星野光の彼方

山狸

第0章 プロローグ

 窓の向こうに暗い宇宙が広がっている。果てなき闇の深淵をシャハンはじっと見つめていた。

 今も実感が沸かない。何故自分は、地球を離れ、宇宙空間を「飛んで」いるのだろう?

 火星局の局長ルカスは、何故自分なぞを選んだのだろう?優秀な人材なら、他にいくらでもいる。

「いいか、シャハン。これはとても重要な任務だ」

ルカスは言っていた。

「今後の地球と火星の関係は、君次第だと言っても過言ではない」

 シャハンは、決して目立つタイプの人間ではない。どちらかというと地味で、これといって目立ったところもない。店に入っても、店の人間がついうっかり見落としてしまうような、そんな人間である。

 ただ平凡に、日々は過ぎて行くのだと思っていた。子供たちを育て、いつか妻のシェリルと老いて、そして死んで土に還るのだと、ただぼんやりとそんなことを思って生きてきた。皆が元気で平穏に日々が過ぎて行けばそれで良かった。

 それ以上望むものは何もなかった----のに。

 何故か、局長のルカスから火星行きを命じられてしまった。

「私には無理だ。他に優秀な人材はたくさんいるじゃないか」

シャハンは言い募ったが、ルカスは許さなかった。

「君だから、託すんだ」

嫌だと言いたかった。けれども、ルカスの深く射るような視線に捕らえられ、それを口にすることはできなかった。

「君のことは、私の方がよく知っている。多分君自身よりも」

そんな馬鹿なことがあるものか。シャハンは思ったが、やはり言い返せなかった。

「何も心配することはない。君はいつもの通り働けばいい。ただ、働く場所が地球ではなく火星になる、それだけのことだ」

何が「それだけ」なんだ、とシャハンは抗弁した。こっそり心の中で。

 何故あそこできっぱり断らなかったのだろう?自分の気の弱さが嫌になる。気がつけば、ルカスに押し切られ、手続きやら何やらに追い立てられ、火星行きのシャトルに乗ってしまっていた。

 いい機会じゃない、と妻のシェリルは言っていた。やっとあなたが評価されたのよ、と。シャハンとしては、何がいい機会なのか分からないし、家族さえいてくれれば、別に世間様が評価なぞしてくれなくても全然構わないのだけれども。

 窓に赤い大地がゆっくりと現れ始める。銀色に光っているのが、火星のドーム都市である。地球のものとは異なり、いくつものドームが複雑に連結されている。一部のドームは独立しているらしく、上空から見ると粒のように点在して見える。

 地球で知られているのは、そうしたドーム都市のうち、ギゼと呼ばれるもののみである。他にいくつ都市があるのか、一体どれくらいの火星人が住んでいるのか、皆目分かっていない。

 ギゼは、一応「都市」と呼ばれてはいるものの、その実態は、地球人を受け入れるために設けられた、いわば「出先の居留地」であり、実際の居住人口は非常に少ないらしい。

 遠く心細く太陽が見える。地球に燦々と降り注ぐあの日差しが早くも恋しい。冷え冷えと乾いた赤い火星の大地は、見ているだけで、心まで凍えそうである。

 そして、火星人。凍えた大地にふさわしく、凍った目をした者たち。

 早くも帰りたいと思うシャハンの気持ちをよそに、シャトルは赤い大地へと降り立った。


 その火星人は、極一般的な火星人であるように見えた。もっとも、一般的な火星人でなかったとしても、どのみちシャハンには区別がつかないし、そもそも、火星局に所属しているとはいえ、「一般的な火星人」がどういうものか、実はよく知らない。

 大体、火星人の見分けは、地球人にはひどく難しい。彼らは判で押したように皆同じような年格好、背格好をしている。皆一様に中肉中背で、髪は暗い茶色、眼は灰色。顔つきは整っているが(均整がとれすぎて少し間が抜けて見えるくらいである)、地球人の目からは誰も同じに見える。といっても、地球人に知られている火星人の数はそう多くはないが。

 彼らは、おしなべて抑揚のない落ち着いた、無感情な話し方をし、表情もほとんど変わらない。激昂することもなく、涙を流すこともない。何ものにも心を動かされず、冷静に、いやになるほど冷静に、物事に対処する。

