31話 マリアローズ8歳の決意Ⅳ【終幕】
拳銃を構えながら思う事はただ一つ、魔物を相手に拳銃で立ち向かう。
そもそも魔物や魔獣の厄介な所とは?
桁外れの再生能力と強靭な皮膚を持っている事だ。
撃たれても銃弾を弾き返し貫かれて、皮膚を裂かれ臓腑を吹き飛ばされても瞬く間に再生し、臆する事無く前進し続ける生物兵器、それが魔獣であり魔物なのだ。
だから今の状況を簡単に例えると羆にエアガンで立ち向かうのと同じ事なのだ。
一応、持っている拳銃はララさんから貰った警察官の標準装備と同じ拳銃で、銃弾も9ミリグリニッチ弾という元々は軍用に開発された物だから……うん、ヴァレリーは自分がどんな存在になったのか理解しているみたいだ。
「ねえアルベール、それって脅し?」
「まさか、普通の拳銃弾で魔物を殺せるなんて発想をボクは持っていないよ、だけどそうだね…」
ヴァレリーは拳銃を向けられても動じず、平然としている。
これが自分にとって何ら脅威になり得ないと理解しているみたいだ。
そして普通ならここで打つ手なしだけど、ボクは既に備えている。
拳銃をショルダーホルスターに、ナイフを袖の中に戻して司祭様が用意してくれたナックルガードの付いた真っ赤なグローブを取り出し手に嵌める。
あれから何度か司祭様に会う機会があって、その度に質問攻めにして渋々という感じで幾つかの事を教えてもらった。
魔物や魔獣の恐ろしさ、強さ、厄介さ、何より正面から戦うには専用の装備を必要だという事、ラインハルトさんが持っていた剣やグスタフさんが持っていたランタンのような特殊な魔道具が必要なのだ。
ボクがどんなに力を篭めて殴っても意味はない、魔物の成り損ないである魔族が相手なら十二分に致命傷を与えられるけれど、魔獣にはまるで意味が無く理想的な魔物である眷族に至っては蚊に刺されたと同義だ。
だからこそこのグローブだ。
これには硬化や防刃といった術式と魔物に致命傷を負わせる事が出来る対魔式という術式が編み込まれていて、魔力を流すと自動的に発動する、つまりボクのように内向魔法に特化した人が魔法で体を強化すれば自然と発動してくれる。
ボクが外神委員会に立ち向かえるように、司祭様が用意してくれた対魔物用の魔道具なのだ。
「厄介ね、ていうか…もしかしてあの方が言っていた異端審問官?」
「残念だけど違うよ、ただボクは君達と戦う為の備えはしている、それだけは言っておく」
「そう……まだこの体には慣れてないし変態もまだ途中なのよね、まともにやり合ったら負けるわ」
「じゃあ投降する気になったのかな?蛇足だけどボクはここに覚悟を決めて立っている」
命を奪う覚悟は出来ている。
その為の訓練も積んだ、積んで来た!
そしてヴァレリーはまだ眷族に変化して切っていない、後顧の憂いを断つ為にも絶対に逃がす訳には行かない、だけど厄介な事にメルとレティシアさんだけでなく気を失っている、ヴァレリーに操られていた人達も守らないといけない。
状況はこちらが不利だ。
ロドさんが来るまで話を引き延ばす、時間稼ぎをしなければ!
「でもねアルベール、私もさっき言ったけど前よりお利口になったのよ?つまりここに居るのは戦う為ではなく、ただの手遊み…逃げる算段ならもう付けてるわ」
「っ!?この臭いはっ!」
ヴァレリーに気を取られて気付くのが遅れてしまった!
外にも何かいる!
魔族とも眷族とも違う酷い臭い、つまり!
