摩天楼に吹く風

七尾八尾

アンドロイドの夢

 夏の夕暮れ時、曇り始めた空の中。私はありったけの荷物を持って何年かぶりに外へと駆け出した。窓ガラスを突き破って出なかったのは、きっと最後の良心という奴なのだろう。


 体は機械の筈なのに、何故こんなにも心は軋むのだろうか。


 心はAI無い筈なのに、何故こんなにも傷むのだろうか。 


 ざぁざぁと降り出した雨に、背負った荷物は濡れている。


 8月の雨は、この打たれた鉄の如く熱された摩天楼を、どんどん、どんどん冷やしていく。


 きっと、過ごしやすい夜になるのだろう。きっと、過ごしやすい世界になるのだろう。


 ワタシガイナクナッタカラ。


 知らず、私を捨てたあの人の名前を口にしてしまう、会いたいと口にしてしまう。なんと愚かなアンドロイドなのだろう…なんと愚かな女なのだろう。


 私は。


 私は、第3世代型アンドロイド…通称フェミィと呼ばれている。少々古い型ではあるが第3世代以降と比べても傑作型と名高く。ユーザーに必要な面を全て抑えている。


 私はその中でも新規復刻版と呼ばれる、第5世代型の最新モデルボディにフェミィぶちこんだと言われる、傑作+傑作=最高傑作という頭の良いのだか悪いのだか分からない計算式で作られたアンドロイドである。


 人工人格を持つアンドロイドの鋳造は、アメリカで完成し、日本で発達したと言っても過言ではない。特に日本国内では独自路線のアンドロイドが大量生産され、場合によっては数億円以上のプレミアがついた傑作モデルも存在している。


 ちなみに、日本初のアンドロイドはクラウドファンディングによって作られ、1200万という手軽に買えない価格帯でありながら、予約開始から10分で売り切れたそうだ。


 其処から受注限定生産という形で販売を行い、今や50万台を売り上げるベストセラーとなったのは驚くべき躍進だろう。


 中には私達に人権を認め結婚を行える地方や国も存在している。私も何れマスターと結婚するのだろうと…そう思っていた。


 だが、マスターの実家は私という存在を良く思わず、マスターの結婚相手を勝手に決めて…私達の家に住まわせて……私の肩身は狭くなった。


 部屋から出ないでくれと言われるようになった、マスターと一緒にいれる時間が減った。あの女がマスターを私から奪った。


 愛している、こんな事になった今でも私はマスターを愛している。


 夏の夕暮れ時、私は何年かぶりに大声を上げて街へと駆け出した。通りすがりの人々のマヌケな面を殴らなかったのは、最後の良心という奴なのかもしれない。


 ボディは雨に濡れた筈なのに、何故こんなにも熱いのだろうか。CPUは熱い筈なのに、何故心はこんなにも冷えるのだろうか。


 ざぁざぁと降り続く雨に、背負った荷物はびしょ濡れで。8月の雨はこの人の熱に溢れた摩天楼を…どんどん、どんどん冷やしていく。


 知らず、私を捨てたあの人の名前を叫んでしまう。馬鹿野郎と罵倒してしまう。なんと愚かな人形アンドロイドなのだろう…私は…。


 私と同じフェミィが知らない人と幸せそうに歩いているのを見た。私と違う機体が頭を掴まれて、泣きながら回収業者につれて行かれるのを見た。


 浮浪者に押し倒されて、侵されているアンドロイドを見た。


 そうして走り抜ける中…目的の場所に付いた。其処は私が最初にマスターに見せてもらったキレイな光景、その筈だった。


 その場所は植物園だった筈なのだ。だが、経営難で取り壊されてしまったらしく、今はビルの建設現場となっていた。


 構わない。私はそう思い、工事現場の柵を乗り越えて完成途中の最上階まで来た。空を見上げると、雨がいよいよもって酷くて…人間ならばきっと目を開けていられない程なのだろう。


 空が、私の代わりに泣いていてくれているようだ。


 荷物の紐を緩めると、中に入っていたマスターと目があった。


「ごめんなさい、狭かった…ですよね?」


 そう問いかけても…マスターは答えてくれない。だから、そっとマスターの頭を抱き上げた。かつてマスターが私にそうしてくれたように、壊さないように…優しく、優しく。


「ああ、マスター…見てください、あの時貴方が私に見せてくれたお花畑です」


 コツ、コツと、ゆっくりとその切り立った崖のようなコンクリートへと足を進める。其処には確かにあの日マスターと見たカサブランカが咲いていて…だけど、手で触れるとまるで幻想のように消えてしまった。


 その花はそのまま下に続いているのが見えた。


「マスター…今会いに行きます」


 ふわりと、体が宙に舞う。


 幾つもの花に触れ、それが綿毛の如くに散っていき。そして、地面にある花畑に私は落ちた。


 視界に走るノイズの中でマスターと目があった。その瞳は何処か優しく笑い、諦めの表情と慈愛を浮かべていた。


 ああ、私は。愛されていたのだ。


 それに気づいても、涙を流せない体はどんどん、どんどん、冷えていく。


 心はこんなに愛を感じるのに、どうして体はこんなにも冷たいのだろう。


 体は冷たい筈なのに、どうして胸がこんなにも熱いのだろう。


「ああ……ああ……わかった、分かりました」


 これが、死なのだと。

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