17-⑥:異世界の過去④

 それから何年か後、感情と言えるものが死に絶え、機械的に任務をこなしていたテスの元にある助手―衛生兵がやってきた。レイビガーターという覚えにくい姓を持った、10も年下の女の子だった。


 その子は自己紹介をした時、「医者を目指していたんだけど~、頭に恵まれなかったのお」と、「えへへっ」と舌を出しながら頭を掻いていた。テスは内心で、こいつに助手を任せても大丈夫なのかと心配していた。そして、実際その通りで、包帯すらまともに巻けない。注射をさせようとすればガタガタと手元が定まらなくて、患者が恐怖に「先生代わって!頼むから!」と叫んで懇願する有様だった。



 だが、彼女はいつでも底抜けに明るく、居るだけで患者の心の支えとなり、人気を集めていた。そして、テスの無表情を何とかして笑わせようと、テスの前でふざけてばかりいた。


 テスは最初のうちは馬鹿にして相手にしないでいたが、そうすればするほど彼女は躍起になってテスを笑わそうとした。結局、折れたのはテスの方だった。「笑えば気が済むんだろう?」とぎこちなく笑ってやってみせれば、「私が求めてたのはそんなんじゃない!」と膨れた。一体何がしたいのだこの女は、と首をかしげるテスの前で、彼女は悔しそうに地団太を踏んでいた。だから、テスは心底『訳が分からない女』と思ったのだった。


 しかし、訳が分からない彼女のその様子が面白くて、テスは思わずぷっと吹いた。久々の笑いだった。すると、その子は「そうそう!それ!」とテスを指差し、嬉しそうに笑った。

 テスは全く持って訳が分からないと思いながらも、彼女が機嫌をよくしてくれたことが何だかうれしかった。



 彼女といるとそんな訳のわからない調子が続き、しかしテスは、彼女と共にいると次第に凝り固まっていた心が溶けていくのを感じていた。彼女は、テスの荒れた心を和ませてくれた。そして、テスの荒野となっていた感情の大地に、恵みの雨を降らせてくれたのだった。




 だけど、ある日テスは、物陰でしんみりとしている彼女を見つけた。気になったテスが理由を聞いても、首を振って何も言わない。

 しかし、テスは、彼女が手に持っていた写真を見て事情を察した。どうやらこの子も、父母がいないらしい。彼女の隣に座りテスが自分も同じだと言えば、彼女はやがてぽつりぽつりと事情を話しはじめた。幼い頃に医者だった父は空襲で死に、それで気を弱くした母も後を追うように病気で死んだ事。そして、親戚に引き取られたものの毎日いじめられ、耐え切れずに軍に志願した事を。


 彼女は、本当はこんな怖いところに来たくはなかったと泣いた。しくしくと心細そうに泣く彼女を見て、テスは心に長らく忘れていた感情が芽生えるのを感じていた。


―この子を守らないといけない


 次の日には、「ごめんねえ!昨日はしんみりしちゃって!」といつも通り明るく振る舞っていた彼女。だが、テスは、彼女の事が気になって気になって仕方がなかった。

 彼女は表面では明るくしつつも、心の内に色々と辛いことを抱え込んでいたのだ。リアンもそうだった。あえて明るく過ごすことで、自身の心をも騙し、心を壊れることから守ろうとしていたから。



 だから、その日以来、テスは何かと彼女を気遣った。すると、それに気づいた彼女は、最初の内はテスのその言動を笑い飛ばしていたが、テスの態度が真剣であることを感じ取ると、次第にテスに悩みや気持ちを素直に打ち明けるようになった。テスも彼女の話を聞いては、彼女を慰め励ますようになった。


 そして、テスはいつしか、彼女に並々ならない感情を抱くようになった。




 そんなある日、テスは思った。


―これが恋なのか?

 テスはいいや違うと思った。彼女に、自分と同じ辛い気持ちを味わわせたくないからだ。そして、リアンを守れなかった分、彼女を守ってやりたいからだ。そして、リアンが幸せになれなかった分、この子は俺が幸せにしてやりたいからだ。


―恋など精神疾患だから、それをよく分かっている自分がそんなものに罹るはず等ない。だから違う

 そう思いながらも、ある日、ついにテスは決意した。



―彼女をこの地獄から救いだす



 恋ではない。だけど結婚しよう。そして、彼女を家に入れる―戦地に出る必要が無いように守ってやりたい。

 そのために俺はこの地獄で稼ぎ、生きよう。それが、今まで何も守れなかった自分が、自身の生涯をかけてできる唯一の事だ。




 だから、テスは、鉄の音がしない静かな夜、彼女にプロポーズをした。「今回の任務が終わったら、俺の妻になってくれ」と。

 彼女はうれし涙を溢れさせつつ、どっとテスに抱きついた。「と言うのは、恋じゃなくて、君を守りたいからだ」と付け加えようとするテスの言葉を、最後まで聞かずに。


 そして、彼女はテスの唇に唇を押し付けてきた。テスは精神疾患の一連であるその行為に驚きつつも、悪い気はしなかった。それどころか、テスも素直に、その精神疾患に罹ってやってもいいような気になった。

 だから、テスは彼女を抱きしめ返すと、口づけを深めた。そしてそのまま、戦場の片隅で結ばれたのだった。



 嬉しさに泣きながら自身を求める彼女を、同じぐらいに求めながら、テスは思った。


―今度こそ、少しぐらいは幸せになれるはず


 そう思った。神はいなくても、絶対にこの幸せだけは俺が守る。

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