あなたに書いて欲しい物語
大丈夫?ときかれて我に返る。
地面から見上げる空は夕焼け色に染まり、綿あめのような雲がひとつゆっくり流れている。
一人の女の子が心配そうな顔をして僕を覗き込んでいた。少し痛む頭をさすりながら僕は立ち上がった。どうやら僕は逆上がりの練習中失敗して頭から地面に落っこちたようだ。
「心配しなくてもこのくらい大丈夫」
そういったものの、足元がふらついた僕に彼女は今日の練習の打ち切りを告げた。
情けない。もちろんこの程度でふらついてしまうことに対してもだが、6年生にもなって逆上がりひとつできない自分がどうしようもなく情けないのだ。
ある日の放課後、友達と遊んでいたときに鉄棒でどんな技ができるか披露しあう流れになった。ひとまず腕慣らしで逆上がりをみんな一回ずつやってみせる。僕の番になって遠慮する僕を無理やり皆が鉄棒につかませた。
僕はえぃっと勢いよく両足を跳ね上がらせたが、その足は空をきりそのままもと居た場所に落ちてきた。
そう、僕は逆上がりなんてできたためしがないのだ。体育の授業では何度やってもできない僕をみかねた先生が、補助板あり、先生の手助けありで試験してくれた。そしてようやく一度だけできた僕に温情の合格をくれたのだ。
逆上がりもできない僕を友達の何人かは馬鹿にしたように笑い、何人かはいたたまれない表情でみてきた。
そのあとは僕の失敗でみんな本来の目的も忘れ、技の披露もしないまま解散した。
僕は逆上がりもできない自分が恥ずかしくてたまらず、その日から放課後になると決まって校庭の隅の鉄棒で秘密の特訓をすることにした。
はじめは体育倉庫から補助板を引きずり出してきて一人で練習できるように整えてみたのだが、おさえのない補助板は力なくすぐにずれてしまう。仕方なく僕は友達がやっていた姿の見よう見まねで足をあげて練習してみた。
しかしもともとできないものが我流でやって上達するわけもなく、毎日毎日足を跳ね上げるだけの変な踊りを校庭の隅で披露していただけだった。たまにあの時の友達にその姿をみられバカにされることがあったが、その悔しさをばねに僕は毎日休まず練習した。
一か月ほどたったころのことだった。その日もいつものように特訓していると、急に後ろから
「手伝ってあげようか」
と声がした。
声の方を振り向くと女の子がひとりこちらの様子をうかがっている。
僕は逆上がりすらできない僕を友達みたくバカにしに来たのだと思い込みひと言
「いい」
とだけ言った。
しかし彼女の申し入れをことわったはずなのに、彼女は僕の隣の鉄棒にやってきて鉄棒を握るとひらりと見事な逆上がりを披露した。
「だから、いらないっていったじゃないか」
僕は少し腹を立てたようにいったが
「別に教えてるわけじゃない。ただ私が逆上がりしたくなっただけだから」
といって何度か逆上がりを続けた。僕も渋々練習を続けた。
それからの秘密の特訓にはなぜか毎日必ず彼女がついてくるようになった。
彼女は、勉強ができた。それに加え運動神経もよく、性格も明るく男勝りで、それでいて容姿も整っている。男子だけではなく女子にも人気のあるスーパーガールなのだ。もちろん僕にとっても憧れの存在だ。
そんな憧れの女の子に毎日毎日失敗する姿をみせるのは思春期入りたての僕には耐えがたいものがある。
ある日僕は彼女にもう練習にはついてこないでといってみた。
彼女はしばらく難しそうな顔で何か考えていたが、なにかを思いついたようで僕に言った。
「分かった。もうついて行かない。でもその代わり、あなたが逆上がりをできるようになったら、私、あなたと結婚してあげる。」
不意に聞こえたその言葉に僕の心音が速くなるのを感じた。どういう意味かきこうと思った時には彼女は全速力でその場からいなくなっていた。
「パパ、だいじょうぶ?」
小学生の娘が心配そうに覗いている。そうだ、逆上がりのできない娘にせがまれ練習に付き合っていたのだった。
娘に手本を見せてと頼まれたところまでは憶えている。
状況から察するにまた頭から落ちてしまったのだろう。
「さかあがりできないなんてパパだらしない」
自分の事を棚にあげ、娘は隣でみていた彼女のもとへ駆け寄る。
「そうねー。パパ、だらしないね」
娘に同調して彼女は僕を追い詰めた。
「ママはさかあがりできるの」
「もちろんできるわよ」
そういって彼女は娘の前で見事な逆上がりを決めた。
「ママすごーい。なんでママはこんなにだらしないパパとけっこんしたの」
「うーん、なんでだろうね」
僕はその言葉にシュンとなる。
「でもね、これだけははっきりしてるんだけど、パパはね自分ができないことがあったらできるようになるまで一生懸命がんばるのよ。そんな姿がかっこいいなって思ってママは結婚したのよ。」
「そうなんだ。パパ、ママがかっこいいって。よかったね」
娘と彼女がそっくりな顔でニヤニヤとこちらを見ている。しかし、彼女の表情には少しだけ昔を懐かしむような表情が混じっていた。
一度だけ付き合いたてのころ僕も聞いてみたことがあった。結局、逆上がりはできずじまいだったのにどうして僕と付き合っているのかと。
彼女は、どんなに友達にバカにされてもあきらめずひたむきに練習する姿を見て僕の事を素敵な人だと感じたらしい。だからできるようになるかはあまり関係なかったとそういっていた。
僕は頭を打った拍子に昔の話を思い出していたが、きっと彼女はそんな僕の姿をみて思い出したに違いない。そんな昔の話を。
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