第二章 宇宙《そら》への旅立ち

6.ソラの居場所

 ソラが地下ビルを出ると、あたりは真っ暗だった。

 もう夜だ。時計を見るまでもなく、門限はとっくに過ぎている。

 あわてて家路を急ぐ。


(あれは夢だったんだろうか)


 一瞬そう考えたが、あのワープや無重力――厳密には無重量というらしいが――の感覚は体に染み付いている。

 ソラは腕時計を持っていなかったが、途中で公園の時計を見るともう時刻は21時だった。


 ソラが住んでいる家はバトル・エスパーダ大会が開かれた会場からほど近い。そうでなければ大会に出ることなどできなかっただろう。


 家の前に着き、大きく深呼吸をした。

 門限の17時はとっくの昔に過ぎている。

 あの叔母さんがどう反応するか、想像するだけで恐ろしい。


 ソラの両親は、小学3年生の時に交通事故で亡くなった。

 その後父方の叔父一家に引き取られた。叔父はまあ、優しかったと思う。

 叔父の息子、つまりソラの従兄弟はよそよそしかったが、それでも両親の事故死から立ち直ることができたのは叔父のおかげだ。


 だが、悲劇というのは二度三度と起きるものらしい。

 昨年、ソラと従兄弟が小学校を卒業する間際に、今度は叔父が病死した。

 結果として、ソラは叔父の妻である叔母が育てることになったのだが、彼女にとってみれば血も繋がっていない他人である。


 その日から、ソラは露骨に家庭内で差別されるようになった。

 食事はソラだけご飯とたくわんのみ。家の仕事のほとんどをやらされた。自分は食べられないのに、叔母と従兄弟のために肉や魚を調理するのは悲しいことであった。


 叔母は事あるごとに『この厄介者が』とソラを罵った。

 門限を17時に決めたのも、なにもソラを心配してのことではない。家事をやらせるためだ。その証拠に同い年の従兄弟には門限なんてない。


(いつまでもこうしていてもしょうがないか)


 ソラはおそるおそる玄関のチャイムを鳴らした。

 叔母が顔を出す。


「誰だい? こんな時間に」

「ただいま帰りました」


 おずおずとそう言うソラを、叔母は睨み付けた。


「ふん、お前みたいなガキ知らないね」


 叔母は冷たくそう言い放った。


「あの、遅くなってすみません」

「だから、お前なんて知らないよ」


 叔母はそういうとビシャンと玄関の扉を閉めた。

 扉に飛びつくが、すでに鍵は閉められていた。

 家の鍵は渡されていない。

 ソラは、ふらふらと庭に入った。

 庭では飼い犬のコロが寝ていた。

 コロの小屋の横に座った。


(お腹すいたな)


 今日は朝、パンの耳をもらっただけだ。昼ごはんは何も食べていない。買うお金などなかったし、弁当を作ることも許されていなかった。いつも、土日は昼抜きなのだ。

 昼だけ抜くのは慣れていたが、夜まで何も食べないでいるとさすがに空腹が襲いかかってくる。


 とてつもなく惨めな気分だった。


 ふと空を見上げる。

 今日は星がよく見えた。


(空想じゃなく、あそこに行ったんだよな)


 ソラは思う。

 あの光のどれかが、トモ・エや舞子が乗る宇宙船なのかもしれない。


 ---------------


 翌朝。

 ソラは庭で目を覚ました。

 どうやら、あのまま眠ってしまったらしい。

 叔母は朝になっても家に入れてくれるつもりはないらしい。


 窓の向こう側では叔母と従兄弟が仲良く食事をしていた。

 こちらに気づいているのだろうが、露骨に無視している。


(しかたない。学校行くか)


 ソラはフラフラする体で中学校に向かった。

 学生服や教科書は家の中なので、私服で手ぶらのままだ。

 それでも、学校に行こうと思ったのは給食が欲しかったからだ。


---------------


 まだ時間が早いので教室の中には誰もいなかった。

 ソラは自分の席に座る。机には多数のいたずら書きがされている。

 ソラが書いたものではない。クラスメート達が書いたものだ。

『バカ』『死ね』『親無し子』『学校来るな』などなど。


 従兄弟と同じクラスで、その従兄弟がクラスメートをしきっているのだ。

 とりあえず席に座る。机の中から本を取り出した。


 3日前に、図書室で借りたSF小説だ。

 いつもなら本を読んでいる間は、そこに没頭できる。


 ――だけど。


 今日はどうしても集中できなかった。

 昨日のありえない体験が頭に浮かぶ。

 なにしろ実際に宇宙に行ったのだ。SF小説などよりもずっと衝撃的な現実だ。


 本を閉じ、窓の外の空を眺めた。

 空を眺めるのは好きだ。心が少しだけ晴れる。


(あそこに行ったんだよな)


 しばらくすると他の、クラスメートたちも登校してきた。


 私服姿のソラを見て、みんなが訝しがる。

 やがて、従兄弟も登校してきた。


「おめー、何しているんだよ!?」

「何って……」

「小学生じゃあるまいし、なんで学校に私服で来るんだ?」


 従兄弟の言葉に『そうだそうだ』と、周囲も騒ぐ。


「だって、叔母さんが……」


 家に入れてくれなかったからと、そう言おうとするソラの胸ぐらを、従兄弟がねじり上げる。


「ふざけんなよ。てめえみたいなのと親戚って思われるだけでも迷惑なんだよっ!」


 従兄弟はそう言うと、ソラを床にたたきつけた。

 さらに倒れたソラの背中を上履きで踏む。

 他の子達もいっしょになって蹴飛ばしてくる。


 何も特別なことじゃない。

 ソラは中学に入学してから、ずっと虐められているのだから。


「お前達、何をやっているんだ」


 教室の扉が開き、担任教師が入ってきた。

 さすがに、みんなソラを蹴飛ばすのはやめる。


「センセー、ソラくんが制服を着てくるの忘れちゃったそうです」


 立ち上がりかけたソラを見下ろして、従兄弟が言った。


「森原、どうしたんだ? 大丈夫か?」


 先生がそう言って近づいてくる。


 一瞬、全部ぶちまけたくなる。

 叔母さんにされていること。

 クラスメートに散々虐められていること。


 だけど。

 そんなことをして何になる?


