16-③:よりによって

 テスがセシルとして甦ってから、半年程がたった。あれから季節も移ろい、もうすぐ年が変わろうとしていた。

 ここはヘルシナータの首都、ホリアンサ。そして、テスは現在、その端っこにある小さな診療所で看護師として働き、市井に紛れながら暮らしていた。



「テス、おはよう」

「おはようございます、マナ先生」

 雪のちらつく朝、テスは出勤して挨拶するなり、その女医―マナ・タンストールに、ぱちんと両頬を勢いよく手で挟まれた。

「はい笑顔で、もう一回!」

 マナは戒めるかのような怖い顔で、ぐにぐにぐに~とテスの頬を手のひらで揉む。毎朝恒例になったこの行事。何とか仏頂面を変えさせたいのだろう。だが、これが素なのだから変えようもない。


 だから、先程と同じ表情で「おはようございます」と言えば、いつも通りマナに「あんた、表情筋全部切れてるんじゃないの」とぐちぐちとキレられた。しかし、それから10秒もしないうちに、マナは「まあ、今日の所は許す!」と笑顔でテスを見た。この変わり身の早さも、この雇い主の特徴だと、半年の付き合いでテスはよく理解している。


「だけどさ、一言だけ言わせてもらうけど、あんた、笑ったら絶対すっごく可愛くなると思うんだよね。いっぺん笑って見てよ」

 マナは「ねっ?」と手を組み小首をかしげて、おねだりをする。

「可愛くなったら、何か利益があるのか?」

「そりゃあ、この診療所に可愛い看護師さんが居るってなったら、男どもがわんさかやってきて、診療所は大儲けよ!」

 マナは手を組んだまま、目をきらきらと輝かせた。だから、テスは呆れのため息を隠さずについた。


「…俺は看護師であって看板娘ではない。それに、この仕事は厳密に言うと接客業ではない。さらに言わせてもらうが、それはマナに利益はあれど、俺にはまったくと言っていいほど利益がないものだ。むしろ、口角筋に無駄な負担をかけてしまうという、悪益しかない。もう一つ言えば、寄ってくるのが興味本位の男ならまだしも、ストーカーという者が代表的な事例に挙げられる、狂気的恋愛気質を持つ男までが寄ってたかってくるとなると、後々至極面倒くさいこととなる。仕事以外の無駄な事に、頭と体力と気力を使う必要性が出てくる。俺はそんなことは真っ平御免こうむりたい」


 すると、マナはかあああっと顔を赤くして、眉をつり上げた。

「あんたって、ほんっとに見た目詐欺の、理屈ったれ!普通笑えって言われただけで、そこまで言う?後、雇い主を呼び捨てにするのは止めろって何度も言ってるでしょ!……とにかく、私はただ単に、あんたに愛想よく笑ってほしいだけなの。あんた、患者さん達に裏でなんて言われてるか知ってる?『鉄仮面』よ。あんたの無表情が泣かせた子供の数なんて、最初の頃はいちいち数えていたけど、今じゃ覚えきれなくなって数えるのもやめたわ。もしあんたに医療の才能が無けりゃ、とっくにクビにしてやってるとこよ!それに、あんたぴちぴちの18歳でしょ?かわい~く笑っていれば、いつでもいい男をゲットできるっていうのに!あんた、そのままじゃ一生結婚できないわよ!」


 どうでもいいことを唾を飛ばす勢いで言っていると、テスは思う。そして、どうでもいいことにマナは体力の無駄遣いをしているとも、テスは思った。


「女の笑顔ぐらいでほいほい飛んでくる軽い男など、適切な判断力が欠落している可能性が高いから、生涯という長い間、生活を共にするなど不安要素が大きすぎるからお断りだ。それに結婚しろというのなら、先生は25歳だろう?人の心配をするより、先生の方こそ結婚するべきだとは思わないのか?後、俺がマナを呼び捨てにしているのは、どう見ても言動挙動態度が、俺より年下にしか思えないからだ。まあそれを根底から改めない限り、結婚は到底無理だな」

「ぐうううう!!この子はほんっとにムカつく!」


 マナは結婚できないことを気にしていた。だから、悪びれる様子もなくずけずけと言われた言葉に、マナは毛を逆立てる勢いで腹を立てた。

 そして、「クビよクビ!」といいながら、どすどすと足音を立て診療所の奥に入っていった。


「……」

 今までの経験則で、マナは解雇通知書ではなく、今日の予約患者のリストを取りに行っただけだろうとテスは思う。



「…にしても、結婚か」

 ふとテスは思い出す。この来世―セシルが、夫と決めた男の事を。


―…よりによって…


 そして、テスは顔を両手で覆った。どうして、来世の俺は、あいつの生まれ変わりと恋人同士になっているのだ。…と思いつつも、テスはセシルの今までの来歴をよく知っているから、レスター―来世のジュリアンとくっついた理由と心情はよく理解できた。ただ自身の心情的にはかなりの毒なのだ。だって、体は女だとはいえ、かつての親友(男)とあんなことやこんなこと、さらには子供まで為した間柄になってしまったのだから。


「…泣きたい」

 テスはその場にしゃがみこむと、覆った手を顔にくしゃくしゃとこすり付けた。もう全部忘れてしまいたい。だけど、セシルの記憶は、ばっちり鮮明にあるのだ。自身テスが実際に体感した記憶並の鮮明さで。いっそのこと、もう一度死んでしまいたいぐらいだ。



「テス!何休んでるの!さっさと準備して!」

 そんな傷心真っ最中のテスの襟の後ろを、いつの間にか奥から出てきていたマナが、子猫よろしく片手でつまみあげる。


「…はい」

 さっきまでクビとか言っていたくせに、というか喉がくるしい、さすが腹筋が割れているだけの事はある、とか思いながら、テスは今日も仕事を始めたのだった。

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