遊び・時々本気・4


 一瞬、具合が悪いのも吹き飛ぶくらいに驚いた。

 渡場は、東京に出張と聞いていた。

 それが、何で突然訪ねてきたのだろう? 

 しばらくは居留守を続けたが、渡場は帰りそうにない。時計をちらちらと見ている。

 どうやら三時から一時間おきに三回ベルを鳴らしていたのは、彼らしい。

 しばらくすると、姿が見えなくなった。

 私は痛みをこらえて窓から外を見た。渡場の車がある。しかし、動き出す気配はない。


 いったい、急に訪ねてくるなんて、どうしたんだろう?

 でも、このような状態じゃあ出ることができない。

 でも……また六時にベルがなったらどうしよう?

 そして、六時にベルは鳴ってしまった。


 ドアチェーンをしたまま、ドアを少しだけ開けて、私は声をかけた。


「ごめんなさい。具合が悪くて出られないけれど、何のよう?」

「具合が悪いらしいから心配した」


 ドアの隙間から、小さな箱が差し込まれた。


「実は東京に出張に行ってね、お土産を麻衣に買ったから職場に電話した。そしたら、具合が悪くて休んでいるって……」


 渡場の声に、本当に心配したような響きがある。


「病院にはいったの? まだだったら連れて行ってあげる。だから、開けて」

「そんな……病気じゃなくて、ほら、いろいろと……」


 渡場は納得したらしい。


「で? 電話も不通にした?」

「電話?」

「線、抜けていない?」


 忘れていた。


 玲子の電話を嫌って、抜いたままだった。

 何度電話しても応答がない。

 ベルを鳴らしても反応がない。

 これでは、私が二日酔いと生理痛であったとしても、死んだのでは? と思われても仕方がない。


「あぁ、ごめん。でも、本当に大丈夫だから。一時的なものだから。今は会える状態じゃないので……」


 閉めようとしたドアは、何かに当たって閉まらなかった。

 焦って何度も押してみたが、ドアはどうしても十センチほど開いてしまう。

 顔を見られないようにして、私はドアの影から突き放すように言った。


「悪いけれど、帰ってくれる?」


 ドアが閉まらない理由は、すぐにわかった。

 渡場が持ってきた土産と称する箱が、引っかかっている。

 この箱を渡場がはさめている限り、ドアを完全に閉めることはできない。

 こうしている間にも、私は唸りたいような腹痛に耐えていた。


「いいから。早く開けな」


 少し迫力ある声に負けてしまった。

 結局、「うん」と言うしかなかった。

 やっと箱は引っ込められ、ドアがいったん閉められた。


 こんなひどい状態で渡場と会わなければならないなんて……。


 たとえ渡場の本気が百年続いたとしても、これで一気に冷めるだろう。

 正直、これが渡場ではなく、祥子であったとしても考えてしまう。

 やっぱり……開けられない……と言おうか?

 手が、躊躇した。


「麻衣!」


 語気に押されて、私は慌ててドアを開けた。

 渡場は、ドアが開いたとたんに飛び込んできて、いきなり抱きしめてきた。

 もう一度、抱きしめられたい、とは思ってはいたが、この場合は非常に困る。

 玄関だけで、中には上げない……と思った私の決意は、彼の前にまったく無視された。


「ベッドはどこ?」


 渡場は靴を脱ぎ捨てると、私を抱き上げてそういった。

 腹痛と胸焼けと微熱で、私は抵抗もできなかった。

 部屋に上がられると、居間のビールの残骸を見られるのが一番嫌だったかもしれない。

 私のすべてを見られてしまう気がした。


「ううう……」


 あまりの苦痛と恥ずかしさに唸ってしまう。

 渡場は私を抱いたまま部屋に上がり、ベッドルームを探し当てて、私を横たえた。

 布団をしっかりとかぶせると、私の額に唇をつけた。


「熱があるけれど、薬飲んだの? それより、ちゃんと食べているの?」


 ううん、と首を振った。

 生理痛がひどいときは、食事ができないのだ。

 それで死んだことはないから、大丈夫……といいたかったが、男性にするには恥ずかしい話題である。

 だいたい、親さえも入れたことがない部屋なのに。そんな文句も具合の悪さに出てこない。

 顔が熱って赤くなったと思うが、渡場は正反対のことを言った。


「顔色真っ青だ。貧血起こしているんでしょ? 起きちゃだめだよ、家の鍵ある?」

「鍵?」

「コンビニ行って、何か食べるもの買ってくるから」

「いい。いらない……」

「だめ!」


 幼い頃、風邪をひいて寝込んだときの母親の反応と同じだった。

 大げさなほどの心配は、かえって下心みえみえに感じた。


「ベル……押してくれたら、また開けるから」

「もう、無理して起きなくていいから。薬は? ある?」

「ある……」

「鍵は? どこ?」


 私はそれでも躊躇した。

 鍵を貸して外に出られて、合鍵でも作られてしまったら?

 渡場なんて、全然信用できない男なのだ。


「すぐに戻ってくるけれど、ドアを開けたままなんて出られない。鍵!」

「だから、もういいって……」

「俺を信じろよ!」

 

 は……と、思った。


 とんでもないことに、悪魔が自分を信じろ! と言うのだ。

 そんなものを信じたら、地獄に落ちるに決まっている。

 じんわり涙が浮いたのは、微熱のせいだと思う。

 演技しているんだ、この男は。

 まるで私を心配するような顔をして、神様みたいなふりをして……。


「……居間の……テーブルの上」


 私の言葉に、渡場はやっと微笑んだ。

 かすかに白い歯がこぼれた。

 ベッドルームから渡場の姿が消えて、私はほっと息をついた。

 テーブルの上には、ビールの空き缶が十二個並んでいて、私の弱さを主張しているに違いなかった。


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