とある奇跡のはじまりとおわり。
空唄 結。
はじまり。
出逢えた奇跡を祝福して。
母親が再婚した。
私には何の相談もなく。まぁ別にそんなもの必要だなんて微塵も思ってはいないが。私ももう幼くはないし。それにあの人にとって私はどうでもいいし、私だってあの人のことはどうでもいいのだ。今更そんな仲良し親子みたいなことなんて気色悪いったらありゃしない。
それにしても、再婚相手だという男の冴えないこと冴えないこと。
「よろしくね」
差し出された手を無視したら母親に頭を叩かれた。胸糞悪い。絶対お父さんとかそういう名称でなんか呼んでやるもんか。
他にもこの再婚に不満はあるのだけれどその最重要問題は、相手方も子連れだった、という点だ。貼り付けたような胡散臭い笑顔の兄と、怯えたように目を合わさない癖に人が見ていないとじとっと見つめてくる妹。
物心ついた頃から乱暴で下品な母親とマンツーマンだった私は、急激に増えた他人の存在が嫌で嫌で堪らなかった。なんであんな人達と一緒に暮らしてるんだろう。
そう思っていたのは、実は私だけではなかったようだ。
ある日、男が失踪した。再婚当初は母親も割とその本性を隠し上手く生活していたようだったが、どんどんその化けの皮が剥がれ、剥き出しになったケモノの姿に男は呆れ果て逃げ出したようだ。気持ちは分かる。私だって親子じゃなければとうに逃げ出している。いなくなって初めて、彼を父親と認めてやっても良い気がした。
困ったのは残された兄妹だ。……やっぱりあの男を父親だなんて認めるのは止そう。最初から最後まで胸糞悪い男だということが分かった。
男がいなくなってから割とすぐに、母親は苛立ちを隠そうともせず兄妹に当たり散らし始めた。私は今まで自分が受けてきた痛みを彼等が受けている光景にほくそ笑むことなど出来るはずもなく、寧ろ居心地の悪さすら感じ始めていた。
そんな女がごめんなさい。それは私が受けるはずだった痛みなんですごめんなさい。全然関係ないのにごめんなさい。でも私だって苦しかったんだスケープゴートで何が悪い文句あっか。
そんな私の葛藤を見抜いていたのは、兄だった。
「君さ」
突然話しかけられて心臓が口から飛び出したかと思った。ぼとり。落としたのは心臓ではなく、抱えていた本の山だった。
「な、なんです、か」
「いや、そんなに怯えなくても」
怯えてる? 私が? そんな訳あるか、と思っていたら、どうやら手が震えている。今の私はどんな顔をしているのだろう。
「酷い顔をしてる」
「エスパー……!?」
兄はきょとん、とした後、下を向いてくつくつと笑い出した。声には出ていなかったけれど、肩の震え具合から相当ツボに嵌っていることが分かった。
「あー、なんだ、君って面白い子だったんだね」
「心外ですやめてください」
いやぁ笑った笑った、といいながら晴れやかな顔の兄は、最初の時に見たようなニセモノの笑顔ではなく、ちゃんと笑っていて、そんな顔を見たのは多分初めてだった。
なんだろうこの気持ち。
「で。なんですか突然」
どぎまぎしてる私をこれ以上見られるのは悔しくて、つっけんどんに話を振る。それすらお見通しのような。悔しい。
「ああそうだった。君のお母さんさ」
「その件に付きましては本当にごめんなさい謝っても足りないと思いますがごめんなさい本当にすみません」
「うわ、落ち着いて落ち着いて」
遂に来たと思った。突き付けられるぞ。返品されるんだ、あの日々を。理不尽を。そりゃそうだ。あれは元々私宛の荷物なんだから。
「違うんだ、君を責めるつもりはなくて、あの人ずっと、その……ああなの?」
「え?……あ、はい。ずっと、ああです」
「そっか、そうだよね、ということは君はずっとあんな環境にいたのか」
「……うーん、いや、まぁ……あはは」
「笑うな」
私の誤魔化しを遮って兄は真剣な顔で、怒っていた。
「あ、」
「笑うな、今笑ってるのは、自分を笑ってるんだぞ」
兄は私と目線を合わせるようにしゃがみ、そして、言う。
「今までの過去全部が君を造った歴史だ。生きてきた証だ。それがどんなに辛いことだったとしても、君自身が笑ってどうする。君が君を傷付けてどうする。お願いだから君だけは君を笑っちゃいけない。分かるね?」
ぴりり、と指先が痺れていた。
ああ、悔しい。この人は私より遥かに大人なんだ。
「ごめん、なさい」
柔らかい笑顔だった。
「謝らないで、さ、妹のところに行こう」
庭にある倉庫となっていたはずのプレハブは、いつの間にか小綺麗な離れのようになっていた。その中で妹は黙って絵本を読んでいた。
「実はね、僕らも血は繋がっていないんだ」
「なんと」
聞けばあの男、うちの母親と結婚した時既にバツ2だったらしく、兄は前々妻との子供で、妹は前妻の連れ子で、自分ばかり子供を押し付けられた重責に耐えきれず、今回は彼等を置いて行ったのではないか、という兄の分析を聞いて、私は以前あの男を父親として認めなかった自分を誇りに思った。
「これからは私とも仲良くしてくれる?」
「いいよ、絵本を読んで、一緒に寝てくれるなら」
「お安い御用だよ」
こうして私達は誰一人として血の繋がりのない兄妹となってしまったのだ。赤の他人。戸籍上の繋がり。でもそれはとてつもなく気持ちが良かった。一度打ち解けてしまえば、もう簡単だった。
兄の胡散臭い笑顔の裏側にあったものや、妹の怯えた視線も理解した。
「ねぇお姉さん」
「ん?どしたー?」
「お姉さんはいなくならない?何処にも行かない?」
「そうだなー、あなたが私のこと嫌いにならない限りは、かな」
「……意地悪なこと言う……」
「あはは、意地悪、意地悪かー、ごめんごめん」
「嫌いになんかならないよ、本当だよ」
「……うん、ごめん、知ってる」
「本当に本当だよ、嫌いになんか、ならないよ」
「うん、有難う、私もだよ、嫌いになんか、ならない」
「じゃあずっと一緒だよね、ね、」
「うん、ずっと、一緒」
余談だが彼等から見た私は、罠にかかって傷付いた猛獣のように見えていたらしい。手負いの獣だなんて、やはり私はあの人の娘なのだ。
「ねぇ」
「なに?」
「もうずっと兄妹だったような気がする」
「私も」
「僕もさ」
「遅すぎたくらいだよね」
「お姉さんが1番のお寝坊さん」
「あははーばれたー?」
「お兄さんは可愛い妹が2人もいて幸せね」
「ちょっと何言ってるのこの子」
「ほんとほんとー幸せだなー」
「もー兄さんまでー!」
「くくっ」
「うふふっ」
「あははっ」
この幸せがいつまで続くかなんて知ったこっちゃない。きっといつかはバラバラになるのかもしれない。
でも、それでも、偶然の積み上げた不安定な今の中で出逢えた、他人以上で家族未満な私達としていつまでも過ごしていたいと、そう、思ってしまうのだ。
この穏やかな時間が永遠になればいいなんて、願ってしまうのだ。
きっとこれは奇跡の物語。
大袈裟? 別にいいじゃないか。私が奇跡といったら奇跡なんだ。
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