4話 ここから始まる物語Ⅳ【明日への道筋】

 翌朝。

 物々しい警備の中、ジュラ公爵がヴィクトワール邸に来訪した。

 ………いや警備の人、多過ぎない?

 長閑な農道が目の前に続くヴィクトワール邸の真ん前に停まったシャトノワ領の紋章が描かれシャトノワ領の領旗が掲げられた馬車。その周囲には市中警邏の人達が固めシャトノワ領に駐屯地のある陸軍は儀仗隊を派遣してジュラ公爵を先導する。

 訂正しよう。

 人多過ぎ!?!?


 あまりの予想外な展開に出迎えに出ていた皆も空いた口が塞がらなくなっていて、あのロバートさんですら目が点に、今まで見た事が無い様な顔になってしまっている。


「久しぶりだな。体は、もう良いのか?」

「……え?あっ!?はっはい!」

「そうか。だが何かとお前は痩せ我慢をするからな、妻子がいるのだから無理をし過ぎるなよ?」


 予想外な展開に呆気に取られていた旦那様にジュラ公爵は久しぶりに会った親戚の子供に向けるような、優しい笑顔で旦那様の体の事を労わる。

 この人がラースロー・イムフォルン・ジュラ公爵。

 色白の肌、鷲を思わせる精悍な顔立ちと青みがかった黒い髪を肩まで伸ばし、後ろで一本にまとめた姿は昔、生前に読んだ小説吸血鬼ドラキュラに出て来るドラキュラ伯爵のようで夜会服を着たらまさに!といった感じだった。


「そして、シャーロットさん。少し石頭な所はあるが誰よりも情に厚い男だ、どうかエルネストを支えてあげて欲しい」

「シャトノワ公。お心遣いありがとうございます」


 隣に立つシャーリーさんにも声を掛けてからジュラ公爵を屋敷の中に招き入れる。

 それにしても…やっぱり政治に関わる人は恐ろしい。

 ボクはジュラ公爵に対して宰相さんの時と一緒で旦那様に向けた優しい笑顔で見逃す所だった。

 ほんの僅かなちょっぴりだけだけどシャーリーさんを値踏みするような鋭い目をしていた。

 ボクはジュラ公爵が屋敷の中に入るのを見送ると厨房に移動して紅茶やお茶菓子の用意をするのだけど、何でか後ろに警備の人が立っていてボク達を監視している。


「ちっ…鬱陶しいな」

「リーリエさん!」

「だって仕方ねーだろ?さっきからずっと後ろから見て来て、何かとそれは何だ?何を入れた?危ない物じゃないのか?とか聞いて来てさあ」


 小さく聞こえないようにリーリエさんは舌打ちをしてから、今度は聞こえるように愚痴を言う。

 どうやらお茶菓子を作っている間、ずっと後ろから監視されていたらしくてリーリエさんは少し苛立っていた。だから早く警備の人がどこかへ行って欲しいリーリエさんは手早くワゴンにお茶とお茶菓子一式を載せ終える。


「それじゃあ持って行って良いぞ」

「はい」


 ボクはリーリエさんからワゴンを受け取り客間に向かうのだけど…ぴったりとボクの歩く速度に合わせながら付いて来る。

 何もしないよ?

 それどころか変質者だよ?

 仕事なのは分かるけどやり過ぎたら…まあ、ジュラ公爵を守る事が仕事だから仕方ないのかもしれない。どんなに嫌われたり疎まれてもジュラ公爵の命を守る、仕事に生きる男という事か。

 それはそれでカッコいい。


 ノックをしてから客間に入ると旦那様とシャーリーさんはジュラ公爵と雑談をしていた、まだ本題には入っていないみたいだ。


「さて、ベティーとマリアはソファーに座りな。今回は旦那様だけじゃなく二人の今後に関わる事さね、しっかりと話を聞くんだよ」

「はい、それじゃあマリアはお母さんの膝の上に……」

「あのお母さん?この状況でそれって失礼になりますよね?」


 今までそうだった。

 どんな時でもそうだったから特に疑問に思わなず、お母さんも自然とボクを持ち上げて膝の上に座らせて、ボク自身も特に疑問に思わなかったけど…ジュラ公爵の後ろに控えている女性の秘書さんとかが凝視して来ていている。

 これって失礼な事なのかもしれない。


「ボベスコ副議長、気にしなくていい。公的な場ではないのだ、逐一目くじらを立てては話が進まんし私の好む所ではない」

「分かりました。ではこちらを」


 秘書じゃなくて副議長だったんだ。だからこの警備なんだ、納得。

 ボベスコ副議長さんは脇に抱えていた書類を2枚、テーブルの上に置いた。

 ただ何故か2枚とも裏返しになっている。


「話を円滑に進める為に話は一つずつ、どちらも喧々諤々とした話し合いになる。ではまずはそちらの可愛いお嬢さんからだ」


 ジュラ公爵はそう言って裏返しになっている紙を一枚、表にする。

 それはアルベール・トマと書かれた戸籍の写しだった。

 全員がそれを見終わるのを確認するとボベスコ副議長さんが説明を始める。


「そちらのルシオ・マリアローズさんは本日よりヴィクトワール邸の外ではアルベール・トマと言う名の少年という事になります。女性のまま、という考えもありましたがそれ程の短さまで切り揃えたのならいっその事、男とした方が良いだろうという判断ですが今後の事も考えアルベルティーヌ・トマという双子の妹の戸籍も用意しましたので、女性として外出する必要があった場合はその名義を使ってください」


