第62話 新たな道へ(2)

麻由子もそして


八神もハッとして顔を上げた。



「もっともっと上を目指すんだ、」


志藤はタバコの煙をくゆらせた。



「志藤さん・・」


麻由子の心は震えた。



あのとき


オケに戻りたいと言った自分を軽くつっぱねたのは・・



そう思ったら


胸がいっぱいになった



麻由子はうつむいて、我慢しようとしてもどうしても涙が止まらなくて。



「マユちゃん、」


八神が声をかけた。



「よかったな。コンクールの結果よりも、もう一度がむしゃらに頑張れたことが。 その気持ちを奮い立たせてくれたのは、八神だから。 そうやな、八神には感謝をせんとアカンかなあ。」


「いえ、おれは・・」


八神も胸がいっぱいになった。



この人は


ちゃんとここまで考えて


彼女のこともちゃんと考えて・・。



そう思ったら体中があったかくなって、こっちまで泣けそうだった。


「ちょっと知り合いに聞いてみた。 前の音楽院のほかにパリで留学できそうなトコ。 その気あるなら試験を受けてみたらどうかなって。」



志藤は手帳からメモを取り出し、麻由子に手渡した。


「もう一度、前にいた音楽院に入りなおして頑張りたいなら、それもいいと思うけど。」



志藤の気持ちが嬉しくて嬉しくて


麻由子はまた涙ぐんでしまった。



「あ、ありがとうございます・・ほんっと、あんな形でオケを飛び出してしまったあたしのために、」



「才能のある子はね。 自分のところに囲っておくんじゃなくて。 もっともっと広い世界に出してやりたいって、思うのは当然。 きみが日本の中じゃなくて世界に飛び出したいって言った気持ちは間違っていない。 ただ、ちょっと早いかなあとは思ってた。 でもこういうのって本人のやる気だから。 いずれは海外留学って形をとってあげたいって思ってたから。」



優しすぎる言葉だった。



志藤はふっと気づいたように横にいた八神を見て、


「あ、ゴメン。 フツーに海外留学勧めちゃって。」


と言った。



「は?」


意味がわからずきょとんとした。



目をぱちくりさせている八神の表情を見て、志藤はニッコリ笑って



「ま、あんま心配しなくってもよさそうやけどな、」


と言った。



「・・意味、わかんないんですけど。」



「ああ、いいからいいから。 さーっと流して。」


志藤は笑った。



志藤は先に帰り、八神は麻由子と久しぶりに二人きりで話をした。



「志藤さんって・・不思議な人ですね。」


麻由子は窓の外の風景を見てポツリと言った。



「負けるよなあ。 あの人には。 なんかもう・・全部わかっちゃってるって感じで。」



志藤が何もかも


ここまでわかっていて、彼女をあの時冷たく突き放したのではないか、と思えた。


八神は残り少なくなった紅茶を飲み干した。



麻由子は外を見ながら突然、


「ふたまた・・だったんですか?」



と問いかけだけ八神にひょいっと投げた。



「へっ・・」



今飲んだ紅茶が逆流しそうだった。




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