18-②:前触れとは、気づきにくいもの
「…痛い、腰が痛い…」
あの日の嘘が本当になったその日、セシルは仕事に出ることもできず、患者たちと同じテントの中で突っ伏していた。
「ぜいたくな腰痛ね。私にはそんな腰痛、永遠に来そうにないわよ」
そんなセシルの腰に湿布を張りながら、マナはうらやましい限りだと言う。
「お前な、他人事だと思いやがって…」
「そりゃあんたの羨ましい腰痛なんて、腹が立つだけでどうでもいいわよ。良いわよねえ、あんたはハタチにならないうちに、正式じゃないものの結婚ができて」
セシルは、マナにはマンジュリカや前世云々の話は抜きに、自身が人質でありながらもレスターと恋仲になったことは説明していた。
「……」
「ただ、あんたの顔なら、もうちょっといい男をゲットできたと思うのよねえ。あんな地味な男にしなくても、よく隣にいる茶髪か灰色髪の男にしておけばよかったのに」
「私がゲットしちゃおうかしら?」と言うマナに、「やるだけ無駄だからやってみれば」と言うと、セシルは思いっきり痛い腰を叩かれた。
「いでえ」と悶えるセシルに、マナは「喪女の苦しみを知れ」と声をあげて笑った。鬼だ。セシルは目に涙を浮かべてマナを睨む。
「それにしても、あんた性格変わったわねえ。むかつくのは変わらないんだけど、なんだか、肩っ苦しいのがへらへらになったというか」
「……」
「やっぱり愛しい人ができると、女は変わるのね♡どんな理屈たれでも、恋を目の前にすれば情けなくも腰を砕かれて、こんな有様になるのかと思うと…ざまあみろだわ」
最初のときめいた様子はどこへやら、マナは最後には「あっはっは」と高らかに笑った。
鬼じゃない、悪魔だ。他の患者たちも、話の内容は聞こえずともマナの様子に引いていた。
「そう言えば、マナ。お前帰らなくていいの?あっちの診療所ほっぽいて一か月近く立ってるけど」
マナの診療所のある地域は、ホリアンサでも中央から離れた郊外の方だったので、爆風でガラスが割れるぐらいで済んだらしい。看護師のおば様方もおじいちゃん先生も、マナ抜きで平常通り仕事をしているらしい。
「大丈夫よ!おじいちゃん先生が、私がいなくても診療所は平気だから、好きなだけこっちに居ていいって!」
それは言外に、診療所にマナの存在はいらないと言われているのではないだろうか?もしかしたら、おじいちゃん先生は、もうこのまま診療所を乗っ取って居ついてしまおうと考えているのかもしれない。
「テスせんせい」
「ん?」
その声にセシルが振り返ると、自分に花をプレゼントしてくれた女の子が不思議そうに首をかしげている。
「お、リリア、どうかした?」
「きょうはどうしてここでねてるの?」
「それはね、テス先生がお婿さんに
セシルはマナの脇腹に肘をぶち込む。マナは華麗に口から唾を吹きつつ倒れた。
「マナせんせいたおれちゃったよ、テスせんせい」
「大丈夫、疲れて寝ただけだから」
セシルはマナの方を見させないように、女の子―リリアの頬を両手で包み、自分を向かせた。
「今日はね、先生ちょっと腰が痛くて寝てるんだ。だから、今日は先生のお仕事をお休みしてるの」
「そうなんだ、へえ」
リリアは意外と言う顔をした。医者も病気や怪我をするという事を、考えたことがないのだろう。
「だいじょうぶなの?いたい?」
「痛いけど、今日一日寝ていれば、明日には元気になるよ。だから心配しないで」
「うん、わかった」
リリアはこくんと頷く。子供はいいな、とセシルは思う。こんなにも素直なのだから。
大人になれば、こんな風に穢れることもあるのだからと、セシルは気絶しているマナの顔にちらりと目をやる。
「ねえ、テスせんせい。きょう、いいものもってきたの」
リリアはポケットをごそごそとあさると、「ほら」とセシルに差し出す。それは綺麗な水色の石だった。形からして、きっと水道のポンプに入っている魔晶石だと、セシルは思った。瓦礫の中から拾ってきたのだろう。
「綺麗だな」
「そとできのうひろったの。すぐにわたしたかったんだけど、アンリせんせいが、テスせんせいはおむこさんとでーとにでかけたっていってたから」
「……」
