遊び・時々本気・6


 いつもはこっそり売り場の電話を利用するのだが、さすがに気が引けた。

 食堂横の公衆電話を利用して、私は渡場に電話した。

 テレフォンカードを差し込んで、ドキドキしながら番号を押す。

 電話に出たのは、この間の学生だった。


「あ、渡場ですよね? 少々お待ちください。えーっと……。さっきまでいたんだけど」

「では、かけ直します」


 相手は、なぜか必死になって引き止める。


「いや、待って! 切らないでください。すぐに戻ると思いますから……あ、いました。今、代わりますから」


 度数の少ないカードに、私はやきもきしていた。


「もしもし?」


 案の定、渡場の声が聞こえたとたん、電話は切れてピッピーッと不快音とともに、カードが電話から吐き出された。

 唖然としてしまった私の前に、祥子が憮然として立っている。


「あれ? 珍しいね、ここから電話?」



 一緒にお昼を食べながら、祥子はちらりと私を見た。


「かけ直さなくていいの?」

「いやだなぁ、そんな急ぎの電話とか、秘密の電話とか、大事な電話とかじゃないもん」

「ふーん、急ぎの電話で、秘密の電話で、大事な電話ねぇ……」


 そういいながら、祥子は芋の煮っ転がしをほおばった。私は水を飲んだ。


「まぁ、とりあえずはよかったねぇ。でも、麻衣の男って、ヘンなのばかりが多いから、ちょっと不安な気もするからねぇ」


 私も不安だった。

 祥子には、工藤以外の恋愛ごとはすべて打ち明けてきた。浮き浮き気分の時から、散々泣いて終わるまで。

 一貫して、祥子の意見は決まっていた。


『あんたさぁ、もっといい男を見つけられないの?』


 付き合い始めのころは、祥子の口の悪さに真っ赤になって怒ったものだが、別れ際には、ああ、祥子の目は確かだったと思うようになる。

 でも、今回ばかりは初めからひどい男を好きになったと思っている。


 売り場に戻ると、同僚がまってましたとばかりに声をかけてきた。


「白井さん、電話があったけれどね、またかけるって言われて名前を聞きそびれちゃった」


 顔が赤くなったかもしれない。

 先ほどの切れた電話で私は名乗らなかった。でも、渡場は私だと思ってすぐにかけ直したのだろう。

 私は、慌ててもう一度、今度は売り場から電話をした。

 先ほどの学生が再び出る。


「あ、あの……先ほどの方ですよね? 渡場は外出してしまいまして……」


 私はがっかりしてしまった。

 やはり、祥子に何を詮索されても、すぐに電話をすればよかった。

 一日中、ぼっとしてしまうのは私くらいだろう。まるで中学生の恋愛ではあるまいに。

 向こうだって仕事中だ。四六時中、私の電話を待っているわけではない。

 そんな当たり前のことも、つい、頭から消えてしまう。

 しょんぼり売り場に出てみると、先ほどの同僚が今度はニヤニヤ笑っている。


「お客様だけど」


 その声に、さきほどの電話の人……という響きがあった。

 うわっ、と体が跳ね上がったかもしれない。

 その通り、渡場だった。


「やぁ、元気そうだね?」


 Tシャツの上にジャケットを羽織っただけ、ジーンスといういつものさりげない格好だが、妙におしゃれに見える。人目を引く男だ。売場の人がひそかに横目で観察している。

 私は顔を赤らめた。元気に決まっている。あの病は一日寝ていればよくなるものだ。

 渡場はうれしそうに、でも私を責めていた。


「電話ぶっちり……はひどいよな。ビール泥棒の腹いせかな? 何かあったのかと思って、家に電話したら出ない、職場に電話したら席を外している。だから、買い物ついでに寄ってみた」


 買い物ついでではなく、ついでに買い物だ、と聞こえた。

片えくぼの出る笑顔。困ったことに、私はすっかりまいってしまっている。


「ごめんなさい」


 素直に謝れた。


「……ところで、今日は何番?」

「遅番」

「ふーん……でも、ビールが飲みたいんでしょ?」


 昨日の今日である。

 体調は回復しているのだが、ビールなんかとても飲みたい気分ではない。

 でも、私の返事は「はい」だった。



 夢のような気分がしていた。

 今まで何度も恋をしたけれど、これほどときめく恋はなかったような気がする。

 高校時代に、憧れていた先輩以来ではなかろうか?

 それは、ただの片思いで終わった。シャイだったので、告白すらもできなかった。


「俺は本気」


 その言葉が頭を駆け巡る。

 そして、唇に伸ばされた指の形や、首に回された腕の強さを思い出す。

 日に焼けた顔や日に褪せた髪、やや薄い目の色とか、そして唇の形とか。

 すべてまとめて、片えくぼの笑顔に集約されてしまう。

 ぽっと頬が熱くなる。

 渡場という男は、私が今までつきあってきた男からは想像もできないほど、カッコいいのである。

 困ったことに顔も好みだし、スタイルもいいし、声も甘いし。

 何だか、憧れの人と両思いになったような気分。

 いやいや、これを恋……というのは、いささかまずいのだけど。


 休憩時間、祥子の煙草に付き合って、私も何度かため息をついていた。


「ちょっとぉ、反則なくらいいい男じゃない? 麻衣には珍しいタイプだねぇ?」


 私はびっくりして、背筋を伸ばしてしゃんとした。


「なんで祥子が知っているのよ?」


「何でって、あんたの売り場の子が電話くれたんだよ。麻衣にいい男が会いに来てるってさぁ。思わずダッシュで階段駆け下りて見にいっちゃったわよ。どっかで見たことある男だと思ったけれど、あの、歌うまい人だったんだねぇ」


 そういうと、祥子は気持ちよさそうに煙草の煙を吐き出した。

 どうやら。

 渡場のいい男ぶりは、さすがの祥子の目すら狂わせたらしい。

 少しだけ私もうれしくなって、ふふふ……と笑ってしまった。

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