「ナーナリューズだ。火星-地球共同プロジェクトの総合責任者を務める」

火星人は、いかにも火星人らしい、温度を感じさせない声で言った。シャハンが手を差し出す。

「シャハン・スリヤ・・・」

「君の名前およびバックグラウンドは把握している」

自己紹介を中断されて、シャハンは目をぱちくりさせた。相手は握手する気すらないらしい。差し出した手が虚しく空にさまよっている。そろりそろりとシャハンは手を引っ込めた。

 そんなシャハンをよそに、さっさとナーナリューズが腰を下ろす。地球とはあまりにも勝手が違う。シャハンは戸惑って立ち尽くしていた。

「まずは、プロジェクトで具体的に何を行うか、それを決める必要がある」

言ったナーナリューズが気がつき、シャハンを見上げた。

「座った方がいい。時間がかかる」

どうやら、勝手に座って良かったらしい。迷うまでもなく、空いた椅子は一つしかない。シャハンは、それで、椅子を引くととりあえず腰を下ろした。相手は火星人なのだから、と自分に言い聞かせる。そう、相手が何をしようと、何を言おうと、つまるところ、火星人であって地球人ではない。違うのは当たり前。気にしていたら、多分、ここではやって行けない。

 火星人のことは、よく分かっていない。別種というには似すぎているが、同種と見なすには、あまりに違いすぎる。単に外見を地球人に似せてごまかしているのだ、と言う者もある。

 彼らは、突然地球に現れた。ほんの百年ほど昔の話である。

 新暦マイナス22年、この年、初めて火星人は地球の歴史に登場してくる。彼らは地球に降り立ち、大量の放射性物質に汚染された地球環境の立て直しを開始した。

 当時、地球人達は極限られた比較的放射線量の少ない地域か、さもなくば地下に押し込められていた。

 一体何故そんなことになってしまったのかは分からない。ある日突然、それは起こったと言われている。天空が爆発し、地球上は、焦土と化した。太陽が原因ではないかと言われているが、それも定かではない。

 ともあれ、人類は狭いところで細々と生きのび、ほとんど絶滅しかかっていた。贖罪の百年----今ではそう呼ばれている時代のことである。

 火星人達は、そんな地球へ来、人類を広い空の下へ解放した。彼らは、浄化したエリアにドーム都市を築き、そこに人を住まわせた。地球人の中には、それをよしとせず、過酷なドーム外に残った者たちもいる。

 ほとんど全てを失ったと見えた人類がわずか数十年の間にかなりのところまでその技術文明を取り戻せたのはひとえに火星人達の尽力による。火星人は人々に理論を教え、技術を伝えた。報酬は要求しなかったが、管理は厳しかった。

 やがて、彼らは地球にある程度の自治を認めるようになった。この年をもって、新暦は0年を刻んでいる。地球人のことは地球人の手に。更に新暦40年、地球人に地球連合府を設立させると、潮が引くように火星へと帰って行った。今、地球上にいる火星人は、たったの18人である。彼らの多くはドーム都市外におり、普通の地球人は、そもそも火星人と直接接触する機会がない。

 とはいえ。

 ひとたび火星から指示を受ければ、地球は唯々諾々と従うのみである。手伝えと言われれば手伝うし、人を出せと言われれば人を出す。

 その火星が、何を思ったか、地球と共同でプロジェクトを立ち上げると言い出した。そこで派遣されたのがシャハンである。

「広範囲な分野が携われるものがいいだろう」

ナーナリューズは、机の上に程々のサイズの「シート」を広げながら言った。「シート」は、薄く平たい紙様のもので、紙よりやや分厚いが、紙と同様丸めたり畳んだりできる。紙ほどには軽くないが、ここに書き込んだ内容はそのままデジタルデータとして処理できる。他のシートやコンピュータ機器等とつないで情報をやりとりすることも可能で、地球でもよく使われている。

 シャハンが黙って様子を見守っていると、再び顔を上げた。

「何故黙っている?」

何故、と言われても。

 シャハンの知る限り、火星人が地球人の意見を求めて来たことはない。火星人が決め、地球人はそれに従う。そういうものだと思っていた。この火星人が一体自分に何を期待しているのか、それがよく分からない。戸惑うシャハンに、ナーナリューズは、重ねて言った。

「黙っていては分からない。何故何も言わないんだ」

「何を言えばいい?」

シャハンは、そう尋ねた。ナーナリューズの表情は一見変わらない。が、そこに戸惑いの色があるように見えたのは、気のせいだろうか。

「先刻も言ったはずだ。プロジェクトの内容を決定する必要がある、と。君の意見は何だ」

「私の意見・・・」

火星人が、意見を聞く?

