20-⑥:僕は僕でいいの

 少女はテスファン達と共に、リザントの長の屋敷でお世話になることになった。

 少女は毎日、ジークにこちらの言葉や習慣を教えられた。そして、クルトに、魔法を基礎から叩きこまれ、更に吸収魔法の活用法について研究をさせられた。


 少女は、物覚えが速かった。と言うのは、少女は勉強というものをしたことが無かったから、物珍しく夢中になったからだ。



 そして、勉強と魔術鍛錬の合間に、少女はテスファン達に連れられて、リザントの町を遊びまわった。運のいいことに当時のリザントには、少女と同じ部族の出の、ジュリエの民の者はいなかった。他部族の者は皆、『山の神の娘』の存在を知ってはいても、顔まで知っている者はいなかった。


 だから、少女は生まれて初めて、心ゆくまで自由に、外を駆け回ることができた。

 その自由が勘違いのようなものだと分かってはいても―自分は飼われ、懐柔されているだけに違いないと思ってはいても、少女はいつしか、そんな毎日を心の底から楽しむようになっていた。


**********


 少女がリザントに来てから数ヶ月がたち、季節は早春から夏になった。

 その頃には、少女は、最初の頃のやせっぽちの姿は見る影も無く、愛らしい女の子となっていた。



「なんでこんな可愛い、人形みたいな子を閉じ込めておくかなあ。ホント鬼畜な野郎どもだよ」


 テスはテーブルに頬杖をつき、隣に座って本を読んでいた少女を、しげしげと眺める。かつて痩せこけていた少女の頬は、ふくふくと可愛らしく膨らんでいた。


「そう言えば、もうそんな本も読めるようになったんだな。えらいえらい」

 テスファンは、少女の頭をなでなでなでと撫でつつ、言う。すると、少女はその手をばしっと払い、膨れる。


「僕、こどもじゃないから!」

「お、咄嗟にでも、こっちの言葉を話せるようになったじゃないか。よく勉強頑張ったな、えらいえらい」


 テスファンは再び、なでなでなでと少女の頭を撫でる。そうして、少女のつやつやさらさらとした髪の感触を楽しんでいる。


「だから、僕をこどもあつかいするな!」

 少女は、もう一度テスファンの手を払うと、睨んだ。しかし、テスファンは可笑しそうに笑いながら、少女を頭からつま先まで見た。


「だって子供じゃん。どっからどう見ても。百越えのババアのくせに、胸はぺったんこだし、幼児体型でくびれすらない。言動も子供子供。こんなやつをどうやってレディとして扱えと?」

