1-3.偽り従者

 それを認識し、セノンは一瞬でパニックになった。



「…っ!!?」



 思わず窓に勢いよく飛びつき、カーテンを閉めた。

 そして後ろ向きのままベッドに戻る。

 戻ると再び手元の装備に視線を落として、一心不乱に汚れを落とし始める。

 …声はしないが、背後からくすくすと笑う気配がする。



「どうかしましたか?すみませんが、そちらの桶と水袋を取ってください」

「…ああ、うん」

「ありがとうございます」



 自分の側に置いてしまった荷物を手探りで見つけ、動揺を悟られないよう、背後を振り返らずに渡す。

 それを受け取ったカイオは、火炎魔法で器用に湯を沸かし、いつもの身清め用の薬剤を混ぜているようだ。


 それらを終えてから服を脱いでほしい、とセノンは切実に思った。



「む…少し、熱くしすぎましたかね…」



 薬剤の清涼な香りが部屋を満たし、濡らした布で体を拭く微かな音だけが断続的に響く。


 …その音を聞きたいわけでは決してないのだが、話しかけていいのか何を言っていいのかも分からず、つい無言になってしまう。

 すると必然、その音だけが耳に入ってきてしまう。


 カイオが体を拭く間、セノンは今日倒した魔獣との闘いを必死に脳裏に思い浮かべながら、ひたすらに装備を磨いていた。

 ただ汚れはもうだいぶ前に落ちている。



「ふう、さっぱりしました。やはり宿に入ったらこれですね」



 言いながらまたごそごそと荷物を漁る音、衣擦れの音が聞こえてくる。


 しばらくして音が止んだのを見計らい、セノンは僅かに背後を見やった。

 そしてすでにカイオがローブ型の清潔な寝間着に着替えているのを確認し、ほっと息を吐いた。



「ところでセノン様、先ほどからずいぶん口数が少ない上に、ずっと同じ装備を磨いているようですが?まだ終わらないようでしたら、お手伝いしますよ」



 わざとらしく指摘される。



「…いいよ、終わった。今終わった」



 セノンはそれに対し、ぶっきらぼうに言いながら体の向きを戻した。

 そしてそのまま、装備を片付ける。

 その間も、視界にはなるべくカイオの姿を入れないようにする。



「ああ、でしたらセノン様も、あとは体を清めるだけですね。手伝いますよ」



 言いながらカイオがこちらに近づこうとする気配を感じた。

 そんな手伝いは絶対に必要ない。



「だからいいって…」



 顔を上げると、予想外に近くにカイオの顔があった。

 セノンに接近を悟らせずに、至近まで距離を詰めたらしい。

 無駄に完璧な手際だ。


 束ねていた髪を下ろし、着替えたカイオはどこからどう見ても女性だった。

 しかも、滅多に見られないレベルでの、美しい女性。



「っ――」

「どうかしましたか?」



 思わず息を呑んだセノンに、カイオは薄く笑いかける。

 男装しているときに見せるのと全く同じ、一部の隙もない笑みだ。


 カイオ・エミトは紛れもなく女性だ。


 セノンと出会った当初から男装しており、最初はセノンも男性だと信じていた。

 しかしふとした時に女性であることを自らセノンに明かし、一方でセノン以外には男性を演じ続けているのだ。


 女性姿のカイオに至近距離に寄られ、セノンは咄嗟に身動き出来なくなった。

 それに対し、カイオは無遠慮にセノンの服を掴む。



「ほら、服を脱いで下さい。お手伝いします」

「いやいいって…!?自分で出来るから…!」

「ご遠慮なさらないで下さい」



 ぐいぐいと服を脱がそうとしてくるカイオから、慌ててベッド上で距離を取る。

 セノンはそのまま背を向けて服を脱いだ。


 しかし、いつの間にか濡らした布を手に持ったカイオがまたもや気配もなく近づき、振り向く前にその背を拭き始める。

 こうなるともう駄目だ、とセノンは観念した。



「痛くないですか?」

「…うん、大丈夫」



 諦めて身を任せると、暖かな湯で体の汚れを拭われる感触が気持ちいい。

 母親が子供の頭を洗ってあげるかのような扱いを受けるのは不本意だが、正直言ってこのお節介は悪くなかった。

 二の腕のあたりを掴むカイオの手の感触も、恥ずかしいが心地よく感じる。


 カイオは普段手袋をしているが、日常的な戦闘行為で手は傷んでいるはずだ。

 しかし愛用の薬剤のおかげなのか元々そういう体質なのか、セノンに触れるカイオの手指はいつも滑らかで柔らかい。



(まあ、このくらいなら――)


