ラストサマー・イン・トーキョー

街子

6/17(sun)冴の場合

曇り/19℃


金銭を対価としたセックス。

東京でその経験が一度もない女の割合は、世間が思っているよりもずっと低い。

ヒールを脱ぎ捨てて玄関に上がると、クラッチバックにねじ込んだ3万円札を取り出して、手で広げた。

女の若さは嫌になるほど、あっという間に金になる。


池袋の駅前を歩いていたら、酔っ払いに口説かれた。無視していると急に肩を抱かれて耳元で囁かれた。

「なあ、金出すからヤらせろよ」

酒臭い息が煩わしい。

「じゃあお店来てよ、わたしあそこのヘルスで働いてるから」

面倒な男には、この言葉が一番効く。

「…なんだよ、プロかよ」

男は冷めた顔をして離れていった。


風俗に勤めたことはないが、似たようなことをしている。

週に1回、出会い系サイトで男を探し、3万円で身体を売っている。

今日の相手は、自分とさほど年の変わらない、普通のサラリーマンだった。

日曜日なのに、スーツを着ていた。仕事終わりだからなのか、私服が無いのか気になったが聞くのはやめた。


「冴さんみたいな、頭も良くて普通のきれいなひとと出会えるなんて思っていませんでした」

「え、嬉しい。私もです」

(私も、あなたみたいな普通の男性が、3万も払って自分を抱くことが不思議です)

「なんでこういうこと、してるんですか。何か事情があるんですか?借金とか」

「…えー、ううん。内緒」

相手の目をじっと見つめ、にっこりと微笑む。首元に手を伸ばし、ベッドにまねきよせた。

「いいじゃないですか、早くしましょ」


セックスは、彼の性格を表すように、良くも悪くも普通だった。

「ありがとうございました」

シャワーを浴びて着替え終わると、折り目のないピン札を3枚渡された。

「こちらこそ」

冴はそれを受け取り、無造作にクラッチバッグに押し込んだ。

ラブホテルを出ると、さよならの言葉も無いままそれぞれ逆方向に別れた。


(「何か事情があるんですか…」だって)

化粧を落として、ベッドに仰向けになる。

先週梅雨が始まり、急に気温が下がった。夏用のシーツがひんやりする。


身体を売る女は必ず何かしら事情があるなんて話、今どきおかしくて笑ってしまう。

冴の両親は妥当な愛情の量で育ててくれたから、トラウマなんて無い。幼少期の性被害は、あえて言うなら、女子高生時代に軽い痴漢に遭遇したくらいだ。犯人は捕まった。


化粧品メーカーのマーケティング業務は自分の性に合っている。31歳で最年少のチーフになった冴は、いわゆるキャリアウーマンと言えるだろう。

最近は「働き方改革」で終電まで仕事することはなくなったが、たまに新商品の発売前は土日出勤もする。


だから、お金に困っている訳でもない。

ただ、なんとなく。


六本木に引越してきてから、日曜日の夜が無性に寂しくなった。

24時間営業のスーパーが閉まり、ナイトクラブに向かう若者もいないこの時間帯は、他の曜日が騒々しい分、妙に静けさが際立つ。


最初はその寂しさを埋めるために、軽く食事ができる相手を探していた。

そのうちセックス目的の男にも会うようになり、抱かれた後に金銭を渡す男に出会い、今はあらかじめ金銭を受け取る約束で会うようにしている。

いつも、新しい男で、それきり。


もう、セックスを対価に金銭を受け取ることに抵抗がなくなってしまった。


(あ、明日正樹が泊まりに来る日だ)

彼氏は冴の手料理を食べたがる。冷蔵庫の中を確認しなくてはいけない。

冷え切った身体を起こして、冴はキッチンに向かった。

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