「……むうううう!!!」

 少女は唸りながらテスファンを睨む。


「ははは、出た。子供言動第一。ふくれっ面」

「うるさい!うるさい!」

「お、もうそんな言葉も覚えたか。ジークの野郎、ホントに教育がうまいな」

「…ぐぐぐ」


 これ以上言い合っていても、こいつが自分を子ども扱いすることに変わりは無いだろうから、埒が開かない。

 少女は「ふん」と鼻を鳴らして椅子から降りると、どすどすどすと足音を立てて部屋を出て行こうとする。



「あ、そう言えば、『僕』って男の一人称だからね、おチビちゃん。一人前のレディとして扱ってほしい女性が、まさかそんな間違いをするはずがないよねえ?」

 少女はその言葉に、はたと立ち止まる。後ろを振り向かずとも、テスファンがにやにやにやと自分を見ているのは、気配で分かる。


「…」

 少女はぐぐぐと拳を握った。間違っていたのは、テスファンの一人称から覚えたためだ。だけど、それを認めたら、もっと馬鹿にされそうな気がする。


「間違ってなんかないよ。わざとなの!僕は僕でいいの!!」

 少女は振り返って叫び、部屋の扉をバアンと閉めた。

 すると数秒後、「ははは」とテスファンが笑っている声が、部屋の中からする。きっと腹を抱えて笑っているのだろう。



「……あいつ、嫌い」

 毎日毎日、テスファンは、会えば必ず自分をからかってくる。そして、自分を馬鹿にして笑うのだ。

 いくら会いたくなくとも同じ屋敷にいるため、どうやっても毎日テスファンに会うことになる。そのため、少女にとっては、毎日がいらいらデーだった。

 少女は今日もぷうと膨れると、どんどんどんと足音を鳴らしながら階段を下りていく。



「…?また殿下と喧嘩ですか、お嬢さん?」

 少女がその声に見れば、クルトが階下で苦笑いをしていた。


「うるさい。かまわないで」

 クルトの脇を、少女は膨れたまま通り過ぎる。


「…ちょっと、いいですか?」

 クルトは振り返ると、そんな少女の肩に手を置いて、立ち止まらせた。


「…なんなのさ」

「ちょっと話がありまして」

「なんの」

「いいからちょっと」


 クルトは少女の腕を引くと、一番傍にあった部屋に入った。



「何?何か聞かれちゃまずい話でもあるの?」

 少女はクルトを見上げ、先程からのいらいらが残っている声で言う。


「いいえ、そういう話ではないんですけれど。…ただ、あなたに言っておきたいことがありまして」

 先程からのふくれっ面のままの少女の様子に、クルトは苦笑しつつ、言う。


「何なの?僕機嫌がさいっこうに悪いから、さっさと言って」

「…ごめんなさい、と、ありがとう、という事です」

「……?」


 訳が分からず、少女は首をかしげる。そんな少女に、寂しげな笑みを向けながら、クルトは続ける。


「まずは、ごめんなさいの方からですけれど、それはあなたを私たちの私情のために、利用しているということに対してです」

「…」


 それは、少女は始めから知っていたことだった。それに、この男の口からも最初に聞いている。何を今更と見上げた少女に、クルトは少し暗い顔をしながら続けた。


「あなたをあの地から助け出したのも、毎日勉強させているのも、魔法の鍛錬をさせているのも、あなたのためではない。皆私たちのため」

「今更どうでもいいよ。どうせ僕は、皆に良いように扱われるために産まれて来たみたいなものだからさ」


 少女は自嘲めいて、言った。北の地では皆に差別されて、あらん限りの嫌がらせや虐待を受けた。それは自身が異形のものだったからという事もあるが、その事を口実に、彼らは日頃のいら立ちや鬱憤を自身にぶつけていた面もあったからだ。

 だから、今では嫌がらせ等はされてはいないものの、誰かに自分が都合のいいように利用されているのに変わりはない。


 しかし、クルトは少女に、「いいえ」と首を横に振る。


「あなたは殿下にとって、太陽みたいな人です。きっと殿下に会うために産まれてきたのでしょうね」

「…はあ?太陽?あいつのために産まれてきた?ありえないっての。っていうか、お断りだっての」


 少女は思いっきり嫌そうな顔をして、クルトを見た。クルトは、「はは」と声を上げて苦笑いする。しかし、すぐに真面目な顔をすると、少女に向き直る。


「…あなたは知らないでしょうが、殿下は国を滅ぼされてから、一度も心の底から笑ったことが無かったんですよ」

「うそだあ。あいつ、毎日僕をからかっては、笑ってるんだけど」

「…実は、最初、殿下がこちらに来たばかりの時は、あんな風ではなかったんですよ。確かに見た感じは以前通りだったんですけれど、人気のない所ではつらそうな顔をしていて」


 クルトは遠い目をしながら話す。


「あの頃は、殿下は私たちを心配させないために、元気に振る舞っていて。…家族が殺されていくのを目の前で見ていたというのに…。それに、市井に紛れて戦いとは無縁な余生を暮らす道もあったかもしれないのに、生き残った家臣たちから期待を寄せられている以上、殿下はあんな大国を相手に、国を取り戻さざるを得ない。元々末っ子で自由気ままに生きていた殿下にとって、それがどれ程のプレッシャーになっているか…。なのに、自身が家臣たちかれらにとって残された希望―王子という立場なため、弱音を吐く事すらできないんでしょう。…私はそんな殿下がいつも気がかりだったんですが、あなたを誘拐してきてから後、殿下はあなたと関わることで、心の底から元気を取り戻してきたようで」

「…」


「あなたは異国の、ヘルシナータともサーベルンとも全く関係のない場所に住んでいて、殿下の地位も立場も何もよく知らない者です。だから、殿下もあなたには、安心して関わることができるんでしょうね」

「…」


 少女は、クルトの話す暗い事情にどう返事したら良いか分からず、ただただ黙ってクルトの言葉を聞いていた。


「…話が長くなりましたが、とにかく、ごめんなさい。そして、ありがとうございます」

 クルトは、深々と少女に頭を下げた。


「…別に、謝られても良いけど、あいつを元気づけるような…キミにお礼を言われるようなことは、した覚えはないけど」

「した覚えはなくても、あなたの存在だけで、殿下は救われたんですよ。それだけは、自身の誇りに思ってください」

「やだ。あんなやつを元気にしたなんて、一生のフカクだよ」


 少女は覚えたばかりの言葉を、多少舌足らずに言うと、ぷんと顔を背けた。



 クルトは、そんな少女の態度にどうしたものかと困った顔をしていたが、やがてはっと何やら思いついた顔をすると、今度は急に悪い顔をした。


「…お礼に、殿下の弱みをあなたにお教えいたしましょう」

「…?」

 けげんそうな顔をする少女に、クルトは「とても面白い物を見せてあげます」とにやりと笑った。そして、少女の手を引いて、外へとあるものを探しに行くのであった。


-----------------------------------------

王妃が舌足らずにしゃべるのは、リトミナ語のネイティブではないから。

アンリが小さい頃、舌足らずにしゃべっていたのは、難しい言葉を使おうと背伸びしていたからです。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る