7話 幕開ける学園生活Ⅲ

 土曜日、入学から数えて二回目の土曜日。

 この頃になればどの教師が理事長派なのか分かって来た。

 クラス担任のウィット先生は言うまでも無く理事長派。

 メルのクラス担任のレイエス先生は反理事長派。

 で今授業を受けている教科の先生はと言うと反理事長派。

 

「であるからして、この計算にはこの公式を用いて……」


 ゼイムス・アルフォード先生。

 気難しく神経質そうな、物理学や数学を専門とする教授然とした雰囲気を持ち、白髪交じりの壮年の顔立ちはその印象をより強くする、中等部の数学を担当する先生の一人だ。

 イリアンソス学園でも古参の先生で、元陸軍の砲兵、現国王陛下の元家庭教師、幾つもの論文を学会に発表しソルフィア王国の学問の発展に貢献したという経歴は、強権を振るう理事長ですら迂闊に手が出せない。

 何より生徒への評価は公正だ。

 

「さて、次の問題だが…クライン君、答えたまえ」

「え?ええと……分かりません」

「ふむ、では分かる者は手を挙げたまえ」


 肩を落としながら席に座るクライン君を誰もが恨めしそうに睨むクラスメイト達。

 いやいや睨むようなことじゃないよ?

 ちゃんと授業を聞いて、黒板に書かれた事をノートに写して、それと写すのが遅れたりしたら友達に見せてもらうなり、先生に聞くなりすればまだこの時期に遅れるって事は無いと思うよ?

 まあ確かにアルフォード先生の授業を進める速度はとても速い、だけど要点に関してはちゃんと時間を取ってくれるし分からない所は、尋ねれば丁寧に教えてくれる。

 見た目は近寄りがたい所はあるけれど教え方はとても丁寧だ。

 真面目に授業を聞いていれば問題無く答えられる。

 ボクの場合は…生前に習っているからと言うのもあるけれど。


 それでもやはりこの惨状は酷い。

 誰も手を上げない、間違ったら酷く怒られるのが怖くて…という事は決してない。

 アルフォード先生は答えられないからと言って、厳しく叱責したり嫌味な事を言う事も無く、丁寧に何故違うのか教えてくれる見た目に反して優しい先生だ。

 つまりこの沈黙は本当に分からないという沈黙で…どうやらアルフォード先生もこれ以上待っても誰も手を上げないと悟って、呆れながらそしてすまなさそうにボクの目を見る。


「ふむ、誰も手を上げないのなら…トマ君、答えたまえ」

「はい」


 ボクは立ち上がって黒板の前に立って…届かない!?

 そんな!ええい!よし背伸びを、ギリギリまで足をつま先立ちすれば届く!

 ええと…この数式なら答えは…と、よし。


「よろしい、それと…次回からは脚立を用意しておこう」

「お願いします……」


 答え終わり席に戻ると……やっぱり始まった。

 

「まただよ…やっぱりお貴族様の使用人は違うな」

「ああ、きっと俺達の事を内心で馬鹿にしてるに決まってる」


 ボクに聞こえるようにヒソヒソ話が始まった。

 アルフォード先生がボクを指名するのを躊躇ったのはこれが原因なのだ。

 答えれば嫌味、答えなくても嫌味。

 ボクはクラスの中で完全に孤立している。

 最初に指名されたクライン君はウィット先生の信奉者で、ボクに関する悪い噂を喧伝している筆頭、その割にはもう既に遅れて取り残され始めていて辛うじて採点が砂糖のように甘い国語の授業だけはついて行けている。

 他の生徒の軒並み同レベル、つまりボクだけど良くも悪くも飛び出しているのだ。


「ふむ、ではラディーチェ君は次の問題を答えたまえ。その次は再びクライン君だが分からないのなら君達二人には課題を与える」

「「ええ!?」」


 嫌がるなよ。

 既に他のクラスから落ちこぼれ学級と言われているこの5組で、その中でも極端に酷い君達二人へのアルフォード先生からの慈悲だよ?