「いらっしゃい、可愛い可愛い屍食鬼ちゃん」
「ギィ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛ッ゛!!」
けたたましくサルのような、それでいて不快な程に機械のような奇声を発してそれは窓ガラスを突き破り、ダンスホールの中に飛び込んで来た。
感覚ではない、実際の嗅覚で感じる生き物の腐った臭いにボクは顔を顰めてしまう。
後ろにいるメルは口を手で押さえて必死に吐き気に耐えている。
当然だ。
酷いの悪臭だけじゃない。
屍食鬼と言われた魔獣の姿形は脳裏に焼き付く程に不気味で奇怪だった。
顔はまるで童謡でお馴染みのアイアイのようでありながら、どこか蝙蝠を思わせ、それ以上に嫌に人間の顔にも見える…気色悪い細く長い手足に皮膚や毛はゴムに似た質感、大きく見開いた瞼の無い目に目が合うだけで胸が悪くなる。
明らかに異形だった。
心の弱い人が屍食鬼を見れば間違いなく、トラウマになってしまう。
「どうアルベール、可愛いでしょう?私は良く知らないけど確か……山脈の外で生み出された量産型の魔獣らしくて、何でも数を揃えて解き放つだけで街が壊滅するって言ってたわ、でもでもこの顔!すごくすごく可愛いでしょ?聞いた話だとセリカっていう国の
可愛い?何て質の悪い冗談だ。
あれは一言、吐き気のする化け物。
それ以外の言葉は絶対に無い!
人と違う理性とかそういう話じゃない!ヴァレリーは本当に姿だけじゃなく、心まで化け物に変わり果ていている!
「それじゃあ取り合えず今はこの屍食鬼に任せて私は逃げさせてもらうね」
「ヴァレリー……」
「睨まないでよ、本音を言えば私が手ずから殺したいのよ?身体が本調子ならもっともっと楽しく遊べたのに、ご覧の通りまだまだ不完全で人と魔物の境がはっきりと分かれてるの…だ・か・ら、今は屍食鬼に任せて尻尾巻いて逃げるの!」
「待て!?ヴァレリー!」
その八本の足を器用に素早く動かして、ヴァレリーは屍食鬼がガラスを破って入って来た所から外へ、あまりにも見事な文字通り一目散に逃げて行った。
たぶん別の入り口から地下通路に逃げるつもりだ。
追い掛けないと…なんて許してはくれないか。
そう、目の前の屍食鬼の所為で追うに追えない。
さっきからこちらを見据えて、隙があれば何時でも飛び付けるように構えている。
厄介だ。
何が?単純にあれは奇襲を得意としているのが目に見えている。
下手に隙を見せれば一巻の終わり、本当に厄介だ。
「ギギギィ゛…」
睨み合い。
時間にしてどれ位だろうか?たぶん一分にも満たない時間、それでもお互いに出方を窺っている時の体感時間はとても長い、どう出る?どう攻撃する?あの長い腕をどう使って攻撃して来る?
どう出る?そう出るしかない!
ボクは一分にも満たない、一瞬よりも長い時間を使って屍食鬼の出方を予測する。
「ギギィ゛イ゛イ゛イ゛ッ゛!!」
下半身のバネを最大に使って屍食鬼は両手を広げて前へと飛び出した。
言うまでも無い!
その長い両腕でボクが左右に逃げる選択肢を奪い、迫る事でボクが後ろに退くと本能的に見越しての、愚行だ!
「はっ!」
執事道格闘術心得その一、後の先を取る!
つまり相手を見てどう動くか、相手が自分を見てどう動くか、自分が相手の立場に立ってどう動くか、その全てを予測し相手の動きに即座に対応して最適の相手が最も嫌な動きをする!
