによー似とるで?ブラジルのサンバのように激しく踊りつつも二ホンの武術みたいに礼儀作法を重んじたり……さてとこっちの手の内も見せたしこっからは割と本気やで?」
そう言うと同時にさっきの動きが遅く感じるほどにレオは素早く文字通り激しくも洗練されたダンスのようなステップを踏みながら、一気にボクとの間合いを詰め後ろ回し蹴りの連撃、そしてそこから迂闊にも飛び回し蹴りをはなつ。
「執事道を相手に大振りは命取りだよ!」
「っうひゃあ!?」
左右に揺さぶってから低い体制での動きからの飛び回し蹴り、普通なら避けれないにし対応は出来ない、けど執事道は如何なる状況にも対応する事を前提にした技術体系だ。
動きの変化への対応は十八番だ!
飛び跳ねてしまって何も出来ない、飛び回し蹴りを避けながらボクはレオとの間合いを一気に詰めて無防備に晒した胴体へと正拳突きを打ち込む。
だけどレオは普通なら身動きの取れない中空で猫のように体を捩って正拳突き避け、着地と同時に後方へ回転しながらボクから離れる。
完璧に決まったと思ったけど、もしかしたらレオは…いや間違いなくボクより強い。
「冷ッとしたわ!すっごいなマリ…やなかったお外ではアルベールやったな、にしても完璧に決まったと思ったのにうちの回転に合わせて間合いを詰めるとか、どないな修練したらそこまで強ーなれるん?」
「毎日…自分が微生物に思える程の…強者と手合わせをしたら強くなれる、よ……」
「それならつよーなって当たり前やな!まあうちなら脱兎やで」
肩で息をしているボクと違ってレオはケラケラと笑う余裕がある。
手を抜いている訳ではないけど本気じゃない。
「うちが強いんは…まああれやな獣人の文化に欠かせんのは踊りと歌や、踊って歌って自分の心を表現する文化なんよ、せやからうちも立って歩ける様になってからずっと南方では知らぬ者のいない踊り手のオカンから教わっとってな、それでや」
成程、ボクがロバートさんやメイド長さんから教わっているのと同じと言う事か。
さらに言うとそこに生前の経験も合わさるから、敵わなくて当たり前ではあるけど…でもちょっと悔しい、それと自分が井の中の蛙だったことを痛感している。
ロバートさんの言葉の真意はまさにそれだ。
ロバートさんの知るボクと同世代でボクより強い人はいなくても、ロバートさんの知らない同世代にはボクより強い人がいっぱいる。
目の前のレオのように、だからもっと強くなりたい。
「それじゃあレオ、朝食の前に汗を流そうか」
「ええで、久しぶりに良い汗かいたしな!寮やと…ええと、あっ!そうや朝食は何?」
「今日はスクランブルエッグとソーセージにサラダ、野菜たっぷりのコンソメスープ、それと厚切りのトーストだよ」
「ほんまか!それは嬉しいな!」
レオはそう言うと屋上の扉へとスキップをしながら向かうのであった。
♦♦♦♦
「メル、一つお願いしたい事があるんだ」
「何ですの?内容によってはお受けいたしかねますが」
朝食を食べ終え食後の紅茶で一服して、さて今日は何をしようか?