 行き付く暇もなくボベスコ副議長さんは説明をして後ろに下がる。

 アルベール・トマ。

 今度からボクが名乗る新しい名前…じゃなかった偽名。


「ありがとうございます。この御恩は必ずお返しいたします」

「気にしなくていい。こちらとしては街道警邏を公然と叩き潰す理由が出来たのだ、ウィンウィンというものだ」


 説明を聞き終わりボクとお母さんはジュラ公爵とボベスコ副議長さんにお礼を言いお辞儀をした。

 ジュラ公爵は笑いながら後ろに控えているボベスコ副議長は少し妖しくほくそ笑み気にしなくていいと言ってくれたけど、お母さんの言う通りこの御恩は必ず返さないといけない。

 だけど今はヴィクトワール家の立て直しだ。

 今回のジュラ公爵のヴィクトワール家の訪問、その本題は旦那様の今後についてだ。


 旦那様は先代当主、シャルル・ヴィクトワールが仕出かした事でシャトノワ領に住む領民から疎まれている。

 だから就職先は無いに等しい。

 旦那様自身は史上最年少で宰相の第四補佐官に抜擢された程の人物だ。

 優秀な人材である事は間違いない。

 ジュラ公爵は前は東部の隠れ里の領主を務めていたけど、その前は第一宰相補佐官を務めていた。その経緯から旦那様の事を高く評価しているけど無条件で領役所に就職させては反感を買ってしまう。


 今日、ジュラ公爵が訪問したのはその条件を伝える為なんだけど、一体どんな条件なのか?誰も予想が出来ず今もシャーリーさんは平静を装っているけど内心では冷や汗をかいている筈だ。


「さて、これも手早く済ませよう。暇そうにしているが暇ではないのでな、さっきも出る直前に議長から―――」

「でしたら早く裏返してください。裏返さないのですね、では私が」

「え?あいや」


 後ろに控えていたボベスコ副議長さんは勿体ぶる様に喋るジュラ公爵に苛立ったのか、裏返しにされていたもう一枚の紙を裏返す。

 それは誓約書で内容は……。


「新しい……特産品!?」


 書類を見たシャーリーさんは大声を上げて驚く。

 旦那様も驚いて目を丸くしている。

 ロバートさんは深く考え込んでいる。


「そうだ。新しい特産品を考え実際に形にして私に見せる、それが特産品として魅力のある物なら領を上げて売り込む…理由は、エルネストなら分かるな?」

「はい」


 ジュラ公爵の言葉に旦那様は静かにうなずく。

 でも…新しい特産品を作るって確かシャトノワ領はワインが有名でそれに領自体も大きいのだから新しい特産品は必要ないのではないのだろうか?

 ボクが疑問に思っている事はどうやらシャーリーさんも疑問に思っていたみたいで、旦那様にその事を言うとボベスコ副議長さんが厳しい声色で説明を始める。


「現在、シャトノワ領で生産されているワインは大幅に値崩れをしています。そしてシャトノワワインというブランドも地に落ちています。以前の価格と比べて八倍以上の差があります」

「そんなに!?」


 後ろにいたロバートさんは驚きのあまり思わず声を出してしまっていた。


「これは失礼を」


 すぐに謝罪したけどロバートさんが驚く程の事なんだ。

 つまりシャトノワワインと言うブランドは地球で言うところの、富豪とかの特集番組で頻繁に登場するロマネ・コンティのような物なのかもしれない。

 旦那様やシャーリーさん、それと皆が驚きそれを見たジュラ公爵は肩をすくめる。


「正直に言って困っている。名前を変え、産地に対して厳しい基準を設けるなどしてブランドを取り戻そうとしているが、それでも新しいオージェワインというブランドも元一流の三流品という扱いだ。領の税収も大幅に減ってな、先代がワイン産業以外に消極的だったのが一番痛い」


 だから。

 だから悪い印象となってしまったシャトノワの名誉を回復する為に地に落とした男の息子である旦那様が、責任を取って新しい特産品を考えろ。

 筋の通った、いやそれくらいしないと誰も納得しないという事だ。

 ボクが思っていたよりもずっとヴィクトワール家は恨まれているみたいだ。


「そんな…理由は分かるけど、ここで、シャトノワで新しい特産品何て……」

「無理難題は承知です。ですがそれをやらねば誰も納得しません、こちらも口約束だけなどと言う気はありません。遣り遂げたのなら次はこちらが死力を尽くします、これはその証明です」


 シャーリーさんの呟きにボベスコ副議長はピシャリと言う。

 重たい沈黙がボク達の間に流れる。

 だけど旦那様は真っ直ぐ強い決意を篭めた目でジュラ公爵を見る。


「承知しました。必ず新しい特産品を作って見せます」

「ふむ。やはりそう言ったか、苦難の前に腐っていまいか心配していたが杞憂だったな」


 旦那様の決意を耳にしたジュラ公爵は満足そうに微笑むと帰って行った。

 ジュラ公爵を見送りながら旦那様は決意に満ちた目で空を見上げる。

 その姿を見るシャーリーさんはどこか嬉しそうだった。


 さあ、忙しくなるぞ!

 新しい特産品を考える。

 それは無理難題だけど、それを遣り遂げれば必ずよりよい明日が来る。

 何時だってそうなのだ。

 止まない雨は無い。終わりのないトンネルなんてない。明けない夜は無い。

 前へ進み続けていれば必ず明日が来る。

 ボクも決意を胸に秘めながら空を見上げる。

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