セシルはかああと顔を赤くする。アンリめ、子供にそんなことを馬鹿正直に言うとは。
「おかあさんもね、おとなりのおばさんにいってたの。テスさん、いがいにもけっこんしていたらしいよって。ほんとにいがいだねって、かんごしさんたちもいってるのきいたよ」
「……」
悪事千里を走る…いいや、そうじゃないがどうでもよい。まだそんなに経っていないのに、セシルに夫がいたということは、あっという間に病院中の噂になっているようだった。
レスターと再会したあの日、ロイの怪我について対応していた看護師が後で自分に事情を聞いてきたので、「爆発で死んだと思っていた夫が生きていた。セシルと言うのはあだ名みたいなもの」と嘘の事情をごくあっさりと話した。だが、いつの間にかそれが広がって、それについて色々と噂されているようだった。
―だけど、意外ってなんなんだよ
失礼だなあ。セシルはむっとして、小さく膨れた。
「はい、これ。あげる」
そんなセシルに気づかず、リリアはセシルに石を差し出す。
「え、せっかく拾ったのに、いいのか?」
どこにでもある、ただのポンプの部品だ。だが、子供のせっかくの好意を無下にすることなど出来ないから、セシルは笑顔でそう言った。
「うん、せんせいにはおせわになってるもん」
「お前、しっかりしてるなあ」
セシルは感心して、わしゃわしゃとリリアの頭を撫でる。リリアはきゃっきゃっと嬉しそうに、声をあげた。
―自分にも子供がいたら、こんな風に可愛がっていたのだろうか…
小さくほほ笑むと、セシルは「ありがとう。じゃあ、これ貰っておくな」と石を受け取る。
「うん!じゃあまたね」
セシルに石を渡すと、リリアは嬉しそうにとたとたと駆けて行ってしまった。
「……」
―オレもあんな子供が、欲しいなあ…
その後ろ姿に手を振りながら、セシルは思った。しかし、すぐに暗い心地になる。
―産んでも、オレじゃ幸せにできないよ…
自分の事情に巻き込んでしまい、死んでしまった我が子。サアラはもういない。だけど、もしかしたら、また同じようなことがあるかもしれない。自身を狙う誰かに、大事な誰かが巻き込まれて殺されたりするかもしれない。何よりも初代王妃がまだいる。
「……」
セシルはぎゅっと石を握り、その手を胸に当てる。
自身の幸せを脅かすものから逃げてばかりいては、駄目だとわかっている。立ち向かっていかなければ、駄目なことはわかっている。そうしなければ、前に進めないこともわかっている。
「……」
だけど、そうやって前に進んでも、その進んだ先にまた不幸が待ち受けていて、大事なものを失うかもしれない。それまでの、前へと進むために振り絞った努力が、すべて無駄となってしまうかもしれない。それが怖い。
「……」
こういう時、あいつだったらどう言うのだろう。かつての自分、テス・クリスタは。
セシルは、無性にその男と会ってみたくなった。そして、自身と同じ存在の彼、そして人生の先達とも言える彼に、何か言葉を掛けてもらいたくなった。
だけどきっと、自分が目覚めた時に彼は消えてしまったに違いないのだから、会えるわけなどない。セシルはため息を一つつくと、その石を枕元に置こうとして、
「あ…」
うっかり手から落とした。地面に落ちたそれは、脆くも砕け散った。
「……え」
魔晶石ってこんなにやわらかいものだったっけ。金づちでたたいても割れないはずなのに。
「…」
とにかく壊れてしまったものは仕方がない。後でリリアに謝ろう。セシルは破片を集めると、湿布の入っていた袋に、それを入れた。
その頃、ホリアンサのとある簡易救護所にいたある患者が、謎の病気を発症していた。
体に赤い発疹ができたかと思うと、それは瞬く間に体全体に広がった。やがて発疹は化膿し、全身の皮膚が焼けただれた様になった。そして数日後には、その皮膚もずるけ落ち、血も止まらなくなった。その患者は、体が溶けていくかのようにどろどろとなり、目も当てられない姿となって、最後には衰弱して死んだ。
病名は不明。しかし、その死を皮切りに、ホリアンサのあちこちで同じ症例の患者が出るようになった。
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