せっかくの日曜日、何時もなら部屋の掃除や銃器の手入れ、それとメルと一緒にケインズ通りやその他のイベントが催される広場へ遊びに行くのだけど、今日はグリンダとレオが遊びに来ているから普段とは違う何かをしよう。
そう思っていた矢先、唐突に意を決したという表情を浮かべたグリンダが話を切り出した。
朝から何か言いたげにしていたし、昨日も何か悩んでいる感じだった。
レオも朝の手合わせを終えた時に言葉の歯切れが悪かったから何かそれに関係しているのかもしれない。
「とても不躾で図々しいお願いなんだが……私とレオをここに住まわせて欲しい、家賃も払う、これでも実家は食堂だから不足分は家事手伝いで補える、だからここに住まわせて欲しい」
グリンダはそう言ってメルに頭を下げる。
ヴェッキオ寮に住まわせて欲しい……確かイリアンソス学園の学生寮は開校時に建てられた長い歴史と格式高い、特に女子寮は王侯貴族が住む事を前提にしたそれはそれは立派な学生寮だと、お母さんやシャーリーさんが言っていた。
だからヴェッキオ寮よりもずっと住み心地は良い筈だけど……。
「学生寮の悪い噂は予てより聞いていましたが…理由はそれだけではありませんのよね?」
「ああ、実は学園側から退寮を迫られているんだ。伯爵家ならイリアンソスの集合住宅を借りれるだろうという一方的な理由で、それもわざわざ学校が始まってから通達して来た。学生寮は貧しい一般市民の為にあるのだと言ってな」
グリンダはそう言うと苦虫を噛み潰したような苦悶な表情を浮かべ、レオは苛立ちを隠せず犬歯を見えるほど険しい表情を浮かべる。
何というかこれは…宰相さんじゃなかった、オリヴェル小父様に報告しないといけない案件だ。
実はオリヴェル小父様は宰相の職を辞した後、学園都市の都市議会で政変が起こって議員選挙が行われるまで、シャトノワ領で家族と一緒に静養していたのだ。その時に再開してジンネマン様ではなく小父様と呼んで欲しいと頼まれて、ボク自身とてもお世話になったからそれを了承してオリヴェル小父様と呼んでいる。
ちなみに今は都市議会の野党第一党の自由党に所属して、鉄血宰相と恐れられた辣腕を遺憾なく発揮し現理事長を支持する結束党をこれでもかと、それはもう連日新聞を賑わせる程に振るっているのだ。
なのでグリンダの事はオリヴェル小父様に報告しておこう。
ボクがそう結論付けると同時にメルも答えが出たみたいだ。
「家賃は不要ですわ、学園側が面倒な事を言ってきますし、ですが何も受け取らないはグリさんの気持ちのおさまりが悪いですし…そうですわね、食費の一部負担と自分の部屋はある程度自分で掃除してくだされば問題ありませんわ」
「ほんまか!やったなグリ!これで休日返上で外回りせんでもええで!」
「落ち着けレオ!その…言っておいたあれなんだが、本当にいいのか?」
「ええ、問題はありませんの。姉様の親友と姉様と同じ
メルは紅茶を飲みながらレオにウィンクをする。
成程、どうやら昨日の内にレオと話を付けていたのか。
とすると今日はどうしよう?
月曜日に備えて三階の空き部屋を清掃しておいた方が良いのだけど、せっかくの日曜日だからどこか遊びに行きたい。
ボクは手帳を取り出して今日各大広場で行われるイベントを確認したけど、恒例の蚤の市は開かれているけれどそれ以外は特にやっていない……そう言えばケインズ通りに面白い劇場が開かれたんだ。
「ねえ皆、映画を観に行かない?」
♦♦♦♦
ケインズ通りの一角、元々はレストランだった場所で今は映画館だ。
ただ映画館としてはとても小さく、イリアンソスの学園都市の映画館と言うより田舎の映画館という感じで、とても狭く一度に入れる観客は10人前後、それでも肩と肩が触れ合ってしまう程に狭い。
小柄なボクとメルはたいして問題にはならないけど、背の高いグリンダや大柄のレオにはとても窮屈でこういう時に背が低くて良かったと思って……ちょっと凹む。
「楽団の準備も終わったみたいやし、そろそろやな」
「ついに始まるのか、えいが…動く写真と言うのはどういった感じなんだろうな?」
戸惑い半分、好奇心半分と言う表情を浮かべるグリンダは今か今かと映画が始まるの待ち侘びている。
「ですが本当にグリさんは映画を観た事がないんですの?」
「ああ無い、西部だぞ?それも山脈寄りの西南部、写真を撮られたら魂が抜き取られると未だに信じられている場所でえいがなんてある訳が無い」
グリンダの言葉にメルは訝し気な表情を浮かべつつ驚く。
だけどメル、現実なんだ。
西部は、特に国境寄りの地域は文明が一世紀か二世紀くらい遅れているんだ。
ボクが生まれ育ったアーカムでも領都だと言うのに蒸気自動車は滅多に走らず、馬車だってサスペンションが無いのは当たり前で、蒸気自動車を知らない人までいるから突飛な馬車に蒸気機関を固定した物を作れ!という人までいたり……どうしようボクの生まれ故郷、辺境過ぎる。
「あれやな、こっちに来る時に初めて蒸気機関車見た時のグリの驚きようは凄ったで?鉄の塊が何で走る!みたいにな、まあ気持ちは分からんでもないけど…と始まるで」
何か言い返したそうなグリンだったけど明かりが消され、スクリーンに映像が映り出し音楽が奏でられ始めると、すぐにそっちの方を食い入るように観始める。
さてさて今日の映画は……テロップには西部の街並みと書いてある、もしくは西部の街並みとしか書かれていない。
西部は西部でもどこ?
