彼が作った小さな楽園

まよりば

第1話

「ただいま」

 ケンはポストから回収した手紙の束を仕分けしながら、玄関のドアを足も使って器用に開ける。

「おかえりー」

 洗面所あたりからママの声が聞こえた。どうやら掃除中らしい。ケンは、手紙をそれぞれ家族の部屋に届ける。そして、ベッドにカバンを置いて自分に来ている封筒を見つめた。

「誰からだろう?」

 封筒に差出人の名前はない。この家にはパパの仕事で引っ越してきたばかりで、友達はいない。たったひとり、住所を知らせた友人から手紙が来ることはもう不可能であることもケンは知っていた。

 とすると、教育関係の業者か架空請求の手紙なのかもしれないが、そうだとすると差出人の名前がないことはより一層不可解だ。

「サーシャ、起動して」

 ケンの声でPCがスタンバイから立ち上がる。

『ケン、おかえりなさい』

 PCに入っているフレンドAIのサーシャが、モニターにコメントを表示させた。半年前に買ってもらったこのフレンドAIが、今のケンの唯一の友達だ。

「手紙が来たんだ」

『誰から?』

「分からない」

 ケンは答える。

『まだ開けてないの?』

「うん。差出人の名前がない手紙って怖くない?」

『大丈夫。メールソフトじゃないんだから、ウィルスに感染することはないわ』

 まあね、とケンは笑う。

『あ、でも。』

 とサーシャは続ける

『100年ほど前に、封筒に入った病原菌をおくりつけるテロが流行ったらしいわよ』

「え、なにそれ怖い」

『どうする、テロだったら?』

 もし読み上げ機能付きのAIだったら、サーシャのクスクス笑う声が聞こえていたに違いない。悪趣味なAIだ、とケンは思ったが、フレンドAIの反応はそれまでのやり取りで学習したもの。サーシャを悪趣味だと罵ることは、つまりケン自身が悪趣味だという結論に至ってしまう。

 サーシャを馬鹿にすれば、それ以上のしっぺ返しが来るだろうことも容易に想像できたので、ケンは、ひとまず眼の前にある封筒に取り組むことにした。

「テロかもしれないけど、開けるよ?」

 少しだけ、ハサミを持つケンの手が震えている。

『ええ。何かあったらすぐ言ってね。レスキューを呼ぶわ』

「レスキューに処理できる問題だと良いけど」 

 深呼吸一つして、ケンはハサミでジョキッと封筒の上部を切った。


 目が覚めると、小児病棟の白い天井が見えた。ユキは、何度目かもわからないため息をつく。

 朝だ。今日も目が覚めてしまった。

 ユキは、カーテンを少しだけ開けると、携帯端末をいじる。

 起きては端末、ご飯、寝るの繰り返し。あまりに刺激のない毎日に、端末いじりをやめようとした日もあったのだが、やめたところでなにか楽しいことがあるはずもなく。少しでも新しい刺激を求めて、ユキは今日も端末をいじるしかなかった。

 ユキが端末で見ているのは、もっぱらSNS。SNSと言っても、質問と回答だけがならぶ掲示板のような場所で、深く誰かと付き合う必要もないところだ。

 誰かの軽い質問に、誰かが答える。ごくたまに、ハッとする質問や思わず唸る返事もある。

 文字数・レス数の制限があるSNSなので、簡単なやり取りだけが展開され、揉めることも殆ど無い。ユキにとって暇つぶしにはもってこいの場所だった。

 いつもどおり新着の掲示板を流し読みしていると、ユキはとあるトピックを見つけた。

『寂しいってなに?』

 誰からも返信はついていない。

 ユキは、少し考えてコメントした。

『気持ちを共有できる相手がいないこと』

 すぐに既読がついたが、それから返事はない。ユキは、大して気にもとめず、再び他のトピックを流し読みする作業へ没頭した。

 ユキが書き込みの返信に気づいたのは夕食後のことだった。『なるほど』という

一言だけのレスポンス。

 すでに掲示板は締め切られていて、それ以上は誰も書き込みができない状態になっていた。

 軽くメールチェックなどしていると、SNSからダイレクトメッセージが飛んできた。

『レスポンスありがとう。少し君と話したいんだけど、時間大丈夫かい?』

 送信者はあのトピックを立てたアカウントだ。ユキは少し考え、返事した。

『21時までに寝ないと怒られるんだけど、それまでで良かったら』

『あと20分位か。2つ3つ、軽く聞きたいことがあるんだ。いいかな?』

『OK』

『君は大人?子供?』

『子供だよ』

『君がくれたレスポンスは誰かに聞いた言葉?それとも自分で考えた言葉?』

『僕が考えた言葉だよ』

『私はいくつかの調査をしている。今後もこうやってやり取りするのは可能かい?』

『良いよ。僕が起きている時間であれば』

『ありがとう。それでは良い夢を』

『あなたもね』 

 ユキはやりとりを終え、ベッドに潜った。その晩ユキは、顔もしらない誰かとの出会いに、ほんの少しだけ胸の何処かが高揚していて、なかなか寝付けなかった。




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