無駄に長い腕を生かすには相手と一定の距離を保持しなくてはならない。
だからボクは全力で前へと踏み出し、距離を一気に詰め屍食鬼の懐へ潜り込む。
「ギギィ゛ッ゛!?」
屍食鬼は耳障りな奇声を発して戸惑っている。
後ろに退くと思っていた相手が飛び出した直後に自分目掛けて同じ様に飛び出したからだ、あっと言う間に距離を詰められた屍食鬼はボクの間合いの外へ出ようと無理矢理に止まって後ろに下がろうとする、だけどそれもまた愚行だ。
無理矢理に止まったから態勢を崩して、自分の急所を無防備に晒してしまっている。
ボクはその隙を逃さず右手に魔力を集中させ、全力で屍食鬼の胸を目掛けて突き出す。
ゴムのような弾力のある皮膚を貫き、肉を裂き、骨を砕き、心臓へと達する。
脈打つ心臓。
命の鼓動。
嫌な感触だ。
ああ…屍食鬼もまた命ある生物なのだ。
だけど、躊躇いはもう捨てた。
「ギギィ゛イ゛イ゛ッ゛!?」
「せめて、良き来世を…」
屍食鬼の心臓を一気に引き抜いて握り潰す。
返り血を浴びながらボクは、この手で命を絶った感触を噛みしめる。
達成感は無い、ただ思っていたよりもずっと重い…ただそれだけだ。
「ギ…ィ゛……」
不治の術式が編み込まれているから潰された心臓は再生する事が出来ず、屍食鬼は力なく血を吐き倒れ伏した。
これで終わりだ。
兵器と言えど生物、頭を潰したり心臓を潰されれば死ぬ。
本当に気分が悪い。
「姉様……」
「行こうメル、たぶんそろそろ警察の人達が到着するからその前に気を失っている人達を介抱しよう、ヴァレリーに殴り合いをさせられて大怪我を負った人もいた筈だ……」
後ろを振り返り屍食鬼の亡骸に背を向けて、メルの元へと戻る。
まだやる事はいっぱいあるのだ。
♦♦♦♦
地下通路を蠢く影があった。
声を押し殺して、悶え苦しんでいた。
蜘蛛が脱皮をして成長していく様に、人だった部分が剥ぎ落していく。
それは激しい苦痛と自分が完全に人を止めるという戸惑いを伴うと同時に、別の存在へと変態する狂喜と高揚感と、身を焦がし理性を完全に蕩かす悦楽と喜悦を伴う。
だから声を押し殺している。
まだ人の部分が、僅かに残っている幼い少女の心が恥じらい声を押し殺す。
しかし次第に口から喘ぐ声が漏れ始める。
それを皮切りに人だった部分の剥落が一気に進む。
目の数が、腕の数が、肌の色が、顔の輪郭が、その存在の全てがまったく違う別の存在へと変態して行く。芋虫が蛹となり蝶へと変わるように変わって行く。
「ひひ…いひっ!?ああっ!!あ…ア…アッハハハハハハッアィ!ヒㇶッハハハハ!!」
全てが変わると同時にヴァレリーの中から恥じらいの心が完全に消え失せ、戸惑いの声が漏れだした瞬間、濁流のように襲って来る喜悦、悦楽、歓喜、狂気、そして自分が抱え続けて来た恐怖が全て消え去った歓喜に、ヴァレリーは甲高い嬌声混じりの声でその喜びを表現する。
ヴァレリーは今、実に晴れ晴れとした気分だった。
その姿を表情を変えずカリギュラは見ていた。
新しい同胞が生まれる瞬間に立ち会い祝福する為に、当然祝いの品は用意してある。
眷族になった直後は酷い疲労感と空腹感に苛まれるので、執事として色々と手を回していた、主に食事の準備の面で。
「んんん!?むぐ!んんん!!」
「もう少しお待ちください、彼女の変態が一段落着けば食事、貴方の出番です」
「んんんん!!」
「大丈夫、たぶん彼女は足先からという事は無いですよ、毒を注入してゆっくりと溶かし食べるでしょう。もしくは興奮をそのままに腸を貪り食うか…まあすぐに正気を失って痛いのか気持ちいのか、分からなくなりますよ」
「んぐ!?んんん!!」
「そう喜ばず、さてヴァレリーさん。まずは食事をしてから擬態の方法を伝授します、ちゃんと覚えれば私のように完璧に擬態できますよ」
「ハイカリギュラ様、デモ……」
ヴァレリーは完全に変わり果ていた。
姿形だけでなく心も完全に変わり果ていた。
かつて父であった存在をただの餌としか見ていないのだから……。
「モウ少シ食ベ応エノアル方ガ良カッタワ」
「前菜ですのでこの程度が良いんですよ、まずは胃を動かす為に軽くつまめる程度ですよ」
「んんん!?!?!?」
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