「言っていいのか」

「それが君の仕事だろう」

やはり、ナーナリューズにとってシャハンの反応は完全に予想外であるらしい。ほんのわずかながら、当惑しているのが見て取れた。

「そのために、君は火星へ来たのではないのか」

ナーナリューズが言う。

「意見を言うために?」

「そうだ」

「地球人の私が、火星人に意見を言うために?」

つい、重ねて同じことを聞いてしまう。

「そうだ」

言ってから、ナーナリューズは、少し考える風になった。

「君は、このプロジェクトを理解できていないようだ。これは、火星のプロジェクトではない。火星と地球の共同プロジェクトだ。火星だけの意向で何かを決めたら、それは共同とは呼べないだろう」

御説ごもっとも、ではある・・・のだが。

 なかなか口を開かないシャハンに、ナーナリューズは更に言った。

「せめて、何故君が意見を言わないのか教えてくれないか。言いたくないのか、それとも、何も意見がないのか」

「そういうわけでは・・・ないが」

こういう場面は苦手だ。シャハンは思いながら言った。

「まさかプロジェクトの目標が決まっていないとは思わなかったから、地球で調整をしてこなかった」

「調整の必要がどこにある?君は地球側の責任者だ。君が決めれば、それでいい」

「調整しなければ、私の意見は言えるとしても、地球の意見は・・・」

「シャハン。君は、地球側の責任者だ。君の意見が、地球の意見だ」

そんな無茶苦茶な。

「私は、そこまで責任は負えない」

「意味が分からないな」

ナーナリューズは、本当に理解しかねている様子で言った。慣れてきた----シャハンは内心そんなことを思った。一見無表情に見えるが、彼にも表情変化はある。

「君が責任を負いたくないと言うのであれば、それで構わない。君の意見を思うように出したまえ。どの道、君の意見だけで決まるものではない。ここでの決定は、共同プロジェクトとしての決定だ。そして、その決定に最終的に責任を負うのは私だ」

フォローされているのか、馬鹿にされているのか。ここまで言われて、シャハンはようやく首を縦に振った。

「分かった。私の意見でよければ。だが、少し考える時間がいる。火星側は何かアイディアがあるのか?」

「地球の環境改善プログラムを共同作業化するのはどうか、という意見が出ている。後は、旧文明時代の遺構発掘と旧文明の解明、旧文明時代の生物再現、この辺りが妥当だろうと思う」

旧文明----かつて地球上で地球人が最も繁栄していた時代。今もその名残があまた地球上には残っている。

「旧文明、か・・・」

シャハンは、つと目を上げた。

「つまらないな」

思わずつぶやいてしまってから、しまった、と思った。伺うように火星人を見る。その表情は、特に変化はなく、続く言葉を待っている風だった。シャハンは、言葉を継いだ。

「どうせなら、もっと夢のある話がいい」

何故そんなことを言ったのだろう?自分でも分からなかった。ほんの少し、反抗してみたかったのかもしれない。

「夢?」

「旧文明といえば、過去の話だろう。いくらほじくり返したって、それ以上のものにはならない」

普段のシャハンなら、火星人の持ってきた話を批判するなどということは恐ろしくてできなかっただろう。けれども、この時、シャハンは、彼にしては珍しくやや攻撃的になっていた。

 間違ってはいない筈だ、と火星人をにらみつける。気にしてはいないのか、それとも単にこちらが表情変化を読めないだけなのか、相手は、特に変わった様子もない。

「続けて」

なかなか続きを言わないシャハンに、ナーナリューズが先を促した。

「環境改善は重要課題だが、道筋はもうついてしまっている。今更、地球人と火星人とが共同で作業をして、何か新しい地平が開かれるとも思えない」

「なるほど。つまり、君は、新しい地平を開くものをプロジェクトの目標にするべきだ、とそう言うんだね?」

「そうだ」

「それで、君は何がしたい?」

後になって、シャハンは幾度もこのナーナリューズの言葉を思い出すことになる。何がしたい?そう、この火星人は尋ねた。通常ならば、何をするか、あるいは何にするか、と聞くはずのところである。

