イエス? 絶対ノーだ
知葉
第1話 はい、構いません
「そう、ですか……」
私は淡々と、目の前の秘書さんの言葉を飲み込み、事実をただただ受け入れていくしかない。
諦めるのは、得意です。そのことを、今思い出す。
「心中お察しいたします」
彼女はそう言って、一呼吸を置き。
そして申し訳なさそうな顔で、言葉が続く――
「今このような話をするのは不躾かもしれませんが、これも自分の務めなので、どうかご容赦を」
相続の話。すごく丁寧に説明してくれましたが、いろいろ難しくて、私には半分、いいえ、殆どわかりません。
「すべてメイアさんにお任せします、お祖父様にもそう言われてますので」
私は予め、用意していた言葉を返す。それ以外、私にできることなどありません。
「……ではそのように」
彼女もそれを察したか、持ってきた資料の山を片付け、軽く辞儀をする。
「私はすぐ戻らないといけないので、これにて失礼します。スレイお嬢様、お元気で」
「失望、させちゃったかな」
重いカバンを持ち上げて出ていく彼女の姿を見て、申し訳ないことをしましたと一人落ち込む。きっと頑張って準備したでしょう、私のような小娘にもできるだけわかるように、あの資料の山を。
けれどごめんなさい、私はあなたの憧れの人には遠く及びません、ただの凡人。あの人の孫娘には、全然相応しくありません。
ごめんなさい、お祖父様、せっかく救ってくれたのに。この八年、夢のような日々を過ごしてきたのに。でもこれで、私はまたあの人達の元に……
後日、お葬式が行われた。いろんな人が参列に来て、これもお祖父様の人望なのかもしれません。中にはすごく偉い方もたくさんいて、メイアさんがいろいろと紹介してくれましたが、正直私にはちんぷんかんぷんで、ただひたすら頭を下げてお辞儀を返すことしかできません。メイアさんがいてくれて本当に良かった。
「ははははは――」
尊大な笑い声が、静かな霊堂に割って入る。
「ようやく、ようやく消えてくれたか、爺よ」
――っ
来た。
無意識に震える自分の腕を抱え、顔を俯く。
「ヘンリ様……」
と、メイアさんがすぐに止めに入ったけど――
「おっと私がしたこと、あまりにも嬉しくてつい高ぶって、いやいやすまない」
彼は何事もなかったかのように振る舞ってメイアさんをいなし、霊堂の中を闊歩し、こちらに近付いて来る。
――来ないで。
心の中が叫びだしそう。
「やあ、スレイ、邪魔者がいなくなって、迎えに来たよ」
目の前まで来てしまった彼は、満面な笑顔で私に話を掛ける。
「これでようやく、家族全員で暮らせるね」
「……はい、お父様」
淡々と、私はそう言葉を返す。
お父様。そう、彼は私の実の父親。
逆らえません、私には。お祖父様が亡くなってしまった今、誰にも。
「それでいい、スレイ。今日はなんといい日だ、ははは――」
諦めることは得意です。少なくとも、彼の元にいる時は。
逆らえないなら、諦めてしまえばいい。ずっとそうしてきた、お祖父様が来てくれるまで。
そしてもう、お祖父様は居ません。もう、誰も――
「霊堂では静かにしていろ」
低く、そして力強い声。
誰。と私は顔をあげ、声の方を見る。
見付けた。
男の子。想像したのと全然違って、ぽっちゃりとしてて、存在感が薄い男の子。別に王子様を夢見るつもりはありませんが、なんというか…そう、いかにも気弱そうな、少なくともこの場でお父様に歯向かうような人には、決して。
あ、でも目はすごくまっすぐ、まっすぐとお父様を射抜く。
「それは私のことを言ってるのかね、キミ」
振り向くお父様も、怒りより先に好奇心を彼に向ける。
「うむ、キミの言うことはもっともだ。しかし本当に残念だが私はこの爺の息子であり、これもいわば家事。さて、キミは私達の家事に口を出せる立場かね」
当然のように、お父様は彼の素性を尋ねる。
彼。知ってる人。クラスメート、確か名前は――
「ノーマン、くん?」
そう、ノーマンくん。ノーマン・ディネイス。
知ってるのは、それだけ。いつも無言で、影の薄い人。何度か挨拶をしたことはありますけど、返って来たことは一度もありません。
なぜここに、と私は真っ先に思う。お祖父様は学校の理事長でもあるから、学生がお葬式に来ても、別におかしくはありません。
ありませんけど、彼が、どうして。お祖父様と、どういう関係?
ふと、彼が学校で用務員をしているという噂話を思い出す。まさかお祖父様が?
「知り合いかね? スレイ。お前は栄えあるアフィル家の人間だ、故に友人は選ぶようにとあれほど――」
私が彼の名前を口に出したことを、お父様はひどく不快にさせたようです。
「まあいい、私の元に戻れば、自ずと理解するんだろう」
そしてすぐ興味をなくし、再び彼の方に振り向く。
「それで、ノーマンくんだったかね。キミは――」
「黙れ、駄犬」
えっ?