 その後はさらに従兄弟に虐められる。

 学校では先生に守ってもらえるかもしれないが、家に帰ったら?

 従兄弟があることないこと叔母に言えば、何をされるかわからない。


 結局ソラは何も言えず、うつむく。


「森原、言いたいことがあるならハッキリと言いなさい」


 先生の言葉が、ソラの胸に突き刺さり――


 ――気がつくと、ソラは教室から駆け出していた。


「おい、森原!」


 背後から先生の声が聞こえるが、ソラは無視して廊下を走り、階段を駆け下り、校舎から飛び出した。さらに校門を抜け、学校からも逃げ出してしまう。


 がむしゃらに走り続け、気がつくと児童公園のベンチに座っていた。


(おなかすいたなぁ)


 しばらくして、冷静になり空腹を思い出した。


(これからどうしよう……)


 学校に戻る勇気はなかった。もちろん叔母の待つ家にもだ。


(ゲーセンでもいくか)


 ソラは思い立ち、歩き始めた。


 ---------------


 ソラが1年前から行きつけているゲームセンターはとなり町にあった。従兄弟達に見つからないよう、わざと遠くの店に通っていたのだ。

 小遣いをもらっていないので、最初は見学していただけだった。

 いつもそうしているソラに、半年前、店長さんが声をかけた。

 お金を払わずに居座っている自分を追い出しに来たのかなと思ったが、違った。


「きみ、いつも見ているだけだけど、お金ないの?」

「……はい」

「それじゃあ、つまらないだろう? どう、店の手伝いを1時間したら、1回プレーさせてあげるっていうのは?」


 どうやら、バイト店員がやめて困っていたらしい。

 ソラはその提案に頷いた。

 それからは店の手伝いをしてはゲームをさせてもらった。

 店としても正式なバイトに給料を払うよりもずっと安上がりだったようだ。

 そこで出会ったのがバトル・エスパーダだ。ソラは天才的な上手さをみせた。


「すごいじゃないか、ソラくん」


 店長や常連のお客さんに褒められ、ソラはますますそのゲームセンターに居座るようになった。


 ---------------


 店長が、学校を飛び出してやってきたソラに気がついた。


「あ、ソラくん」

「こんにちは」

「どうしたの? 学校は?」

「うーん、今日は早く終わったから」


 ソラはそう言ってごまかした。


「ねえ、またゲームさせてよ、手伝いするから」


 しかし、店長は申し訳無さそうな顔をして言う。


「それなんだけどね、ちょっと今後は無理かも」

「……え、なんで?」

「実は警察から注意されちゃって、中学生を働かせているなんてとんでもないって。べつに給料払っていたわけじゃないから、営業取り消しとかにはならなかったんだけどね……。ホント、ごめんね」


 それはソラにとって衝撃的な言葉だった。だが、言われたことがわからないほどソラも幼くはない。


「そっか、じゃあ、しょうがないよね」


 それだけ言うのがやっとだった。


「それに、バトル・エスパーダが昨日からサーバーダウンしちゃってて。なんか、開発元が突然倒産したみたいで。

 でもよくわからないよな。これほど流行っていて、昨日全国大会を開いたゲーム会社が突然倒産っていうのも」


 店長が首をひねる。


(バトル・エスパーダの会社が倒産)


 ソラにはその理由が想像できた。

 トモ・エにとって、もう地球でバトル・エスパーダをプレーさせる意味は無いのだ。舞子というパイロットも見つかったのだから。


「ソラくん、ホント、ごめんよ」


 店長さんは何度も謝った。


「いいえ、これまでありがとうございました」


 ソラはそう言って、店から出た。


 ---------------


 いよいよ、ソラには行くあてがなくなってしまった。

 空腹ももう限界だ。


(これからどうしよう)


 いや、行く場所ならあるのだ。あの空の向こうに。


(宇宙、か)


 青く少し雲がかった空を見る。

 宇宙に旅立つ。

 突飛な話だが、このまま叔母の家に戻るよりもずっと魅力的に思えた。


 ゲームではない、本物のエスパーダを動かせる。

 それに、トモ・エも舞子も自分をいじめたりしない。

 そして、何よりも楽しそうと思う。


(いいじゃないか、宇宙に行ってやろうじゃん)


 ソラは決意し、走りだした。


 ---------------


 本当はほんの少し不安だった。

 昨日のことはやっぱり夢で、あのビルの地下に行ってもなにもないんじゃないかと。

 だが、17時にビルの地下にいくと、はたしてそこにはトモ・エがいた。


「決心は付きましたか?」


 そう尋ねたトモ・エに、ソラははっきりと答えた。


「行くよ。僕、宇宙に行く」


 ソラの答えに、トモ・エは頷いてくれた。


「ありがとうございます。私は、あなたを歓迎します」

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