 何がしたい----そう聞かれて、シャハンは一瞬詰まった。素早く考えを巡らせる。ここでさっさと答えを提示できなければ、向こうが持ってきた話を片っ端からつぶした手前、格好がつかない。シャハンにだって、その程度の見栄はある。

 シャハンの脳裏に、シャトルから眺めた星々が甦った。遠い宇宙の深淵。広がる果てなき闇。

 これなら、条件に合致する。唯一の欠点は、実現可能性が低い、ということだけである。だが、ともあれ、意見は意見である。シャハンは、小さく息を吸い、そして、くっきりとした調子で言った。

「宇宙探査----そうだ、恒星間宇宙船がいい。有人にすれば、環境からメカニカルなものまで、幅広い分野の連携が必要になる」


 出来てしまった。

 シャハンは、ぽかんとして白い宇宙船を見上げていた。白いなめらかな船体に、黒い字でGalaxiaと書かれている。

 あれから12年。共同プロジェクトは、太陽系外有人探査プロジェクトとして正式に公開され、今なお現在進行形で着々と進んでいる。

 まさか、追い詰められて口走った思いつきが、形になってしまうとは。

 あの時、それは無理だと言うだろうと思っていた。が、ナーナリューズは、いともあっさりと、それにしよう、と決めてしまった。慌てて止めにかかったが、問題ない、と取り合ってはくれなかった。

「どうした」

何か問題でも?そう声をかけられ、振り返る。見れば、ナーナリューズが立っていた。

「本当に、出来てしまったんだなと思って」

目の前にあるのに、未だ実感がない。

「君が言ったんだろう。作りたいと」

「まあ、そうなんだが・・・」

「何かまずいことでも?」

「まさか。ただ、本当にできると思わなかったから」

「実現の見込みがないプランを出したのか」

痛いところを突かれ、シャハンがぐっと詰まる。

「悪かったよ。他に思いつかなかったんだ」

「別に責めたわけではない。確かめただけだ」

何故わざわざそんなことを確かめる必要があるのか、よく分からない。地球人と火星人では、気にする場所が大きく違うらしく、10年以上たった今でも、予想外のことを言われて戸惑うことがよくある。

 橋架を抜けて、Galaxiaへと乗り込む。Galaxiaのコントロール・ルームである中枢室には、既に大勢のスタッフが詰めかけていた。もっとも、その大半は地球人で、火星人は数えるほどしかいない。

「システムDによるロック、解除します」

脇の方でスタッフが告げる。カウントが0を刻んだ時、次々とランプが灯り始めた。

 とりあえずは順調。皆は思った。が、いくら待っても、Galaxiaがうんともすんとも言わない。

 Galaxiaは、人と会話できるように作られている。本来なら、ここで何か一言あってしかるべきところである。

 シャハンは、少しばかり心配になった。Galaxiaの頭脳は、元々、太陽系外有人探査プロジェクトとは別のプロジェクトが開発を進めていた。疑似人間的人工脳作成プロジェクト。人間に近い、人間のように発想できる頭脳の作成、それがプロジェクトの目的だった。

 だが、このプロジェクトは3年ほどで問題が起こり頓挫する。中心、というより、ほとんど一人で担っていたタブラン・チェスフ----彼は地球人である----が、火星人を殺し、小型艇を奪って宇宙へと逃亡してしまったのである。

 チェスフが奪った小型艇は、木星近くで発見された。全てのデータは当然の如く消去されていた。変わったことといえば、チェスフがいつも着ていた服のボタンが一個、引きちぎられた風で座席近くに落ちていたことくらいのものだった。火星人たちは、丹念に周辺を探したが、何も見つからなかった。結局、チェスフの事件は、未解決のままである。

 その彼が残したのが、Galaxiaの基だった。チェスフは、基礎部分は完成したと言っていた。しかし、それは、今まで見たこともない作りをしており、何にも反応しない、「でくの坊」としか言いようのない代物だった。

 皆がざわめきだした時、最前列から澄んだ声が響いた。

「初めまして、Galaxia。気分は如何?私は、太陽系外有人探査プロジェクトのスタッフ、水嶺すいれい。皆に挨拶してくれないかしら?」

皆が固唾をのむ。なめらかで中性的な声が響いた。

「失礼しました。初めまして、水嶺、皆さん。私は、恒星間宇宙船Galaxiaです」

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