 ボクがいた世界の中学校だとついて行けないのなら即座に切り捨てられていたんだから。


 などとボクはクラスメイト二人に呆れつつ、今の自分の現状を鑑みる。

 イリアンソス学園は中等部5年、高等部4年、それと大学部4年だ。

 大学部への進級をせずに卒業する人が殆どだ。

 そしてここが一番の問題、中等部5年間は一度もクラス替えをしないのだ。

 つまりボクは彼等と5年間、学園生活を共にする。

 遠足や修学旅行や、文化祭や運動会は…無かったから他にも色々なクラスで行動する行事をこの問題だらけのクラスメイトと共にするのだ。

 

 どうしようメル、お姉ちゃんもう挫けそう……。


♦♦♦♦

 

 

「はっ!?」

「どないしたんメル?」

「いっいえ…何でもないですわ」


 一瞬、姉様がわたくしに助けを求めた様な気がしましたわ!

 姉妹だからこそ通じ合うという何か虫の知らせ……いえ、さすがにそれは考え過ぎですわ、ですが……。


「もしかして噂のアルベール君ちゅう使用人の事か?」

「ええ…何となくですが……」


 姉様のいるクラスの悪評は既に他のクラスに響き渡り、わたくしの耳にまで届いていました。

 授業態度は不真面目極まりなく、既に授業について行けずそしてクラスメイトの一人を集中的に攻撃している、つまり虐めが行われていると……その虐めを受けているという生徒は間違いなく姉様ですわ。

 ご本人は隠しているつもりなのでしょうが、周りは姉様のように不必要な事は喋らない訳ではありません、これ見よがしに自分はどこそこの誰をこの様に攻撃していると自慢げに吹聴して回っている。 

 ですがそれ以上に姉様は目立ちますの。


 当人は無自覚なのが一番厄介なのですが、姉様のベティーさん譲りの艶やかさは日増しに強まり、少し釣り上がった目が醸し出す冷たく妖しい蠱惑的な色香は静かに微笑んだだけで耐性の無い方は赤面してしまう程ですの。

 しかも今は男装していますから、何と言いますか…倒錯的で妹であるわたくしでもドキッとしてしまう時がありますわ。

 ですから姉様の事はご自身で自覚されるよりも早く知れ渡ってしまいますの。


「うちもめっちゃ気にたっとるんよ!何でもアルベール君が微笑むと男子が前かがみになるってめっちゃエロいって噂やからな!」

「おいレオ!すまないメル……」

「事実ですから仕方がありませんわ、シャトノワの基礎学校時代でも良く男子がね…アルベールが微笑むと途端に顔を真っ赤にしてましたから……」


 本人にまったく自覚が無いのが一番の問題ですし。

 姉様は自己評価が極端に低く、どうやら生前も容姿が女性寄りだった事からよく馬鹿にされ、その所為かベティーさん似である事を誇りに思う一方で自分は母親程の魅力は無いと思っていますの。

 実際はとてもモテますわ、何故か男装しているのに男子に……。


「気になっとったんやけどクラスの関係からまったくすれ違わへんから見かける機会がなかったんやけど、改めて噂話聞いて思うんはもしかしてグリが言うとった大切な人ってアルベール君の事なんやないの?」

「グリさんの大切な人?それは誰ですの?」

「レオ…お前口が軽過ぎだ。すまないメル、そのちょっと事情があって詳しく話せないだがただ…とても大切な人で、特徴がその母親似のとても…色っぽい子で………なんだ」

「母親似の…色っぽい子……」

 

 最後の方は声が小さすぎて聞き取れませんでしたが……グリさんの大切な人と言う事は同じアーカム出身、そして母親似のとても色っぽい子…………姉様!?

 いえいえいえいえいえ、流石にその結論は拙速過ぎますわ。

 

「でもめっちゃ白い肌で赤い瞳なんやろ?確かアルベール君ってめっちゃ肌白いって話しやで髪は黒いけど、おまけに瞳も赤いし」

「髪は白だ、それもただの白じゃない…誰も足を踏み入れた事の無い雪原のような白銀の髪だ、黒色ではない」

「……」


 完全に姉様ですわ。

 姉様の本来の髪の色、肌も同じ様に白くそして紅玉の瞳。

 特徴が全て一致してますもの!

 と言う事は姉様が最近そわそわと周囲を気にながら見ているのは、グリさんを探しているからなのでしょうか?