そう思っていると唐突の駅舎の映像が映し出される。
あれは……リューベークの駅だ。
懐かしい。
音声は無くテロップにはリューベーク実験州州都エルベの風景としか書かれていない。
数秒程駅の風景が流れ少し映像が飛んで突如として汽車が画面に映る。
「うひゃあ!?」
「ちょっ!?グリ!しぃー!驚き過ぎやぞ……」
「え、いや…そうか、すまない目の前に汽車が現れたと思って……」
「グリさんの言った事は本当だったんですのね……」
突然映し出された汽車の映像にグリンダは驚いて立ち上がってしまい、隣の観客の人は迷惑そうに顔をしかめている、ただ生まれて初めて映画を観たら誰だって同じ反応をすると思う。
と今度は……南部方面軍セイラム駐留師団第一大隊とリューベーク実験州警察警務隊との合同演習。
題名長い、そして映し出されたのは剣を持った……ラインハルトさん!
ラインハルトさんいつの間に銀幕デビュー!?
「アルベール、何であの人達は剣なんて持っていますの?儀礼の場や騎兵の方が持っているのは分かりますが、警察の方なら警棒や拳銃では?」
「ええと…そうか、メルは知らなんだっけ」
「何をですの?」
「西部は今でも魔獣が棲息していて、自衛の為に対魔獣の術式を刻んだ剣や斧とか装備している警務隊があるんだ、あそこで指導している人は国家魔導士で対魔物対魔獣のエキスパートなんだ」
あ…メル、ボクの言っている事をの半分以上を理解できてない。
それも当然だ。
魔獣とか魔物とか西部に住んでいなかったら出会う機会なんて普通にない、だけど西部は今も魔獣が棲息していてその対策の為に、致命傷を与えられる武器を装備した自衛組織や警務隊が組織されている。
砲艇グルーの上でラインハルトさんから色々と教わったからボクは知っているけど、メルはヴァレリーの一件で魔獣と相対しただけで詳細は誰も教えていない。だから知らなくて当然だし個人的には知ってほしくない。
知ってしまえば巻き込まれる様な気がするから……。
「ア…アルベール、
「え?」
「博物館にあるような馬車が…普通に…それに道路がまったく舗装されていませんわ、州都に続く大きな街道なのにまったく…地面剥き出しですの……」
「うん、西部では舗装されている道の方が珍しいんだ、リューベークみたいに大きな領じゃない限り地面剥き出しなのが当たり前なんだ……」
信じられない光景を見た。
メルはそういう表情でスクリーンに映し出される光景を観る。
終始グリンダは動く写真に驚きメルはまさに辺境という光景に戸惑う。
映画を観終わった後はケインズ通りなどで新しく住む事になった二人の為に日用品を買い揃え、昼食は大広場の屋台で食べてヴェッキオ寮に戻って少し休憩をしてから三階の空き部屋の掃除をして二人を迎え入れる準備をする。
そして月曜日になりメルとアンリさんの見事な連携で学園側がいちゃもんを付けて来る前に退寮の手続きと、既に支払っている寮費の返還請求を終わらせて二人を正式にヴェッキオ寮に迎え入れた。
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