「はい、背中は終わりです。次はこっちを向いてください」



 だが少し気分が落ち着いたところに放たれたカイオの言葉に、再びセノンはぎょっとする。


 手が届きにくい背中ならまだしも、さすがに正面を向いて腹や胸を拭かれるのは抵抗がある。

 なにより、それを許したら今度は下半身、となる気がしてならない。



「い、いいよ。あとは自分でやるから!」

「いいじゃないですか。ほら」



 セノンは身をひねり布を奪い取ろうとするが、カイオの無駄に見事な技巧によりうまくいかない。

 しまいにはカイオは体を伸ばし、布を持った手を頭上高く掲げる。

 こうされると、カイオより背の低いセノンは同じ姿勢のままではどうやっても手が届かない。


 密かなコンプレックスを刺激する行為に、思わずセノンは頭に血を登らせた。



「このっ…!!」



 ベッド上から腰を浮かせ、奪い取ろうと本気で動く。

 しかしカイオは同じく腰を浮かせて下がることで器用に逃げる。

 熱くなったセノンはそれを追って迫るが、カイオはまた下がりつつ僅かに身を反らすことで間一髪躱す。

 あと少し手を伸ばせば届きそうな距離に、思わずセノンは身を乗り出した。


 我に返ったのは、ボスッというベッドに何かが倒れこむ音を聞いた瞬間だ。


 気が付くと、カイオは自身のベッドに上半身を投げ出すような形で背を反らしていた。

 そしてセノンはそんなカイオの肩を掴み、覆いかぶさるような体勢。

 しかも上半身裸。

 反らされ強調された胸の膨らみはセノンの肌に微かに触れ、その感触が何となくわかる。


 これではまるで、セノンがカイオを襲っているかのような体勢だ。



「おや…私を押し倒して、どうされるおつもりですか?」



 いつものように薄く笑んだ状態で、そんなことをカイオはうそぶく。


 セノンはバッと体を起こし、勢いよく布をひったくる。

 もうカイオも逃げなかった。

 そのまま自分のベッドに戻り、赤い顔のまま乱暴に体を拭った。


 今度ははっきりと、カイオがくすくす笑う声が聞こえる。

 またやられた、とセノンは内心で悔しい思いをした。


 何が楽しいのか、カイオは二人きりになると度々このようなちょっかいをかけて来る。

 一度目的を問いただした時には「スキンシップです」などとうそぶかれてしまったが、健康な青少年であるセノンにとっては色々洒落にならない。


 やがて後片付けや荷物整理を終え、することはなくなる。あとは寝るだけだ。



「セノン様。こっち、来て下さい」



 しかし、セノンがベッドに潜り込む前にカイオから声が掛けられる。

 カイオはベッドの上で横座りをしたまま、セノンの方を見ている。



「…別に、今日はいいでしょ。つい何日か前にしたばっかりだし…」

「駄目ですよ。ちゃんとしないと溜まる一方です」



 先程のこともありささやかに反抗するが、ぴしゃりと叱られる。

 カイオはセノンの体に関わること…特にこの件に関しては厳しい。



「わかったよ…」



 しぶしぶセノンはベッドから下り、カイオの方へ近づく。

 カイオもまたベッド上で少し移動する。


 しかしセノンがベッドの横で少し躊躇って立ち止まったところで、素早くカイオが手を伸ばしセノンをベッドの上に引っ張り込んだ。



「うわっ!?」



 勢い余ってバランスを崩し、半ば倒れこむ。

 気が付くと、座るカイオの腹に顔をうずめるような格好になっていた。



「くすぐったいですね」

「だからそういうことは…!…ぅわっ!」



 柔らかな感触に動揺し、慌てて顔を上げたところで今度は頭を掴まれ、再び下げられる。


 そのまま、カイオの太ももに横向きで頭を乗せた形で固定された。

 そしてカイオはセノンの赤くなった耳に触れ、薬剤の染みた布を巻き付けた細い棒を手にする。



「こまめにきれいにしないと、汚れが溜まってしまいますよ」

「わかった、わかったってば…!」



 少し前から、カイオはこうして頻繁にセノンの耳掃除をするようになった。

 汚れや垢が溜まると優秀な聴力を阻害するのではないか、との意見からだ。


 最初はとにかく恥ずかしくずいぶんと渋ったが、確かに翌日はいつも以上に耳の調子が良かった。


 そのため、それ以降も断り切れずになし崩し的に続けている。

 ただ未だに恥ずかしく、慣れない。



「じっとしていて下さいね。すぐ終わります」



 カイオはセノンの耳をぐにぐにと揉みしだき、棒の先の布で耳の中の汚れを取り除いていく。


 恥ずかしいが特製の薬剤を塗布されるのはすっきりするし、丁寧に耳の中をかいてもらえるのは気持ちがいい。

 頭を時折撫でられるのは子ども扱いされているようで面白くないが、本音を言うと実はそれも心地よかった。


 最初はバクバクしていた心臓も、やがてリラックスし落ち着いてくる。

 同時に日中の疲れが滲みだしてきて、ふわふわとしたいい気持ちになってくる。



「緩んだ顔をして、小さな子供みたいですね」



 カイオの声が遠くから聞こえてくるが、頭が意味を理解してくれない。

 まだ目は覚めているはずだが、夢の中にいるように頭が働かず、思考が纏まらなかった。


 カイオの姿勢を変える指示にも無意識に従い、体が勝手に動く。



「いい子ですね。これから、もっと良い気持ちになれますよ」



 その後もカイオが体に触れてきてとても気持ちが良く、なにか柔らかいものにも手を伸ばしたような気もする。

 しかし翌朝には記憶が曖昧になっており、セノンは耳掃除中の会話どころか、自分がいつ寝たのかすら一切覚えていなかった。


 これも、二人にとってはいつものことだった。

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