 そして一番の決め手は、いえ決め手だらけでしたがグリさんは事情があって詳しく話せないとくだり、姉様も事情があって性別も名前も偽っている。

 伝えるべきでしょうか?いえ違う可能性もありますわ。

 それにどっちにしろ、今日この後に全て解決しますし今は黙っていましょう。


「それにしてもや、メルって太っ腹やな!うちらの分も用意してくれてるんやろ?寮の飯食わへんでいいってだけで万々歳や」

「すまないメル、私達の分まで昼食を用意してもらって」

「いえお気になさらずに、私自身お二人にアルベールを紹介したかったのでどうせなら、皆で昼食をと思っただけですから」


 学園には幾つか小さな庭園があり、そこで何時もわたくしと姉様は昼食を食べています。

 グリさんとレオさんのお二人は寮生で昼食は何時も食堂、授業が半日の土曜日は学生寮で摂っているので昼食を共にする事がありませんでした。

 ですがやはり友人同士なら昼食を共にするものですわ!

 お昼休みに友人達と取り留めのない他愛のない事に花を咲かせる、学園生活の醍醐味でもあるのですから、その為にわたくしは姉様に頼んでお二人の分の昼食も用意して貰っていますの。

 わたくしの素敵な友人を姉様に紹介したい、ちょっとだけ自慢したいというのも本音ですが。

 それと……ここ最近気になっているのが、何故昼食を食べ終わったクラスメイトの多くが顔を青くしているのか?ですわ。

 

「いやーそれにしてもほんま助かるわ!おはようからおやすみまで、クッソ不味いおまんまばっかで正直味覚が馬鹿になっとったさかい、メルが普段から絶賛するアルベール君の料理!楽しみで仕方ないわ!」

「西部料理に造詣が深いというのも嬉しい、イリアンソスでは西部料理は蒸かしたじゃが芋しかないから気が滅入っていたんだ、あとライ麦を使っているパンが無いのも辛かった」


 ライ麦パン……姉様も美味しいと言って食べていましたが私 《わたくし》に癖があって食べづらかったですわ。

 型に入れて焼いたフランセーズから伝わったパンドミを、西部で主流のライ麦を使って焼いたは、姉様曰く「半々だから少し癖がある」程度らしいのですが本音を言うと私には癖が強過ぎて食べづらいですの。

 せめてライ麦2に小麦が8でお願いしたいですわ。

 

 ちなみに今日のお昼は姉様特製の野菜をたっぷり挟んだ鶏胸肉のシュニッツェルサンド。

 スープはシュパーゲル…白アスパラガスのクリームスープ。

 デザートはシャトノワ特産のピーナッツを使ったピーナッツフロランタン。

 完璧な布陣ですわ!

 あとは姉様が理科教室に私を迎えに来るだけですのに、遅いですわね。

 約束の時間から10分も過ぎていますわ。


 時間に正確な姉様が遅刻をすると言うのは考えづらいですの、となると授業が長引いている…いえ確か今日の最後は数学の筈ですわ。

 教科担当のアルフォード先生は計画的で授業は全て時間通りに終わらせると有名な方ですので、そうなると嫌な予感がして来ましたわ。

 

「もう少し待っていただけますか?ちょっと様子を見て来ますので」

「そんならうちらも一緒に行くで?」

「ああ、一人で行動すると何かと因縁を付けて来る奴がいるから私も一緒に行くよ、ここから数学教室まで距離も短いから行き違いにはならないしな」

「ありがとうございますわ」


 わたくしは二人と一緒にアルフォード先生のいる第二数学教室へと向かいました。

 道すがらわたくしは改めてお二人の事を思い返す。

 グリさんはリューベーク実験州のセイラム市の出身で伯爵家の令嬢。

 レオさんはグリさんとは違い南部のセビージャ領の出身で父は陸軍の少将、母は南方出身の獣人で同じく軍人、兄は陸軍の大尉と軍人一家の長女ですの。

 イリアンソスの士官科を希望されていたのですが、親友のグリさんとの学園生活を優先して士官科には高等部に進級してから転科する予定らしいですわ。


 そんな風に思い返していると数学教室が見えて来ました。

 数分の距離しか離れていないので行き違いになる事は無い筈ですが、姉様とはすれ違わなかったのでもしかしたら授業が長引いているだけかもしれませんの…と思っていたのですが何やら数人の女子生徒が教室の入り口の前で顔を青くしていました。

 確か姉様のクラスメイトの女子生徒達ですわ。

 何やら慌てながら話し合っているみたいですの。


「どっどうする?やっぱり先生に言った方が……」

「そんな事したら裏切り者って周りに言い触らさせれるかもしれないわよ!上級生に目を付けられたら、私達みたいな少数派なんてすぐに粛清されるわ!」

「で、でも…もしも大事になったら他の派閥の人達から……」

「大事になっても裁かれるの結束主義の人達よ、私達にはコミンテルンには関係ない!それにあんな貴族に媚びうる奴なんて痛い目見ればいいのよ!」


 話している内容が少々、物騒ですわね。

 何より貴族に媚を売る奴という言葉…姉様の事で間違いないですの。

 となると彼女達から詳しい話を聞かないといけませんわ。



♦♦♦♦



 よりによって!ですの。

 同時に分かっていたのだから早々に対策を練るべきだったですわ!