乱暴にお父様の言葉を遮り、彼は静かにこちらへと足を運ぶ。
「なっ…」
さすがのお父様も、呆れるように目を開き。
そして顔がすぐ赤に染まり、いままで潜んでいた怒りが浮き上がる。
「き、貴様!」
そんなお父様を一瞥もせず、彼はまっすぐメイアさんの前にまで。
「メイア、こいつが家事とかほざいたが、爺さんは誰に家督を譲った?」
遠慮のない言葉遣い、メイアさんとも知り合いなのでしょうか。
「もちろん、スレイお嬢様に」
メイアさんは特に気に触った様子もなく、彼の質問に答える。
「お、おい、本気で言ってるのかメイア!こんな子供にアフィル家を――」
いままで紳士に装っていたお父様も、家督のことを聞いては冷静にいられないようです。
「はい、ヘンリ様。お嬢様はすでに成年して、法律上特に問題はありません」
声を荒げるお父様を物ともせず、メイアさんは平然と答える。
「ありえん!このクソ爺、死んでまで忌々しいことを……」
お父様は激怒し、手に持っていた杖をそのままお祖父様の遺影に。
――だめっ!
私の心が叫び出す。
それでも声には、決して出せません。
ぎゅっと目を固く閉じて、私は静かに、やがて来る破壊の音を、ただ待つことしかできない。
しかし――
「……失礼、私としたことが」
意外にもお父様が冷静を取り戻した。
ほっと、私は胸を撫で下ろす。よかった、少なくとも一番見たくない光景は避けられたようです。
そして気づく、お父様の視線。
まっすぐ私を捕らえる、卑しい視線。
「考えてみれば、それも別に構わない」
再び余裕の態度を見せるお父様。
「スレイ、お前が私に家督を譲れば、それで済む話だ」
勝ちを一片の疑いもなく、お父様は私に当たり前のように、命令を。
「いいな、スレイ」
「……は――」
はいと、わたしは反射的に答えるつもりだった。
だって、わたしにはそれしかできません。お父様を逆らうなど、決して。
「黙れと言ったはずだ、ギャーギャー騒ぐしか能のない犬」
また彼。
私がはいと答える前に、彼の方がお父様を一蹴した。
「な、なんだと、私を誰だと……」
「おい、お前」
お父様の反論も許さず、彼は私の方に視線を向く。
気弱な外見に似合わず、態度、言葉遣い、そしてなにより目。まっすぐで、力強い目。
「俺はお前みたいな、はいとしか言えないやつが大嫌いだ」
はっきりと、彼はそう言った。
――私もです。
私は心の中で小さく、返事をする。彼のことではなく、自分のことが。
ですが私にはどうすることもできません。お父様には、決して逆らえません。諦めるしか、私にできることなんてありません。
諦めるのは、得意です。
「……はい、ごめんなさい」
あまり聞き慣れない言葉ですが、不思議と私を大嫌いと言った彼に、嫌悪感は一つも。いつも通り、はいと答える。
「ノーマン、あなたは少し言葉をとあれほど」
ここまで眉毛一つも動かないメイアさんが、やれやれと眉間を押さえる。
しかしその態度。親しげ…そう、驚くことに、彼女は親しげにノーマンくんを叱った。
やっぱり、ただならぬ関係。一体、どういう?
「いや、今はいいだろその話は」
悪びれて目をそらす彼を見て、私はあぁと。こっちの方がお似合い、そう思った。
少なくとも、お父様を前にして啖呵を切るよりは、気弱な彼に。
「ともかくだ、俺も本来お前と関わるのはまっぴらごめんだ」
気を取り直して、またずけずけと言葉を重ねる彼。
「が、爺さんには借りがある。俺は損をするような真似は絶対しないが、借りは返す」
爺さん。お祖父様のことでしょうか?
借りとは、一体?
「お前には二つの選択肢を……いや、それじゃ意味ないか。クソ、こんな荷物を遺して、本当迷惑な爺さんだぜ」
何かを言いかけてはやめ、彼は髪を乱暴にぐしゃぐしゃと掻き。
「おい、もう面倒だからはっきり言うぞ」
そして有無を言わせずに。
「爺さんはお前のことを頼むと俺に言った、だからお前は俺の言う通りにしろ」
そう私に命令をした。
「はい、確かに遺言ではそのように。確認になりますか?」
メイアさんは彼の言葉を肯定し、私に遺書を渡してきた。
ですが――
「はい」
私は遺書を受け取らずに、そう答えた。
知らない人。外見は気弱そうで、格好良くは、ありません。どちらかと言うと可愛い方かもしれません。
ですが態度はお父様をも凌ぐ傲慢で、言葉遣いも怖い。
なにより目、目がまっすぐで、力強い。私とは真逆、見られるとびくっと背が縮んでしまう。
お祖父様が選んだ人。
「おい、いい加減に――」とお父様の騒ぐ声が聞こえる。
でも彼。
まるでお父様の視線から私を守るように、さりげなく、お父様の姿を隠した。そのぽっちゃりとした、大きい背中で。
「馬鹿め、今日初めて話した男に言う通りにしろって言われてはいと答える女がいるか」
なぜか怒られた。
だって、お祖父様が選んだ人でしょう、あなた。ノーマンくん。
「はい」
私はまた、懲りずにはいと。
「上等だ。そのはい、絶対後悔させてやるからな」
彼は初めて、ニヤっと笑った。
「はい、構いません」
なぜかしら。
お父様に答えるはいよりは、ずっと、ずっと軽く、口から滑り出した。
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