 ええそうですわ、姉様の悪癖を考えれば知った事か!とこちらが図々しくやるしかなった事でもありますの、自分を後回しにして他者を優先してしまうという姉様の悪癖をわたくしは軽く受け止め過ぎましたわ。

 精神面でわたくしより遥かに年上だと……。

 15歳まで生きたのだと、実際は違いますわ。

 15歳までしか生きられなかった。

 だから、わたくしとなんら変わりない普通の女の子だという視点を見失っていましたわ。


「校舎裏ってこっちの廊下を左やったっけ!?」

「いや右だろう!」

「どちらも違いますわ!真っ直ぐ行って窓から飛び出すのが正解ですわ!」


 授業が終わると同時に姉様に敵意を抱く男子数名が姉様を取り囲み、数学教室のある校舎の裏手に連れて行ったと、先程の女児生徒達は行っていました。

 なら裏手の中でも殆ど人の寄り付かないまともに手入れされず、雑草が伸び放題になっている場所、レイエス先生が危険だから近寄ってはいけないと言っていた場所に連れ込んでいる筈ですわ。


「先頭は私が行くからレオはメルの後ろを見てくれ」

「あいよ」

「グリさんが先頭ですの?」

「ああ、こう見えても私の魔法は一味違うんだ」


 グリさんはそう言うと懐から小瓶を取り出し、蓋を開けると中から黒い粉が飛び出しまるで生きているかのように、グリさんの周りを飛び回りました。

 これは一体どういう魔法ですの?


「まあとは言ってもそこまで特殊な魔法じゃない、ウォルト=エマーソン家は二つの家が合わさって生まれた家で、片方はメルト同じ土地読みの家系でもう片方のエマーソン家は雷の魔法を使う戦士の一族、つまり私はこうやって魔法で磁力を生み出して砂鉄を操れるのさ」

「まあそれで軽く斥候ちゅうことや、まあ何かあればうちがすぐに前に出るんやけどな!そんじゃあまあ急ぐで!」


 レオさんがそう言うとグリさんは走り出し慌ててわたくしも後をついて行きました。

 普段は落ち着いたまさに貴族の令嬢と言う凛々しい立ち振る舞いをされているグリさんですが、何と言いますか走る姿は妙に男らしいといいますか慣れている感じですわ。

 それとレオさんも軍人一族の娘、というのは分かりますが今も明るく振舞っていますが時折とても鋭い、ロバートさんやララさんのような鋭い目をする時がありますの。

 雰囲気もどこか姉様に似た、歳に似合わぬ落ち着きもありますし。

 まだ少しだけの付き合いですがみょ―――。


「ひゃわあ!?グリンさ!?何で急に立ち止まるんですの!」

「……」

「ちょいちょいグリ!何で止まんねん!メルのお尻が二つに割れたやろうが!」


 わたくしは急に止まってしまった先頭を走っていたグリさんに抗議しましたが、何故か呆然と…って!姉様!?

 姉様が男子に囲まれていて殴られて!

 どうして?姉様ならあの程度の輩に後れを取る様な事など!

 いえ今は早くお助けを―――。


「マリア……」

 

 しなければ……え?今グリさんは姉様を見てマリアと呟いたんですの?

 マリア…姉様の本名はマリアローズで愛称はマリアですわ。

 成程、やはりグリさんの言っていた大切な人と言うのは姉様の事だったんですのね……ってそんな状況では無いですの!


貴方達私わたくしの――――」

「てめぇえら!!」


 後ろのレオさんの雄叫び?と思い後ろを振り向くとレオさんはおろおろと慌てふためいていました。

 何よりこの怒鳴り声は前から聞こえてきましたの。

 と言う事はこの地響きのような怒鳴り声は……グリさん!?


「私の大切な友達に!何手ぇえだしてんだぁああああ!」

「ちょっ!?グリちょい待ちいや!!止まれ!ステイ!ステイ!!」


 怒鳴り声を上げながらグリさんは走り出していました。

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